ノルデンヴィズ南部戦線 第九話
杖から離れた両手を天井に向けて魔法を完全に使えなくなったことを確認すると、女性隊長はコツコツとまだ警戒するような強張った足音を立てて近づいてきた。
目の前まで来ると見下ろしている。前かがみになると長い髪がさらりと落ちて広がり照明を遮るようになった。
どうやらカルル“さん”という呼び方が気に入らないのか、隊長の女性の眼瞼がぴくついている。このまま連行してくれれば話が早いので素直に連れて行かれよう。
だが、妙に従順だとかえって怪しまれてしまう。多少痛い思いをするかもしれないが、少し挑発しておこう。
いきなり顔を上げ、「ああ、そうだ」と見下してくる女性隊長の目をパッと驚かせるようにのぞき込んだ。すると隊員たちはざっと銃と杖を向け、女性は左手を杖にかけた。
「確認までに。君たちは、総統、総統ってさっきから繰り返し言ってるが、その総統とか言う聞いたこともないぽっと出の称号がついた人はカルルさんのことであってるよな?」とにこやかに尋ねた。
すると、その女性隊長の眼瞼の痙攣は小刻みなものではなく、明らかに怒りに燃え始め、やがて毛が逆立ち、全身が膨らんだように見えた後、ついに激高してしまった。
「キサマァ! 総統閣下を自分と同等と見ているのか!」
床に置かれた杖を蹴り上げようと右足を一歩前にだし、左足の甲が大きく後ろに上がった。床に置かれた杖を蹴り上げて顔に当てるつもりで思い切り蹴ろうとしているようだ。
弧を描く足に蹴り上げられた杖が顔のほうに飛んでくるのかと思い、おもわず顔を背けて目を閉じた。
顎の下に強烈な衝撃が――
と思ったが、走る痛みは少なかった。確かに痛かったが、自らで噛みしめていた咬筋の方が痛かったのだ。
からんと軽い乾いた音がしたので片目を薄く開けると、床で杖が転がり揺れている。
そのまま視線を上げると、女性隊長は悔しそうに歯を食いしばっている。
思い切り蹴り上げたが、杖は彼女には硬くて重く、思ったほど上がらずに痛めたようだ。足の甲を押さえたいのを我慢しているようで、左足は床につけず踵を上げている。
少々わざとらしく、あれー? とでも言いたげに口をへの字に曲げ、しばらく無言で下からその顔を首をすくめながらのぞき込み続けた。
すると顔を赤くし始めて「クソ! こざかしい奴だ!」と怒鳴った。
「俺の杖は優秀でね。俺以外の言うことを聞かないんだ。前にも誰かが似たようなことしてたなぁ。今じゃその誰かも連盟政府の伯爵様だそうだ。そして、俺にとってカルルさんはカルルさんだ。彼がそう呼べって、昔俺にそう言ったからな、ははっ」
隊長は怒り肩になり震えながら体をできる限り大きく見せんと俺を再び見下している。だが、その顔には卑屈さが相まっていて見下されているというよりも、見下されてやっているような感じだ。
「お嬢さん、早く行きましょう。なんなら閣下の御傍まで移動魔法でエスコートいたしましょうか?」
わざとらしく丁寧に言った。ヤバイ。挑発しすぎたか。今度は拳が直接顔に飛んでくるかもしれない。へらへらしながらも、顎に力が入ってしまった。しかし、女性隊長はフンと振り向くとドアの方へとドスドス音を立てて歩いて行ってしまった。
周りの兵士たちが集まってきたので杖や武器で小突いて立たせようとしてくるかと思ったが、やや引き気味に見て来るだけだった。
取り囲む彼らを左右に首を振りながら見回した後、杖を拾おうと手を伸ばした。その瞬間、囲んでいた兵士たちはビクッと構えたが、杖をぐっと掴んで立ち上がり腰に収めた後、膝についた埃を払った。
兵士たちが顔を合わせて頷くと歩き出したので、俺も彼女たちに遅れずついていこうと歩きだそうとした時だ。
「セ、センパイ、ご、ごめんなさい。あ、ある人から頼まれたんッス。センパイは絶対にここに来るから、もし店に来たら辺境軍にすぐ知らせろって。オレにはもう家族がいるッス。脅されてるわけじゃないんスけど、今の世の中こんなんだと、言わなかったら何が起こるか……。守らなければいけないんス」とカトウが言った。
立ち止まり、首だけ向けて無表情で彼を見てしまった。するとカトウは焦りだし、「そそ、それに、セ、センパイ強いし、なんかあっちこっちで英雄だとか怪物だとか言われてるし、ななな、何とかできると思ったッス。ごめんなさい」と手をわちゃわちゃさせた。
眉間に皺を寄せて、「カトウ、許さないぞ。だが、お前には家族がいる。それを守ったのは間違いじゃない」と睨みながら言った。しかし、すぐさま表情を変えて、「お前、家族幸せにしてやれよ」とわざとらしく消えてしまいそうに微笑んで見せた。クソカトウめ、罪悪感擦り付けてやる。
「センパイ、そんな最後の……」
俺とカトウのやり取りにしびれを切らした隊長の女性はドア枠を思い切り叩いた。バンと建物に響かせると、「ごちゃごちゃ話している時間はない! 早くついて来い! うっとおしいやつめ!」と怒鳴り散らした。
やれやれ最後のお別れのふりすら許さないつもりなほど、血気盛んなご様子だ。音に驚いたカトウは両手と首を小さく丸めるように縮こまっている。
だが、この女性隊長がどれだけいきり立とうとカトウの言う通り俺には何とかできるはずだ。これまでだって何度も何とかしてきた。いまさら何があっても死ぬつもりなんざ毛頭ない。