紅袂の剣騎士団 第八話
廊下からたったったっと誰かが走る音が聞こえてくる。
廊下を誰かが走るなど、もう不吉な予感しかしない。俺は頬がひくつくのを感じながらドアの方へゆっくり首を回した。
蹴り開けたかのように勢い良く開かれると、ユニオン空軍の制服を着た男がドアノブに手をかけていた。急いで走ってきたのか、肩で荒い息をしながらつばを飲み込んでいる。体つきは大きく、見覚えのあるその顔はおそらくヘマの元メンズの一人だ。
彼は「ルカス頭目、会議中にすいません! 緊急事態です!」と一度咳き込みながら言うとすぐさま姿勢を正し、掌を下に向ける共和国式の敬礼をしながらぴしりと立った。
「自分はアルバトロス・オセアノユニオン空軍、ラド・デル・マル空軍基地第三空挺師団、魔導空挺部隊所属の……」
「礼節はいい! 早く伝えろ!」
ルカスは丁寧に身分を名乗る男の話をさえぎった。
「ヘマ頭目が病院から失踪しました! 確認のためシルベストレ邸を訪問したところ、使用人たちからアニバル、保護児一名、計三名が失踪したと報告を受けました!」
ルカスはそれを聞くと口を開けて硬直し、しばらくのちにテーブルに両手を載せると、「なぜだ!?」と大声を上げた。それに空軍兵士は気おされたのか、背筋を伸ばし首を後ろに下げながら、「わ、わかりません」と小さくつぶやいた。
会議室にいた全員の注意が彼に向いていて、さらに廊下を歩いてくる音に誰も気が付かなった。その空軍の兵士をかき分けるようにしてさらに別の男が部屋に踏み込んできたのだ。
「頭目、こちらもすいません」と今度はどの軍でもない縹色の制服を着た小柄な男が現れた。吊り上がった目は座っていて第三空挺師団の男とは違ってやや冷静さを保っている印象を受けた。
「今度は何だ!?」とあきれるように、そして怒鳴るようにルカスは急かした。
「式典襲撃の犯行声明が出されました。ですがそれだけではありません。その犯行声明を出した組織がマルタンを占拠しました」
「なんだと!? どういうことだ! 救難連絡もなしにか!?」
「そのようです」
この男の話はかなり緊急事態だ。だが、伝え手の話ぶりがあまりにも冷静でそれが伝わってこない。
ルカスはそれにも気が付いていてさらに頭に血が上ったようだ。
「ええい! どいつもこいつも! とにかくその犯行声明を読み上げろ!」とその小柄な男に怒鳴り散らした。
「はっ!」と威勢の良い返事の後、焦る様子もなく犯行声明の書かれている紙を広げ読み始めた。
「“先のテロは人間への最終警告であり、宣戦布告である。我らの要求はすべて承認される未来が約束されている。なぜなら稀代にして最後の皇帝、紅きバルナバーシュ・フェルタロス・ジー・ベタルヒム・ヴェー・ルーア皇帝の聖血はまだ依然絶えず脈打ち、帝政思想主体である偉大なる殉国の父アラード・メレデントの遺志を継ぐ者である、ウリヤ・メレデント女史が幼いながらも偉大なる帝政ルーアの再起を願い、来る日に向け立ち上がった。我ら皇帝の臣下、紅袂の剣騎士団はウリヤ女史の指示の下、疾風迅雷が如くマルタンを制圧した。市民とヘマ・シルベストレ、他一名の生命の保証をする代わりにマルタンにて帝政ルーア亡命政府の承認を乞う”とのことです」
ルカスは倒れ込むように椅子に腰かけると両手で顔を覆い、二、三度擦った。
「ヘマは人質にされたのか!? 何をしているんだ、あんのバカ娘は! まさか人質ではなく主導者ではないだろうな!?」
「現時点ではわかりかねます」
「なんなんだ、そのチェルベニク騎士団とか言うのは! 聞いたこともない。要監視団体リストにそんな奴らはいなかったぞ! すぐに調査しろ。亡命政府の承認については厳密なルールがされていない。市民とヘマの命の保証を優先しろ! 認める様な勘違いさせるようなことは一言もないように伝えろ。不法占拠されてそこの主権を渡すのは負けも同然だ! 人の家の庭に勝手に線を引いて自分の物だと!? 嘆かわしい!」
冷静なつもりはないが、ユニオンも連盟政府に似たようなことをしたではないかと余計なことを言いそうになったが、今はそれどころではない。
大声を上げて怒鳴り散らしているルカスはそれこそ焦りを見せているが、その中にはまだ余裕が感じられる。
外は大荒れの様子だ。
雨脚は強まり、雷もだいぶ近づいてきたようだ。窓から見えるカルデロン本宅のあたりに稲妻が走る。音は大きく光りと共に窓を揺らし、耳を裂いた。
ティルナは相変わらず下を向いたままだが、もう振るえてはいなかった。しかし、稲妻の光りの中にわずかに顔の表情がうかがえた。紫の瞳は青白く燃えている。それは橙の火よりもより熱く、触れるものを燃やし尽くすような炎だ。
荒れ狂う雷を背に受けた彼女は何を焼き尽くすのか。まるで新月の闇の中で、青白い復讐の炎をまとう鬼が目を覚ましてしまったかのように見えた。