真冬の銀銭花 第九話
残った柄だけを振り切り、彼女の拳を蹴るようにして飛びのいた。
「いい剣が台無しさね。まるで何度もあっためたみたいじゃないか」
それを聞いて私ははっとした。これまで何度もしてきた炎熱系のエンチャントのおかげで金属が脆くなっていたのだ。もはや使い物にはならない。長年付き添った相棒だが、一度柄を代え今度は刃を代えることになる。もはや元の物ではない。執着もない。あるのは感謝だけだ。一度強く握りしめ、掌に残った柄を投げ捨てた。
「剣無しで戦えるのかい? 誇りみたいなものだろうに」
「剣をあそこに置いたのは誘導するためだったのですね。確かに大事なものですが、私の誇りではありません。今の私の誇りはマリークです!」
「いいねぇ! ますます気に入ったァ!」と同時に包帯を巻いた拳が風を纏って顔の前に飛んできた。
容赦のなく差し込んできた素早い右ストレートを、両前腕をクロスさせ受け止めると重い音が響く。およそ体がぶつかり合うような音ではないような。隕石のように重たい拳だ。
だが、その程度で私は折れない。
「パンクラチオン、ですか……」
私は後方に力を逃がすように後退した。ジューリアはタンタンとステップを踏んでいる。
「いや、組みはさせんよ。だが全力なのは違いない。人間のヒヨッコ騎士さまに勝てるかい?」
「私は騎士ではありません!」
組ませないなら組みに行く。どれほど強かろうとも戦い方にスタイルは絶対にある。おそらく、いや絶対に組みが彼女は弱い。私の脳筋がそう囁く。
両手を前に突き出し、上体を少し下げて構えた。まずはタックルだ。だがバーピーで潰しにかかるはずだ。飛び込むと同時に斜め後ろに下がるモーション。来た。脇をとる!
だが、後退距離が短い!
これが彼女のタックルを受け止められる距離なのだろうか。前膝を落すのが異様に早い。脇に入れない!
呼吸の音が聞こえて突き放されて、拳が鼻先をかすめる前に勢いに任せ後退した。
「やはりかわされましたか。いえ、私に防がれるだろうという迷いがあったからですね」
ジューリアはもうタックルをさせまいと足を前に出している。
「不得意にたった一言で気付くとはね。不得意だからこそ克服したんだよ」
不敵に笑うジューリアには応えず、私はスカートを膝のかなり上まで引き裂き、フリルと言うフリルを引きはがした。これで制約がなく動ける。破いた布を丸めて両手拳に巻き付け、そして顔の前にその拳を構える。
それに応じるようにジューリアも顔よりやや下に構えた両手拳をさらに強く握りしめた。
「私は殴り合いでこれまで一度しか負けたことがない。それでも続けるかい?」
「これからあなたを越える私に、何も言わずにマリークを任せてもらいたいものです」と乱れた呼吸を整えた。
「いうねぇ。美人さんだ。おまけに坊ちゃまのお気に入りときたもんだ。できるだけ顔は狙わないでおくよ」
上体をゆらゆらと揺らしステップでジューリアの左へと回り込む。
「私にあなたの顔を狙わないという保証はありません」
身長差はほぼ無し。腕のリーチもさっきのタックルで分かった限りではほぼ同じ。
「構わんよ。ババァの顔でよけりゃしこたま殴りな。できるもんならな!」
フッフッとステップを踏み、二つの点が線になり、渦を巻くようにやがて距離が縮まる。
ジャブを繰り返しけん制するジューリアは無用な挑発をしてくる様子はない。ありがたいことに敵としては認められているようだ。観客に魅せるものではなく、負けに再起はない状況で慎重に対峙しているせいで動きのない戦いになっている。追手が来ることを考えると早く蹴りを付けなければいけない。
しかし、そんな焦りの中で繰り返すジャブで彼女の癖に気が付いた。まれに繰り出す三連続ジャブのとき、三発目は開きすぎた足のせいで伸びきる傾向があるようだ。三発目のジャブで私がわずかに後退するとなぜか追いかけるように三発目を放つからだろう。ならばと私は三発ジャブを誘った。二回目までジャブは運、三回目は貰い覚悟でフックを入れる。
思考で止まりかけた呼気を呼び戻し、タイミングを計った。
放たれるジャブの数を数えた。数回の繰り返し、一回目、二回目、今だ、と下がり後退した。
来い! 三発目!
「甘い!」
腹部に衝撃が走る。しまった。誘われた! 焦ったせいで伸びきったジャブを期待してしまったのだ。腹部にストレートを喰らってしまった。
重く腹腔に響き渡るような衝撃で内臓が揺れるようだ。わずかに視界が白く飛ぶ。
しかし、まだだ。この程度では! 後ろに飛びのき距離を取った。同時にジューリアの拳が頬をかすめる。
「ババァの血が沸騰しそうだねぇ。あんたは強い。最高だよ」
「沸騰して冷静さを欠いてくれれば、私にも勝機がありますね」
ジャブの間合いギリギリまで前進して、ピーカーブーで腕を休めて様子を窺う。
「さっき」とその間にジューリアは尋ねてきた。
「あんたがスカートと一緒に捨てたのはいったい何だい?」
「何も捨てていません」とジャブに織り交ぜて言葉を返す。
「だが、あんたはさっきより動きが軽い。軽い分だけ威力も弱い。それにジャブが当たる前に引いている」
「捨てられるほどのものはマリークと逃げ出すときに捨てました」
間合いに踏み込もうとするジューリアから離れる。
「そうかい。それに仲間もいたんじゃないのかい?」
ステップを踏み相変わらず、口の前あたりで拳を構えるジューリアはニヤリと笑っている。
「揺さぶるつもりですか。確かにイズミや仲間たちに迷惑をかけるのは間違いないです。ですが、」
私はぐっと踏み込み間合いに入り、ガードを開いてジューリアの拳を誘った。空を切るストレートは顔ではなく腹を狙ってくる。来るのが分かっているならガードは容易。読み通りに低い拳が空を切る。それを前腕で受け止めジューリアから押されるように力強く後ろに飛びのき、
「私は今一人では闘っていない!」
と構えを解いた。そして空を見上げて「マリーク! 撃ちなさい!」と叫んだ。
ジューリアは、マリークの名前を出すとすぐさま構えを解き辺りを見回し警戒した。