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違う。お前じゃない。 後編

続き

 窓を誰かが開け放したのか、波の音が聞こえてくる。少し目を開けると白いレースカーテンが揺れているのが見え、窓越しの空は青く、だいぶ日が昇ってから目が覚めたようだ。先に起きていたアニエスはバルコニーで登りきった朝日を浴びて潮風に当たっていた。そして、肩がはだけた寝間着と寝癖だらけでぼさぼさの髪のままのだらしのない格好でもそもそと部屋から出てきた俺を見て「イズミさん、おつかれなのですね」と微笑んだ。


 銀製のフードカバーがかけられている朝食から漏れ出だした匂いのせいで胃が目を覚ましたのか音をたて、つられてカバーを開けるとベーコンと目玉焼きと、そしていつかと同じクロワッサンといったよくあるものものが二人分並んでいた。届けられてだいぶ経ったのだろう。すっかり冷めきっている。


 バルコニーのアニエスはサンダルをそろえると部屋の中へ戻ってきた。わざわざ起きるのを待っていてくれたのだろう。テーブルに並べた朝食を二人で食べているとき、クロワッサンを食べるアニエスはうちのほうが絶対おいしいと言い続けていたが、その割には勢いがよく、四個のうち三個も食べていた。今後商会系列の宿で扱うパン類はすべてモギレフスキーベーカリーにしろとレアに、商会の仲間に伝えておくよ、と言うとアニエスは身振りが大きくなり慌てていた。



 ゆっくり始まったその日は森への移動日になった。移動と言ってもアニエスの開いたポータルをくぐるだけで五分もかからない。昼過ぎに到着する、と女神には連絡したが返事はなく不安ではあった。その後宿をチェックアウトし昼食後に移動することにした。


 そして、カリギウリの森の入り口に到着したのは昼下がり。

 前回来た時、式が始まる前にシバサキに追い出されかけたり、始まったと思ったら集会を妨害されたり、そして終わった後は聞き飽きた強烈な自分語りを聞かされるなど、どたばたとしていて落ち着きを得られなかったので、森の中をのんびりと見回す余裕はなかった。鳥の鳴き声に耳を澄ますために足を止め、そしてあたりを見回すと大きな木が多い立派で静かな森だった。小道があるところ以外は苔で覆われている。温暖な地域が近いためか、一年を通して気温の変化は少なく、低くはないので木々も青々としている。安定した気候で聖域と言うにはぴったりなのかもしれない。


そして、ここでアニエスとの旅は終わりでお別れのはず。


「アニエスさん、ありがとうございます。連れてきていただいて助かりました。経路も分かったのでもう大丈夫です」


 俺のことを励まそうとして旅行に連れまわしたことは実のところ感謝してもしきれない。たまたまとは言え素晴らしいものが見られた。出かけ始めのころの不満を隠しきれずしてしまった苦々しい俺の表情の数々を忘れてはくれないだろうかと、口の中が酸っぱくなった。そしてもうお別れかと思うと少し胸が苦しくなった気がした。


 しかし、挨拶を聞いたアニエスは両眉をあげて不思議そうな顔をした。


「何言ってるんですか? まだまだですよ。綺麗な森ですよね。ここ、集会があるとき以外は普通に入れるんですよ」

と森の中にずんずんと入って行った。


 目的地にはもう着いたがこれ以上何かするのだろうか、と首をかしげてしまった。きちんと家まで帰られるのであればそれを止める理由もない。少し先を歩いていく彼女に追いつくべく小走りで森に入った。



 小川にかかる苔むした石の橋を渡ると見覚えのある原っぱについた。前回の集会が執り行われたところで、真ん中あたりにある古いオリーブの巨木の下に一人の女性が腰に手を当て立っている。


