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真冬の銀銭花 第十四話

「座るところがだいぶ変わっちまったなぁ。ぼろい椅子の上か。みっともねぇ」


 ユリナの言い方は乱暴だが、私の拘束はあまり厳重なものではなかった。


 会議室に入ると、円卓から見通せる位置にかなり年季の入った足の短い椅子が用意されていた。肘置きの付いたマホガニーのそれはどれほど長い年月使用されていたのだろうか。塗られたニスは手入れを感じさせるが色は黒ずんでいる。どうやらあそこが私の座る椅子のようだ。



 四省長議内で行われる被疑者招致詰問を受けるためにギンスブルグ邸から評議会議事堂への移動の際、ウィンストンの車でユリナ、シロークと同乗した。そのときは二人がいたからかは定かではないが、手錠はされることもなく、三列目のシートに1人で座らされた。


 逃げ出そうと思えばいつでも逃げ出せる。屋敷にいる時よりもそのタイミングは多かった。だが、私にそれをする気はなかった。もはやしても意味がない。

 協会の秘密任務に失敗し全権を放棄した私になんの力もなく、四面楚歌でありさらにそこには協会も加わっているような気がしていたからだ。

 それでも諦めの境地に陥り自暴自棄にならなくて済んだのは、被害者たるマリークが私の味方をしていたからだ。ユリナ、シロークも、女中部隊さえもそれを分かっているのか、何かしてこようとはしない。


 だが、それは緩い監視の中で気分が緩み切っていただけのようだ。その椅子を見ると引き締められるように張り詰めた。不気味な見た目のそれは否が応でも不安を掻き立て煽る。


「カミーユ、悪いようにはしない。息子も君を責めるな、自分の意思だと言い張っている。あれほど私に向かって強く言うのは初めてだ。きっと嘘ではないのだろう。息子が大人になったのを見たようで少し寂しいが」


 椅子を見て立ち止まる私にシロークはそう言うと、その椅子の方へ掌を向けて促すように見つめた。


「君も逃げるつもりはなさそうだな。席に向かいたまえ」


「寛大な処置をお願い申し上げます」


 逃げないのではない。逃げられないのだ。椅子を見るまでの私は逃げるつもりはなかったはずだった。

誰かに引かれるわけでもなく、私は足を震わせながらそこへ向かい、椅子の左側に立ち会議が始まるのを待った。


 しばらくすると四省長官たちとアルゼン特別顧問が部屋に続々と顔を出し始めた。マゼルソンはいつもの硬い表情で粛々と座席に向かい、アルゼンさんは、ああおはよう、と声をかけてきた。蔑むように見下されるかと思ったが、誰一人対応が変わらないのは少し予想外だった。

 しかし、これから何が始まるのか、屋敷での穏やかなものとは違う雰囲気にのまれていた私にはそれも恐怖でしかない。


 全員が揃いそれぞれの椅子に座るのを確かめた後、私も遅れて椅子に座った。すると一人二人ではわずかに動かすこともかなわないようなドアが軋みを上げて閉まってしまった。



 シロークは私の視線よりも高い位置に揃い踏みした四省長官を見回した後、


「さて、長議を始めるとしよう。本日はまず被疑者招致詰問から始めるとする。誘拐未遂事件の明細は……省略させてもらう。連盟政府に問い合わせたところ、会議を始める15分前に回答が得られた」


 と不満気に切り出して会議を始めた。

 その横でユリナが、ボンクラどもが、と小さく独り言ちていた。二人とも返答が深夜のうちに来なかったことに対して不満があったようだ。


 気を取り直すように一呼吸置いた後、円卓の上に置かれた書類を持ちあげて内容を読み上げていた。その間、マゼルソンは結論だけを飛ばしてみているのか、一人先走り紙を摘まみ上げ最後のページを見て方眉を上げている。

 ユリナは円卓に足を載せて椅子の背もたれに手をかけ、反対の手でだらしなく垂れた紙を持ち上げ、アルゼンさんはシロークの言葉を聞きながら文字を追うように見ている。長官たちは書類束を思い思いそれぞれに見通しているようだ。

