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真冬の銀銭花 第十三話

 目を開けると、かすんで天井が見える。


 見覚えのあるそれはいつもとかわらないギンスブルグ邸の部屋の天井のようだ。意識に遅れて戻ってくる触覚には沈み込むような感覚が広がる。ふかふかのベッドで横たわっているのが分かるまではすぐだった。

 体を起こすと背中に痛みが走る。何か、しびれさせる何かが乗っているような。左右の手を握り感触を確かめる。足にも残った痺れ以外は問題なさそうだ。意識を失う前に喰らった攻撃の威力のわりに体の回復が遅い。


 私は捕まったのだ。それは分かる。だが誰にだろうか。そして気を失ってからどれくらい時間が経ったのだろうか。窓の外はもう真っ暗でグラントルアの灯りが見える。見える角度が違うのは、いつもの部屋ではないからだろう。


 ぼんやりしていると部屋の照明がつけられ、まぶしさに目を細めドアの方を見た。


「起きたかァ? キッドナッパー。金庫破りとハッカーとスピード狂はいねぇようだな」とユリナがいつもと変わらない調子で部屋に入ってきたのだ。

 私がしたことを考えれば、怒鳴られたり殴られたりすると思ったが、まるで全て予定調和であるかのように彼女は落ち着いていた。その様子を意外だとは思いつつ、申し訳なさの中に自分への仕方なさを覚えた。

 ユリナの後ろからついてきた女中さんがガラガラとキャスターに食事を載せて運んでいる。


「体痺れんのは勘弁してくれ。手加減するのぁ苦手あんだよ。それにそんくらいじゃ死にゃしないのはよく知ってる」


 隔てるようにあるガラス板を人差し指で叩くと、くぐもったコンコンという音がした。連盟政府にあるような簡単に割れる代物ではないようだ。

 そして小窓より少し大きい穴の開いた部分の前に置いてある椅子に座り、近くの丸テーブルに足を載せた。


「飯だ。この間言ってたスヴィチュコヴァー。まぁ食え」


 ガラスの壁に隔たれて匂いはしなかったが、小窓に近づけられると食欲をそそる良い匂いがしてきた。怪我をしたので食欲は無いかと思ったが、つばが出るのを感じてしまう。

 だが、すぐに手を付けるのはまるで、待ってました、と言わんばかりになってしまいそうなので、匂い立つ肉料理を横目につばを飲み込んでユリナに気になっていたことを尋ねた。


「逃げるのには失敗したのですね。マリークは、彼は大丈夫ですか?」


 彼のことが心配なあまり気が付かなったが、これはもしかしたら聞いてはいけないことなのではないだろうか、と尋ねてから不安に心が揺らいだ。


 向こう側のユリナは小窓の前に置かれたお皿を手でグイっと押しながら無表情で私を見ると、「問題ねぇ。いつもより元気だ」とキャスターの別の皿に乗っていたサンドウィッチを摘まみ始めた。

 拘束している人間とわざわざ食事を共にするとは思えないし、配膳された物も量も違う。彼女の摘まむそれは仕事の合間の軽食みたいなもので、夕食の時間はとっくに過ぎているのだろう。


「元気過ぎて、お前は悪くないしか言わない。さっきまで大変だったんだぜ? 部屋の前にどっかり座り込んで、杖も抱えたまま離さない。咎めようモンならイズミに聞いたやり方で家ごと吹っ飛ばすとまで言ってた。ったく、あいつ何教えたんだろうなぁ」


 体を起こして合わせた掌を見つめて「そうですか……」と応えると残った痺れと疲労で右手が少し震える。

 冷静になった今、思い起こすと彼にとんでもないことをしたと違う震えが起きそうになる。妙なトラウマを植え付けてしまっていないか不安だった。まだ彼を直接この目で見たわけではない。だがそれでもわずかに解消されたような気がした。


「ジューリアのサンドウィッチはいつも端っこに具が少ねぇなぁ……。ケチんなっつってんのに。これも食っとけ」と言いながら端ばかりのサンドウィッチを小窓の入り口に置き人差し指でぶっきらぼうにぐっと入れてきた。

 一つに手を伸ばして口に運ぶと血の味がする。うつ伏せに転んだ時に切ったのだろう。動いてまた血が出たようだ。


「私はどうなるのですか?」


「連盟政府にお前の素っ頓狂は報告した。今んとこ返事待ち」載せていた足を下ろすと立ち上がり、タイトスカートの上のパンのかすをポンポンと払った。


「相手方がグズでなけりゃ、深夜にでも返事が来るだろ。一応、緊急事態だからな。まー、実のところ、私らにしたらいずれこうなるとは思ってた。やったのがお前でよかったよ。殺さずに済んだ。で、明日四省長議に出てもらう。この間とは立場は違うがな」


「容疑者、いや犯人への追及ですか」


「まぁそうともいうか。だが、被害者……っつーとマリークが怒るから言い換えると重要参考人から話は聞いてる。あいつじゃぁ言葉がまだ足りないから、お前があいつに言った言葉、そっくりそのまま長官たちの前で言えばいいさ」


 マリークの話だけでは分からないと言いつつも彼の言ったことを分かっているような優しい物言いだった。ユリナの気遣いが見える。


「わかりました」


 私が返事をするのを聞くとユリナはさっそくと部屋を後にしようとした。しかし、私にはまだ言えていない言葉があったので呼び止めた。そして、今にも出て行かんとしている女中に開けられたドアから顔だけをのぞかせたユリナに向かって「ありがとうございます」と囁いた。

 すると彼女は何も言わずに笑い、首を小さく二、三回頷かせると出て行ってしまった。


 自信がなかったのか図らずも小さくなった声は届いていたようだ。最初謝ろうとした。しかし、何に対して謝ろうとしたのか、たくさんのことがあり過ぎてわからない。きちんと伝えられるかわからなかったのだ。

 ゆえにその代わりに出てきたのがその一言だった。

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