「おーす、イズミくん。来たなー。じゃさっそくやろうか。あれ? 顔つきが変わったかにゃ? 痩せた?」


 足音に気が付いて振り向いた顔は久しぶりに見る女神だった。

 事前にしておいた着く前の連絡が届いていたようだ。こちらから女神へのアクセス権を与えられていたのは知っていたが、肝心の方法がわからなかったのでとりあえず念じてみるといういい加減な連絡方法で正解だったようだ。カルモナから抱えていたもやもやから解放され、片手で腹を押さえてしまった。


 髪を太めの輪ゴムでポニーテールにまとめあげ、えんじ色の三本線の入ったジャージの上下に、土で薄汚れた有名なメーカーの白いランニングシューズを履いている。学生時代のものなのか、ほつれて取れかけの名札が付いている。にじんで文字が読めなくなっているのはきっと何度も洗濯した結果だろう。


「あ、今あたしの名前名札で確認しようとしたでしょ。残念でしたー。もうかすれて読めませーん」


 名札にちらりと視線が移ったのを見逃さなかった女神は取れかけの名札を引っ張り見せつけてきた。


「こんにちは。何とか間に合いましたよ。もう少し早く言ってくださいよ。それにしても学生時代はかすれて消えてしまうほど昔のことなんですね! ははは!」

「あははは! チッ言うようになったわね」

「いえいえ、おかげさまで素直になれました」


 逆鱗に触れない程度の冗談を言えるほどに女神のことを理解し始めたのか、まるで旧友にあったかのように自分でも驚くほど軽い受け答えをしてしまった。


「やろうかって何を始めるつもりなんですか!? そもそもいったい誰ですか、あなた!?」


 俺と女神とのやり取りを見ていたアニエスが体をこわばらせて突然声を荒げた。それに驚いて大きな声のするほうへ口を開けたまま視線を送る女神。俺のほうへ向きなおると親指でアニエスを指した。


「誰この子?」

「バイト先の娘さん」


 女神はほふっ、と嬉しそうな息をもらし鼻の穴を膨らませた。そしてアニエスに近づき品定めするようにふんふん言いながらまじまじと覗き込んでいる。

 そして今度は俺に近づいてきたかと思うと、ひじを肩に乗せきて、人差し指で俺の胸に円を描き始めた。そして細めた目でアニエスを見ている。


「あたしはねぇお嬢ちゃん、イズミくんの大事な人よ。いついかなるときもお互いをすぐ呼び合える仲なの。そしてこれから色々ヤらなきゃいけないのよ~ん。だ、か、ら、さっさとおっぱじめたいの、うふ」


 その姿を見たアニエスは一歩引き下がり眉をひそめて口を開けていた。そして、わなわなとふるえはじめた。


「ど、どういうことですか!? イズミさん!? こんなおばさんの何がいいのですか!?」

「おばっ!?」


 動揺したのか、俺の肩から肘が落ちた。確かに美人だが若くはない。おばさん、と言われることに抵抗があるのか。


 俺が甘かった。

 幾度となく呼び出されて話をするうちに、この欲求不満で色恋沙汰に飢えているだろう下ネタが大好きなおばさん女神の前に、会うたび童貞とバカにされる俺が女性を連れてくるとこういう事態になるというのは想定できたはずだ。首の筋がこわばるような感じがして、後ろを手で揉みしだく。


「あの、なんで話をややこしくするんですか? 確かにいないと困りますけど」

「そんなはずありません! 確かに髪色と瞳の色は伝説上と同じですけどこんな威厳がないはずがありません!」


 顎を上げて怒鳴るアニエスの姿を見た女神は「この子も言うわねぇ」と言いながら両手のひらを上に向け口をへの字に曲げた。そしてため息交じりにやれやれとこぼした。

 女神と俺の先ほどのやり取りを見ていたアニエスには、女神はただのおばさんにしか見えないのだろう。いくら慣れ始めたからとは言えこの人は女神という超自然的な存在。(呼び出しを五か月もの間放置した口が言えるものではないが)もっと恭しく挨拶をするべきだった。アニエスの中での女神の印象付けを誤ったと女神に申し訳ない気持ちになったが、お構いなしにからかいすぎる女神にいらだち、腹の中がもやもやとする。


