表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

385/1860

紅袂の剣騎士団 第十三話

 カルデロン本宅での仕事が長引いていると使用人に伝え、別宅には帰らず深夜を待った。


 陽が沈み夜も更け、本宅の使用人が持ってきてくれた軽食を食べていると雨は止んで、雲の切れ間から星が見えていた。だが窓を叩く強い風は雲を音もなく流し、星の光りを遮る。


 そろそろ日を跨いだころだ。警備を残して本宅使用人たちは休息についたのか、生活音さえも途切れた。動けるとなるとこれからだ。俺はスラムにほど近い路地にポータルを開いた。


 抜けた先は静まり返り、眠れぬ街は暗く深い暗闇の中で寝息を立てている。やはりテロの直後であり、住民たちも警戒しているのだろう。

 この街ではお馴染みの遠くで誰かの引く楽器に合わせて歌う声や笑い声も、食べ物の匂いも一切しない。それはスラムを同じだった。以前スラムに足を踏み入れると、一歩入った時点で何者かの探るような視線や攻撃的な気配をピリピリと痺れるほどに感じるほどだった。


 しかし、その日のスラムはまるで本当の廃墟のように生を感じられない。失業率の低下により無人廃墟化が進み、人の気配もなければ、暗闇に光る眼も、走るドブような黒々とした不潔なネズミの姿さえも見当たらない。


 強い風はスラムの狭く入り組んだ路地に吹きこめず、空に見える建物から建物につながる黒いロープの影を乱暴に揺らし、どこからか迷い込んだ隙間風の低く途切れないうめき声を鳴らし続けている。

 入れ替わることのない鬱屈とした空気に湿度を与え続け、絶えず細く流れる汚れた小川は昼間の雨により水かさを増していた。避けるように歩くと足元はぬかるみ、一歩歩むごとにべちゃべちゃと泥を跳ねさせる。

 そして、それに付いて来るように響く、ぴちゃ、ぴちゃと雨水の残渣が路地のあちこちに垂れている音が聞こえる。真夜中であり、なおかつ人の気配がないスラムはかえって不気味で腰が引けてしまうが、立ち止まることなくひたすらに進んだ。

 辺りは真っ暗だが、下手に明かりをつけると瞳孔が縮んでしまって光が当たるところ以外の周囲が見えづらくなるので、雲間から時折差し込む星明りを頼りに進んでいた。足元の窪みにできた小川が薄汚く波打つ星空を映し返す。



 しばらく歩んでいると、その小川がわずかに途切れるのが見えた。視線を上げるようにその闇に目を凝らす、そこでは闇に紛れるような黒のローブが動いている。生き物のいない世界で唯一動くそれは暗闇だろうと目についた。


 わざと気づかせるように足音を立てると、気配に気が付いた黒のローブがこちらを向くのが見えた。フードがゆっくり外されると、その中でまとめられた黒髪に眼鏡の女性が微笑んでいた。


「お久しぶりですね。イズミさん。フロイデンベルクアカデミア以来でしょうか。おひとりで来ていただけて光栄ですわ」


「やっぱりあんたか。クロティルド・ヌヌー」


「どちら様でしょうね、それは。フロイデンベルクアカデミアであの強欲な商人たちに焼殺されたのではないですか? 今はシャルロット・ノーレと名乗っています。ふふふ。そうなると初めまして、ですね」


 フォックス眼鏡の女はフードから出た前髪をかき上げながら笑った。暗がりの中で色白の輪郭がぼんやりと見える。攻撃してくる様子はない。だが、警戒してしまい、手が杖の方へと延びてしまう。


「名前はどうでもいい。どうせそれも偽名だろう。ヤシマとの買い付けで入り込んだな?」


「ええ、おかげさまで簡単に入れましたよ。中毒になる嗜好品はもはや必需品ですからね。買い手にも売り手にも」


「あんたが式典の前後にここにいるってことは、式典へのテロはおたくら連盟政府の仕業か。しかし、このタイミングで俺を呼び出すとはいい度胸だな。捕まる気か?」


 だがクロエは笑い出した。


「まさか、私はあなたが抱いている私たち連盟政府への疑惑を晴らすために来たのですよ」


「そうか。好きにしろ。だが、今はとりあえず捕まえるから、話は偉い人の前で茶でも飲みながらゆっくりしてくれ」


 杖を右手で握り、まっすぐクロエの方へと向けた。


「フロイデンベルクではありがとうな。おかげさまで助かったぜ。さすが嘘も嘘だと見抜けない連盟政府の優秀な諜報部さま。このまま回れ右して帰ってもらって、あの槍のこともすっぽり忘れてくださるといいんだがな」


「不愉快な言い方ですね」とクロエは眼瞼をぴくつかせた。


「いたずらが過ぎるとこちらも手を出してしまうかもしれません。特に伝えること以外の指示は出ていないので。殺すな、とか」


「いいぜ。相手になってやる」


「ご冗談を。かないませんよ。私には」


「俺もいつまでも貧弱じゃない。あんた一人くらいならどうにかできる。誰一人連れてこなかったのも巻き込まないためだ。それに今日はあの商会の変な部隊もいないしな」


「ヴァーリの使徒、ですか。あれも無駄に歴史があるから厄介ですね」とこちらを伺うように止まり、眼鏡のブリッジを左手小指で押し上げた。


「あなたは確かに強い。そして仲間も多い。人は二種類に分けられます。戦いに勝つ強い人と戦いに負ける弱い人。仲間や守りたい人が多くなると、その中には必然的に戦いに負けてしまう弱い人も多くなります。そうですね。あなたの場合、例えば、ブルンベイクの――」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