表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

403/1860

ノルデンヴィズ南部戦線 第五話

 風が吹けばまだ緑を残した落ち葉が舞い上がる。魔力街灯の灯りの届かない薄暗がりにある白に近い灰色の石畳は、暗がりの色を青く反射して重く冷たく広がっている。

 踏みしめる靴底は分厚いが、その色だけで足の裏が冷たくなるようだ。木の焼ける臭い。暖炉か薪ストーブか。魔力暖房にはない、パチパチと弾けるあの音が恋しい。


 ノルデンヴィズはもう真冬の慣れた寒さになっていた。コートの襟を両手で握り、呼気を白くして寒さに襟を立てる人とすれ違う。ユニオンに長い間にいた体は温かさに緩み切っていて、その慣れていたはずの寒さを知っていながら体中の筋肉が熱を産めと縮んでいるようだ。


 この何日かの間に数回雪が降ったのだろう。道の脇の雪かきでできた雪山は、細かい灰が薄く降り、そこへさらに雪が降りを繰り返した結果なのか、灰と黒のミルフィーユのようになっている。

 ユリナに聞いた話では、例の噴火は今のところ小康状態らしい。降灰量はもうだいぶ減ってきているが、太陽光はまだ当分は遮られてしまうそうだ。確かに街中を歩いている人はもう防護をしていない。

 街の人々のほとんどは降灰が火山噴火のせいだとは知っていても、それが共和国の山などと言うことは知りもしないだろう。だが、突然降ってきて灰への備えは早雪への備えがあったおかげで万全であり、焦りや不安の色はあまり見られないようだ。


 寒いノルデンヴィズはいつも通りである。


 だが、忘れてはいけないのは、ここはもうカルルの支配下に置かれていると言うことである。今現在の行動の中心地はユニオンのラド・デル・マルのカルデロン別宅であり、ユニオンの元首に命ぜられて俺はこの地にいる。北部離反軍とユニオンは敵対こそしていないが、共同戦線を張ったわけでもない。そして、何よりここは前線に一番近い街である。


 荒廃しきっているか、それとも特需が生まれ異様な盛り上がりを見せているかのどちらかだと思っていた。

 しかし、痛々しい姿の傷痍軍人はおろか、戦いの痕跡や路地に渦巻く負の感情は全くと言っていいほどに見られない。その平穏に自分の中にだけある様な戦時の緊張が相まって不気味だが、どこか以前の日常の中に気のゆるみが生まれているのは否定できない。


 ここはもう連盟政府の支配下ではないので、かつての拠点に戻っても差支えがないはず。変わらぬ街の姿に刹那の懐かしさを覚えて、ふといつもの路地に吸い込まれそうになった。

 だが、足は止まった。懐かしき最初の街に帰ってきたわけではないのだ。立ち寄るのはやめることにした。


 路地の前で立ち止まり、一度空を見上げた。落ち始めて赤くなる頃合いの太陽は、素早く上空を流れる雲か靄の中で白く弱弱しく輝いている。青い空は戻ってくるのだろうか。

 カルルは今では叛乱の主導者だ。簡単に会うことはできないだろう。彼を一時的に匿ったブルンベイクのパン屋に尋ねればすぐかもしれないが、それは最後の手段にしよう、とあの娘への後ろめたさ故に近づき辛いそこへ行かなくてもいい理由を付けた。


 いずれにせよ、まずは情報収集をする必要がある。となるとうってつけのところがある。もちろん、あそこだ。踵を返し、ウミツバメ亭を目指した。



 久しぶりに店に向かうと、リフォームされたおしゃれな外観になっていた。以前のハーフティンバー様式を残しつつ、何か代官山にでもありそうな、シンプルな作りになっている。

 真っ白い漆喰の壁に『カフェバル・海燕』と形どられた金属が後ろから照らされて、立体的に見えている。何をやっとるんだ、あいつは。建築学部ならではのこだわりか。と思いつつ、かつて使われていたものを再利用した趣のあるドアのノブを掴んだ。

 ドアガラスの内側にはカーテンと共にコルクボードがぶら下がっており、まだ『CLUSE』の文字をこちら側に向けている。スペルミス。燕の漢字が書けて、どうしてこっちを間違えてしまうのだ。


 ディナータイムに向けた開店準備の邪魔になるだろうか、だがすぐに済む用事だ。話を聞いたらさっさと帰ろう。そう思いながらドアノブを押すと、カランカランとベルが乾いた金属音を奏でた。

 店内はかつてのウミツバメ亭の間取りとほとんど一緒だ。だが、カウンターもテーブルも椅子も調度品さえも新しく変えられている。

 ぐるりと新しい内装を見回し、まだわずかに残る新築の匂いを鼻で確かめていると、「ああー、サーセン。まだ営業時間じゃないんスよー」と聞きなれた声が聞こえた。金属を基調とした見通せるキッチンの奥から懐かしい声がしたのだ。

 声の主はキッチンから出てくると、こちらへ向かってきた。


「あれ? なんだ先輩じゃないッスか!」


「よぉ、元気そうだな」と手刀を切るように右手を上げ俺を見た彼は、眉を下げて笑っている。


「久しぶりじゃないッスか。まぁ、久しぶりってのはまたって感じッスけど。ホント、毎回薄情ッスよねー」


 久しぶりのカトウは、相変わらず「ッス」という軽い語尾を付けているが、頬が痩せて少し大人びたようだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