「アニエスさん、落ち着いて。とりあえず1回森を出ましょう。そしてお話してきましょう」


 アニエスに近づき、そっと袖を掴むと俺の手は勢いよく払いのけられた。


「ヤダヤダ! イズミさんは黙ってて! なんなのかわかるまで帰らないもん!」


 顔を真っ赤にして俺の体を押しのけて女神の前に立ちはだかった。


それを見た女神もさすがにやっとやりすぎたと理解したのか、

「仕方ないわねェ。ちょっと着替えてくるから待ってて」と女神は忽然と姿を消えた。


 ぷりぷり怒り続け何かをブツブツ言い続けるアニエスをなだめながら5分くらいが経過した。そして女神は「お待たせ」といって再び現れた。そこには服装は伝説上の姿とおり二つの女神がいた。この世界の絵画に描かれているようなメイクはしていないが。

その姿にアニエスは息をのんだ。


「ほ、本当に女神さま、なんですか? あのア」

「あーわーわー、名前言っちゃダメよ―。まだ信じてもらえない?それはあなたの自由よ。あなたが信じようと信じまいとあたしはこれから賢者の任命式の準備をしなければならないの。そこにいる男が賢者になるために必要な、ね」


 しかし、すぐに表情を戻しそっぽを向いて眉をひそめた。


「し、信じません! こんなに目が小さいわけありません! でもイズミさんが賢者になるために必要なら帰ります!」

「いちいち言うわねぇ。あなたのお父様、確かアルフレッドくんよね?聞いてみるといいわ、あたしのこと」

「なぜ、父の名前を知っているのですか!?」


 自分の父親の名前を聞いたアニエスは声が震えている。


「それはあなたのお父さんは勇者だからよ。そしてあたしはその上司にあたるの」

「信じません! でも今日のところは帰ります!」


というと、立ち上がり「イズミさんのバーカ」と言いながら走り去っていった。

 後姿を見送る女神の鼻筋にしわをよせた表情はなんとも意地が悪いものに見える。


「あははは、かわいい娘ねぇ。帰るなら移動魔法使えばいいのに。追いかけなくていいの?」

「なんでですか?」


 俺がそう言った途端、女神は猫背になり顔から先ほどまでの明るさが消え表情が無くなった。


「あんたダメね。まぁいいわ。あの子入り口で待ち構えてるから、設営終わったら話しかけてあげて。あたしもう一回ジャージになるからちょっと待ってて」


と言うと再び姿を消した。



 動きやすい格好にもどった女神に設営の手順の説明を受けているとき、背後から声がした。


「わ、私も手伝います!」


 髪型をポニーテールにまとめてさっきまでのナチュラルメイクではなくばっちり化粧していたアニエスが仁王立ちしていた。それを女神は見るや否や右の口角を上げていた。


「あら、おかえり」

「こんな淫乱おばさんと二人っきりにするなんて、ぜ、絶対ダメです!」

「そろそろバチあてたろかしら、、、。でも手伝ってくれるならそれでいいわ」

「女神さま、いいんですか?こんなに人に干渉して」

「大丈夫よー。あたしはただの淫乱おばさんだもん。ぶちゅぅぅンマッ」


 両手を口に当てその後大きく両腕を開いてわざとらしく大げさに投げキッスしてきた。


「あふぁー!? 何してるんですか!?」

「あーっははははは!この子面白いわ!」


 表情を歪ませ唇を一文字に結ぶアニエスを見て女神は腹を抱えて笑っている。


 アニエスの手伝いもあって設営は早く終わった。それでも始めた時間はそこまで早くはなかったので、終わった時にはすでに肌寒くなり空はすっかり茜色だ。もう小一時間もすれば暗くなりフクロウも鳴きはじめるだろう。

