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ノルデンヴィズ南部戦線 第七話

「なんスか? いいッスよ?」


 俺がカウンターの前まで移動すると彼も遅れてカウンターの向かいへと回り込んだ。石の組まれた台の上のマホガニーのカウンターは真新しく、ワックスがかけられたばかりのそれは、天井からつるされているシーリングライトの灯りとそれを規則的に遮るファンの影を木目に合わせて反射している。

 年季の入った輝きではなく、それは使い始めてまだ半年もたっていない様子だ。

 これから尋ねることで何かが起きる様な胸騒ぎがしないでもないので、コーヒーを出してくれとは言わず、椅子に腰かけてカウンターを掌で真新しい質感を楽しむように二、三度なぞった後、両肘を載せてやや前かがみになった。


「争いが起きていることは知ってるよな?」


 どうやら俺は顔にしわを寄せていたらしい。カトウはわずかに口を開けたまま、少し引き気味の愛想笑いで頷いている。


「イ、イスペイネ自治領の話ッスか?」


 違う、とぼけるな、と言葉では否定しない。首を左下に傾け、やや上目遣いで彼を無言で見つめると、カトウの顔から一瞬で表情が消え去った。


「それの前線に一番近いのはこの街はずだが、何一つ変わっていない。随分とノルデンヴィズは平和そうに見えるな。北部辺境の軍隊についてだ」


 そう尋ねると、カトウは鼻から息を吸い込むとカウンターの向かいで猫背になり、左右を見た後、「センパイ、その話はキケンッス。きょ、今日は早く、もう帰った方がいいッス、よ?」


 カトウは裏返った声でそう言ったあと、喉仏を上下させている。何かと話好きな彼は普段なら言わなくてもコーヒーを出してきたはずだ。

 しかし、珍しく引き留めることはせずにそれどころか帰るよう促してきた。カルルの叛乱と北部辺境領軍の離反について何か言うことはタブーの扱いのようだ。


 お互いに黙り込むと、シーリングファンの回るウンウンウンという音が聞こえる。


「少々大事な話だ。家庭があるお前を巻き込むのは心苦しい。だから、表に出てきてることだけでいいから、できるだけ答えてほしい。現状、ここはどうなっている?」


 カトウの視線がちらりと俺の背後のドア付近へと動いた。

 背後からは、ドアベルが音を立てないように押さえながらドアを開け閉めしているのか、カラカラと響きの悪い金属音がする。そして、重たい金属のような足音が聞こえる。

 どうやら民間人は履かないような頑丈なブーツを履いた人間が一人、また一人と店に入ってきたようだ。まだCLUSEの看板は裏返されていないはずだが。


「この辺りの領主はカルル……総統にすぐについたから争いはなかった、です。ここも北部辺境地域にギリギリ含まれるので」


 カトウがッスと言わなくなった。どうやら様子がおかしいのは気のせいではない。背後の足音は入り口付近で立ち止まったまま動く気配がない。客としては不自然な動きだ。


「そうか。じゃお前もアルエットさんも不自由はしてないんだな?」


「そう、です。いまのところは」


 カトウの視線は行き場に困るように左右へと泳いでいる。カウンターに肘を載せて前のめりになった俺はさらに近づくように腰を前に曲げた。カトウはそれから逃げるように、首を後ろに下げていく。

 カトウの腕がカウンターの上に置いてある金属のケースに触れるとカチャリと音がした。それは小さな音だが、馬鹿にはっきり聞こえた。


 もともと開店前であり客がいない店内は静かだったが、今は店内どころか、店先まで人がいないかのように静まり返っている。俺とカトウ、そして背後にいるその無機質な雰囲気を醸し出す何人かを残して人払いがされたようだ。

 俺は暑がるようにしてコートのボタンをはずして、裾を僅かに広げてカウンターに載せた。そしてそこへ組んでいた右腕の先の掌を隠す様にして杖に向けた。杖も理解しているかのように、ベルトから外れて動かないように宙に浮いている。


「ブルンベイクはどうなんだ? あそこには知り合いがいてな。戦火に巻き込まれてはいないな?」


 そう尋ねるとカトウの額に浮かんでいた脂汗がまとまり大きくなっていく。


「あそこは拠点みたいなもんでッスよ……? あそこ雄氏が後押ししたとかなんとか。そもそもベスパロワ家の領内でスから……、もともと、みんな……」とコクコクと小刻みに頷くとそれは頬をついた顎へ抜けて消えた。

 ブルンベイクの雄氏といえば、アルフレッドだろう。かつて妻のダリダは連盟政府にいいように使われて、挙句追われた過去がある。彼女は争いを好まないが、連盟政府に対して絶対に盾をつかないとは言い切れない。

 床の軋む音はいつの間にか増えている。少なくとも四、五人はいるようだ。


「そうか。ありがとう。それで十分だ」


 カトウににっこり微笑んだ。


「セ、センパイ、すまないッス……」


 俺はカウンターの椅子を素早く回して振り向き、杖を入り口の方向へ構えた。

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