 しかし、読み上げていたシロークがページをめくると一同の動きが止まった。


「慌てて翻訳させたので内容に齟齬があるかもしれないが、マリークの誘拐は倒錯したカミーユの独断専行であり、政府・協会ともに無関係、だそうだ」とそれに合わせるように、シロークは一度読むのをやめると顔を上げた。


「なんですって!?」


 思いもよらない内容に驚き、椅子から立ち上がろうとすると背中の痺れでバランスが崩れそうになった。立て直す様に一度椅子に掛け再び立ち上がった。


 マゼルソンは円卓に両肘をつき、続きを追いかけるように言った。


「処分はこちらに一任。言いがかりをつける様な真似は許されない。交渉継続する意思があるならば、両国の利益と豊かな未来への発展を目的とした我々の提案に乗り、なおかつ共和国側のより一層の協力と譲歩が不可欠、と書いてあるのだが……。やってくれたな」と顎を引いたまま私を睨みつけた。


 何か言い返そうと頭を巡らせる。しかし、ふと指示の内容を思い出した。私は“いかなる状況でも”と言う言葉を勘違いしていたのだ。

 冷静に考えれば、誘拐に失敗した現状で連盟政府にはマリークという手札がなく意味のない状態だ。違和感を抱き不審に思っていた連盟政府に対して、失敗しても犯行声明を出してくれるだろうと、自由になる、逃げる、などと言っておきながらどこかで信用していたのだ。

 その瞬間、責任の転嫁を図ろうとしていた自分がみじめになった。


「わ、私は政府からの指示を受けた! マリークを誘拐しようとしたのは事実ですが、独断専行ではありません! ですが、彼を巻き込みたくないので連れ出した後、連盟政府には渡さず私一人で彼を守るつもりでした! 私の、私だけの傍にいれば、連盟政府の手の内にあるのと同じだと思ったからです!」


 それでも口をついて出てくるのは人のせい。何を言っても卑屈にしか聞こえない。


 全員を見回すようにそう訴えたが、ユリナは私に目を合わせることなく、「ぬかせ。ボケクソが」と持っていた書類を床へ落した。


「聞いてください! 私なりに彼を、マリークを守ろうとしました! 彼を傷つけずに交渉ができると思ったのです!」


 混乱と卑屈のあらしの中でもはや自分が何を言っているのかわからなくなってしまった。しかし、


「無関係なわけねーだろーが!」


 ユリナは支離滅裂になった私の叫びを遮るように怒鳴り声を上げると円卓を思い切り蹴った。置かれたコーヒーが波を打ち、ソーサーに点染みを付けた。そしてガンと立ち上がり、ヒールの先端で連盟政府から来た連絡を踏みにじった。


 その様子に私の混乱は一度止まり、思わず眉を寄せ、えぇ、と息を漏らした。別の混乱がそれを鎮めてしまったのだ。ユリナは怒り狂っているが、その怒りは私に向けられていないような気がしたからだ。


「事の重大さを分かってねぇ上に誤魔化すなよ、クソ人間ども。石の筋肉が詰まったカチカチ脳筋がンなことするわきゃねー。私はそいつを傍で見てきた。どう対処するとか何にも言わない連盟政府を取り仕切ってんのはトウシロか?」


 続けたユリナの発言に長官たち一同が頷いた。


「倒錯した女一人のせいにして、さらにそれを利用するとはな。見上げたもんだ、人間(エノシュ)


 マゼルソンが顎を下げたまま、低く響かせるようにそう言った。


「おい、誘拐がうまくいってたら何を要求するつもりだったんだ? マリークも話したことは分からなかったって言ってる。お前の口から説明しろや」


 聞いたこともないような乱暴なユリナの言葉に、部屋にいた全員の視線が私へと向けられた。


 混乱に混乱をぶつけられた頭の中で、本当のことを言うべきだろうかと迷いはあった。歩み寄り、和平を共に目指そうとしてきた相手がしようとしていたことを言ってしまえば、イズミの求めていた平和からまた遠のいてしまうのではないだろうか。それに話す相手はマリークでもない。

 しかし、引き下がることも進むこともできない。真実を言うこと以外は逃げることでしかない。ただのやけっぱちにそう言う理由を付けて、つばを飲み込んだ。


「通貨、です」


 目に見えるリスクと導かれる目に見えないリスクを無視して私はすべてを話すことにした。

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