 女神はため息をしながら汗をぬぐった後背筋をぴんと張り伸びをした。俺は予行演習した段取りをもう一度確認していた。


「アニエスちゃん、おかげで早く設営終わったわ。ありがとう。でも、あなたはもう森に入れなくなるけどいいかしら?」

「だ、大丈夫です! イズミさんと同じ宿に泊まります!」

「それだけど、たぶんお父さん心配してるよ? それに来られなくなっちゃうかもよ?」

「うっ、た、確かに、です」

「アニエスちゃん、安心して。あたしがこんなイカ臭い童貞相手にするわけないでしょ。お父さんも心配してるから帰ってあげて」


 女神はアニエスの肩に手を乗せて目線を合わせると笑顔で見つめた。やや上目づかいで見つめ返すアニエス。


「いか? クラ―ケンが何ですか? それにどうていってなんですか? 父が来られなくなるのは困ります。じゃあ、か、帰ります」


 立ち上がりちらりと俺を見た後、荷物をまとめだした。それと同時に女神は俺のほうを見て顎をクイッと上げて何かの合図をした。送っていきなさい、とでも言いたげだ。


「もう暗いし、送りますよ。服も夏物だから冷えますし」

「大丈夫です。ここから家に魔法ですぐ帰れます。海とかは、ちょっと旅行したかっただけ、です。それでは」


 そして小さくうなずいたアニエスはポータルを開いてブルンベイクの自宅へと戻って行った。


 ポータルが閉じるのを見送った後、

「あたしも疲れたし帰るわ。あんたもさっさと帰んなさいよ。宿どうすんの? 野宿?」


と女神はあくびをしながらまた伸びをした。関節がぽきぽき音をたてている。


「アニエスさんにここまでのルートは聞いて位置認識ができたのでノルデヴィズに帰るつもりです」

「あっそ。気を付けて。寝坊禁止よー。明日式終わったらお祝いしましょ。あんたが面倒臭くない時間に適当に呼び出すから」


 ごめんなさい。ほぼすべての時間において面倒くさいから行きたくないです。とは言わない。あまり悪い気はしないので誘われたら顔だけでも出そう。わかりました、と言ったあとポータルを開いた。ポータル越しに見るノルデンヴィズは町灯りがともり始めていて夕餉のいい匂いもする。あたりは暗くすでに日も落ちているようだ。くぐり際に挨拶をするために振り向くと女神はもういなくなっていた。移動こそすぐにできるが、前回の寝坊のことを思い出すと焦って仕方がないので拠点に着くなり、そそくさと眠りについた。


  *    *


 寝坊はしなかった。

 早く寝たのはいいもの寝過ごすのではないかと夢見も悪く、何時間も早起きをしたのだ。二、三度寝ができるほど余裕を持って起きてしまい、だいぶ暇を持て余してしまったので早い時間に森へと移動することにした。


 ノルデンヴィズの町を出て、少し開けたところで森の中の原っぱへと通じるポータルを開き、そのまま潜り抜け到着した。

 少し風の強い日で揺れる木々がささめいている。木々の切れ目から覗く青空では風に運ばれていく雲の流れが速い。コートを着ていると少し暑いくらいで、気持ちのいい朝だ。昨日セットした岩の隅に腰かけてアニエスが渡してくれた日持ちするパンを片手にしばらく待つことにした。


 日が昇るにつれて各地の勇者たちが集い始めてきたので女神はもう姿を容易にさらすことはできない。しかし、女神も待ち時間を持て余しているようで頭の中に無駄話をふってくる。


「あんたさー、あのアニエスって娘とデキてんの?」

「んなわけないですよ。バイト先の娘さんですよ? しかも辺境の英雄の」

「なんだぁ~つまんないのぉ~。でもさでもさ、まんざらでもないでしょ?イケるでしょ?普通にかわいいし」


 うっとおしいことこの上ない。

 そして、式が始まる5分前になった。この式への参列は任意である。それゆえに参列者は前回も半分もいない。その人たちはほぼそろったがシバサキは依然として現れなかった。


「シバサキくん、来ないんじゃないかしらね。やる気あるように見えて結構サボりだし。今回は昇給とかに響かないからだるくなっちゃったんだろうね」


 昨日セットした舞台裏に装置の最終確認をしに行くと、たまたまそこにいた女神は普段とは見違えるほどにばっちりメイクをしている。


「いや、絶対来ますよ」


 確信に近い自信がある。なぜなら彼は自分自身が賢者になると思い込んでいるからだ。しかし、そのことを女神さまに言ってしまうのは、一応の上司を馬鹿にしているような気がするのでしない。いくら女神さまが彼に対して、ああ彼ね、と言う飽きれた態度を取っていたとしても言っていいことと悪いことがあるのはわかる。


