紅袂の剣騎士団 第七話
降り出した雨は、一時は強い風も相まって吹き荒れた。
夕方には風が収まったが雷が鳴り始めてしまった。早くなった日没の暗闇の中、ゴロゴロと遠雷が鳴り響く。夕立の様だが、いつまでも降り始めのまま何時間も降り続けているような。まるでいつまでも止むことがないかのように。
自分でかけ続けていた治癒魔法のおかげで火傷はとりあえず治まった。赤みの残ったケロイドにまだ少しピリピリとした感覚があるが、やけど直後のあの耐えがたい苦痛はもうない。
事後の対策を練るために俺はブエナフエンテ家の応接室にいた。現場からそのまま来たようなものだ。
ほんの少しの嫌な感じに右腕を眺め、指を小指から握り拳にしてグッと力を込めた。そうしているうちに、頭に包帯を巻いたルカスが書類を持ち、使用人と共に応接室に入ってきた。
部屋にいるのは、俺とティルナ、軍関係者、政府中枢関係者だ。会場の壇上の下の被害は最前列にいた兵士が数名巻き込まれただけであり、関係各所の長官たちは巻き込まれることはなかった。
「現時点で動けるのは私だけだ。ルカス・ブエナフエンテが指揮を執る」
ルカスは書類をテーブルに思い切りおくなり話を始めた。力強くたたきつけるかの如く置いたので、バーンとテーブルを揺らし、腕を組んで険しい顔をしていた長官たちは驚いて目を見開いた。彼はだいぶ苛ついている様子だ。
エスパシオ死亡。カリスト重体。ルカス軽症、ヘマ、バスコ軽症だが入院中。ナンバー1と2が機能停止してしまった。エスパシオの死を悼む間もなく、俺たちは対応を迫られることになったのだ。動けるルカスの傷も浅いものではない。いきなり降ってきた大役に苛立ちを隠せないのだろう。
「ヘマには復帰後すぐ指揮についてもらいたいのだが、なぜ拒否したのだ? 全く。傷が浅くないのは承知だが、困ったものだ!」と怒り肩に声を上げた。
「早速だが、始めさせてもらうぞ。まずユニオンの主軸たるカルデロン・デ・コメルティオについてだ。これは言うまでもなく皆勘づいているだろうが、会長の人事を発表する。ティルナ・カルデロン。あなたをカルデロン・デ・コメルティオの臨時会長に任命します」
ルカスがやや乱暴にそう言った。当たり前のように言ったが、これは前例がないことだと俺でさえすぐに気が付いた。カルデロン・デ・コメルティオの会長は女性ではなれなかったはずだ。故にマリソルもティルナは金融協会に派遣されたはずだ。
テーブルに並ぶ高官たちも、組んでいた腕を外したり、口や目を大きく開けてルカスを見つめたりしている。
「なんだ! 不服か? なら申し立てろ! だが、私を納得させられる代案を呈示できなければ無視する!」と言うと高官たちは顔を見合わせると腕を組んで目をつぶった。
それを確認したルカスは、ふん、と鼻を鳴らした。そして、ティルナの方を見た。
しかし、ティルナは返事をしない。下を向いたままぼんやりしている。
「ティルナ様? 聞いておられますか? ティルナ!」
しびれを切らしたルカスが怒鳴りテーブルをバンと叩くと、ティルナはびくりと大きく動きだした。
「は、はい!? 承りました!」
ルカスはため息をついた。しかし、しっかりしてくださいよ、と励ましはしなかった。エスパシオが急死した直後で励ますのはかえって逆効果になるだろう。それを知っているのだ。冷たいかもしれないが、最愛の家族の急死を悼んでいる余裕もないのは事実だ。
「あの、ですが。ヴィトー金融協会を今すぐ辞めることはできません。独立後も使用している通貨はルード通貨で、発行権を持つ金融協会からの離脱をするのは色々とリスクが高いので。正式に辞職をするのは……、あ、いえ」
ティルナは途中でもごもごと黙った。中央銀行設立、独自通貨発行後と言うわけか。それに関して、暗黙の了解なのか誰も何も言わずに視線だけをティルナに送った。
「事実上、協会の人質、というわけか。仕方あるまい。少々負担が増えますが、ティルナ様には二足の草鞋を履いてもらわなければいけませんな」
「構いません。カルデロンをここで途絶えさせるわけにはいかないので」
ティルナは先ほどまでのぼんやりとした感じとうって変わって力強く頷いている。ルカスはそれを見て安心したのか、少し落ち着きを取り戻したかのように鼻から息を吐いた。
「バスコも三日後に復帰し、研究を一時中断して加わるそうだ。かつて私はシスネロス家を除外しようと目論んでいた。このようなことを言う資格はないかもしれないが、非常に心強い」と言うとテーブルの全員を見回した。
「イズミ君、君は確かこの式典の音声を連盟政府と共和国全土に流していたな? どの程度まで情報が外に出た?」
指名された俺は立ち上がった。
「音声は演台の下の音声魔石ですべて回収をしていました。ですが、魔法攻撃でティルナ・エスパシオ両氏が撃たれた際に演台を破壊しました。
そのとき壊れましたので、エスパシオの死亡は内外に漏れてはいない模様です。粉々になった音声魔石は魔力停滞により発生した負荷で発熱し溶けた後に雨で冷やされて固まったようで、その破片もすべて回収してあります。
まだこの数時間程度の話ですが、使用人に頼んで何名か市民に聞き取り調査をしたところ、何かが起きたこと以外は知らない様子でした。共和国側にはまだ何も通達していません。ですが、式典で何かが発生し、妨害されたことまでは知っているようです。今後噂がどのように広がるかはわかりません」
幸運なことに演台にセットしていた音声魔石は壊れてくれたおかげで、エスパシオの死が公にされることはなかった。だが、何か事件が起こったことは勘づいているようだ。
移動の際、車から見た街並みはいつも通りだったが、キューディラでの騒ぎの直後に黒塗りの高級魔石エンジン車が屋敷から何台も連なって出て行く様子を見た市民たちは明らかに何かあったことを感じ取っていたようだったのを覚えている。街行く人々は首を伸ばし、そのエンブレム付きのギラつく黒い車列を何事かと見ていたのだ。
俺が現状報告をしている最中、ティルナが震えだした。辛いと思うが、エスパシオの死については直接的な表現をさせてもらう。俺は言った後に少し唇を噛んだ。
「よろしい。わかった。それ以上の情報は出さないように。公式に近い人物の噂で、という体で五家族頭目は全員無事、とでも流しておこう。式典に参加していた兵士たち、航空基地職員および各屋敷の使用人たちには箝口令を敷く」
だが、事態はさらに悪化することになるとはこのとき誰が予想できただろうか。