「なんで?」

「色々と、あるんです」


 しかし、そう思うことは自由であり誰にも止められないので、心の中いっぱいに。

そう、と表情少なげに女神は前を向いた。そして準備があるから、と姿を消した。もう式も始まる直前なので俺も列に戻った。





―――これより賢者の命を授ける。選ばれしものよ、石の祭壇に出たまえ


 即席の石の祭壇の上にホログラムのように透けた女神が奥ゆかしい顔をして立っていた。フクロウの羽とオリーブの枝が付いた金の王冠を両手で持っている。その姿はタバコをポイ捨てするような姿やおかきをボロボロこぼしたりジャージでうろついたりする普段の様子からは考えられないほどに美しく、息をのむほどだった。仕事はきちんとやりぬく、この人はれっきとした女神なのだ。


 設営後に説明された段取り通り、列から前に出て、回れ右(右足を右に向け、体を右に向け、最後に左足を整える)をして祭壇の前まで行き、回れ左(回れ右の反対の動き)をして階段を上り、女神さまの前でひざまずく。

 会場からはやる気のないまばらな拍手がぽちぽちと聞こえてくる。


 王冠が載らんとするまさにその時だ。遠くから人の声がした。


 会場は静まり返っているのでその声にはみなすぐに気が付いた。

 何ごとか、とみないっせいにそちらの方向に眼をやると、見覚えのある顔が見えた。彼以外には考えられない。


 ホラ来た。シバサキだ。


 視界の隅に見える立体映像の女神の顔は、引きつらせないように堪えているのか、まぶたや頬がひくひくとしている。


「すいませーん。おくれてごめんなさーい!」


 息を切らして人の波をかき分け祭壇の前に駆け寄る。膝をついて息を整えてこちらを見た。

祭壇をどたどたと勢い上がった。


「新人、代理で上がってくれてありがとう。もう間に合ったから大丈夫だよ」


次の瞬間、肩に手のひらがふれたと思うと、俺は宙に浮いていた。


 勢いよく肩を押されてバランスを崩し、石の祭壇の裏へと落とされたのだ。落ちていく途中、足に何かが当たったような気がした。草の上に落ちて足を見ると魔力伝線(ケーブル)がまきついている。裏に見えないように配置していた女神を写しだすための映写機に足をぶつけて魔力供給源(コンセント)を抜いてしまった。

 立体映像は消え、手に持っていた王冠はカランと軽い音をたて地面に落ちた。そしてみるみる灰になり風に舞って消えて行った。何かが起きたことにざわざわと参列者がささやき始めた。


「あれ? どうなったんですか?」


 シバサキが祭壇の上でしきりに瞬きをしながらあたりを見回しているのが見えた。起き上がろうと腕に力を入れると肩に痛みが走った。落ちたときに頭はぶつけなかったが受け身をとれず、肩から落ちて強くぶつけたようだ。肩を押さえながら起き上がると上からシバサキがこちらを覗き込みながら、


「おい、新人! お前今なにした!?」


と怒鳴り声をあげている。


「いえ、何も」

「何もしてないわけないだろう! お前が勝手に祭壇から落ちた直後にこうなったじゃないか!」


 額に汗をかき始めたシバサキが再び怒鳴り声をあげた。

 アルフレッドや他の勇者たちが祭壇の裏に駆けつけて、大丈夫かと声をかけてくれた。そして俺の手を引き起こしてくれた。


 一方、シバサキは祭壇の上でバカだの、アホだのとまだ何かを怒鳴り続けている。あの状態のシバサキと話をすると怪我が肩以外にも増えてしまいそうなので、他の勇者たちと話をするどさくさでシバサキのいるその場から離れ、彼の怒りが静まるまで痛いふりをして介抱を受けることにしよう。

 幸いなことに、みな同じようなことを考えていたようで、怪我が大きくないのを分かっていながらこれは大変だ、痛かろう、人をもっと呼べ、と大げさに反応した後、近づかせないように十人がかりで俺を担いで運んでくれた。女神はその後姿を現すことはなく、任命式は主役不在、プレゼンター不在、装置の故障となり、再開の判断もなされぬまま継続困難に陥り中止となった。


 そして一時間ほどたったあと、俺の周りで治療をするふりをして話をしていた勇者たちがいなくなった。彼へのタイムアウトの時間は終わったようだ。それと同時に少しおとなしくなったシバサキが眉間にしわを寄せながら細めた目をして近づいてきた。


「新人、いったい君はどれだけ僕の邪魔をすれば気が済むんだ。今までは大目に見てきたが、今回はもうただではすまされないぞ」


 座っていた俺に目線を合わせて、まるで諭すような言い方をしている。奥歯を気が付かないうちに噛みしめていた。


「あの、シバサキさん。その件に関してご報告があるのですが」

「はぁ? 今さら謝られても困るんだよ。式はグダグダになっちゃったんだから。その分の落とし前付けてもらわないと。式の準備をするのも女神さまは大変だったに違いない! お前はそれを無碍にしたんだからな!」


 曇っていただけの顔が赤みを帯びはじめ、声のトーンも下がりはじめた。語尾行くほど棘を増していく口調から察するに、また感情的になりつつあるのだろう。

 この人に許可を得てから発言するようではもう埒が明かない。聞いていようがいまいが、言ったにしろ言わないにしろ聞いていないのだ。ならばもういちいちリアクションを待っているようではだめなのだ。火に油を注ぐ覚悟で口を開いた。


「賢者になるの俺なんですよ。シバサキさんは女神さまから直で連絡行きましたか?」


 シバサキの表情が消え、動きが止まった。咥えていたタバコがぽろりと口から落ちる。しばらく唖然としていたが、いきなり笑い出した。


「わは、わははははは! 新人、冗談がうまくなったな!始めて1年もたたない素人がそんなのになれるわけないだろう! はははははは! もう少し考えていいなよ。でも面白いはそれ! ウケる! バイト先はサーカスにでもいたのか! ははは!」


 だが次の瞬間笑顔を一変させ、ゆらりと前かがみになり、脅すような表情の顔になった。そして肩に腕を回し持っていた剣の鞘で俺の頬をぐいぐい押しながらどすの利いた声を出した。


「次ふざけたこと抜かしたら、覚悟しとけよ」


 投げ捨てるように体が離れたかと思うと、森から出て行った。

 見送っていた背中が消えた頃、遠巻きに見ていた勇者たちが俺の周りに集まり始めて、口々に祝福をしてくれた。

 それだけで十分だ。人混みは苦手だし、飲みに行こうなどと誘われる前に俺も帰ることにしよう。






「はーい、イズミくん賢者おめでとーう。かんぱーい」

 女神さまは上機嫌にビールを飲み始めた。

 いつも通りの暗闇にぽつねんと出現しているこの空間に、今日は掘りごたつのテーブルが置かれ、端には醤油差しやら七味やらが置いてあり和風居酒屋の一角ようだ。

 すでに用意されていたレモンサワーを片手に席に着くなりいきなり乾杯となった。


 式中止後、早めに家路に就いた俺は拠点に着いたところで記憶が途切れている。その前後のタイミングで女神に呼び出されたのだろう。乾杯のあとにお通しに箸を伸ばす。もずくにレモンが乗っていて、口に運ぶと塩見の後の酸味がした。

 失礼しまーす、と女性が現れた。何かと毎回色々運んできてくれた女性が作務衣を着て注文を取りに来た。名札には丸っこい文字で『あーちゃん』と書いている。名前の横にハートマークがかわいらしく描いてあり、フクロウのシールが貼ってある。


「グダグダになっちゃいましたね。申し訳ないです。それにしてもなんで映像途切れた後は何にもアクションしなかったんですか? シバサキさんに怒鳴られましたよ」


 女神は一度ジョッキを置くとあ~いやいや、と片手で手刀をきりながら、


「あの場に出るとシバサキくんがまたしでかしそうだったから。ごめんね。お詫びに片づけやんなくていいから。今後には関係ないから安心していいけど、今日みたいに大事な日があんなのでよかったの?フクロウの羽の王冠欲しい? あれ羽と枝は本物だけど、おととし忘年会のためにヴィレヴァンで買ったパーティグッズの残りにプラスチックの王冠があって、それにハンズで買った金色のおり紙貼っただけだから」

「いや、まぁあんまり実感がないもので。あの後シバサキさんには話したんですけど、結局信じてもらえなかったですね」

「あたしが前もって誰がなるってはっきり言わなかったのが悪かったわ。言い訳みたいだけど、あなたを守るためもあったのよ」

「言ってましたよね、そんなこと」


 苦笑いをしている女神からレモンサワーのジョッキに視線を落とし、くるりと回すと溶けかけた氷が回った。

 女神なりの考えなのはわかっていたが、どうすれば正解だったのかはわからない。


「書類上年度内残り何日かは勇者だけど、もう実質賢者なんだから、力も魔力も桁違いよ。自分で身を守るくらい簡単よ」


 手のひらを見て閉じたり開いたりして見るも、何も変わった感覚はない。


「何も変わった感じはありませんが」


 前を向くとジョッキを片手に女神は笑っている。


「あんたの杖であのおぼこい子に教わった魔法唱えてみなさいな。くれぐれも力はセーブして人のいないところでやりなさいよ」

「そうですか。今度訓練施設にでも行ってきます。あの、それで申し訳ないんですが、今日のところは早めに帰ります。明日からチームシバサキの活動開始なので」

「つれないわねぇ。まいいわ。無理やり付き合わせて業務に支障出たら本末大転倒だし。気を付けて帰んなさい」


 テーブルに頬杖をついて、ビールの入ったグラスのふちを指でくるくる触っている。


「あ、そういえば役員昇進おめでとうございます」

「あら? 覚えていてくれたの? 新年度からあたしも役員よ!」


 女神ははっと上体を起こし驚いた顔をしてまっすぐ見つめてきた。笑顔が顔中にゆっくりと広がっていった。役員になれたことでどんないいことがあるのだろうか、それは俺にはわからない。でも、目の前にいる女神は満面の笑みを浮かべている。何かと苦労をかけてきてしかめた面ばかりさせてきた女神のうれしそうに輝く表情は珍しい。

 俺はテーブル脇のメニューを手に取り飲み物のページを開いた。


「なんだかうれしそうですね。せっかくだしもうちょっと付き合いますよ。○刻者ください、ロックで。女神さま次どうします?」

「お、若いの、いいねぇ。あーちゃん、焼酎なしで! 日本酒! 『十四○中取り』いきましょ」

「えっ、結構値段しますけど!?」

「あーいいのいいのおごるから」


 結局、それとは別に一升瓶を頼み、寝落ちしてしまうまでしこたま酒を煽った。飲む相手次第でもあるが、昔から面倒くさいと言いつつも参加するとついつい楽しんでしまう。


 うっすらと最後に覚えているのは、PUF○Yの曲を熱唱する女神と一升瓶を抱えたあーちゃんがはじのほうで体操座りをしながら頭をこっくりこっくり動かし舟をこいでいる光景だった。


読んでいただきありがとうございました。感想・コメント・誤字脱字の指摘・ブックマーク、お待ちしております。

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