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真冬の銀銭花 第六話

 ドアノブがカタカタと動きだし、そしてゆっくり開かれると小さな男の子が部屋に入ってきた。マリークが来たようだ。イズミは男の子が入ってくると自分の座っていた椅子を横にずらし、壁際に置いてあった丸椅子を持ってきてそこに座った。


「お、来たか。ちょうどマリークの話をしてたところだ」


「なんだよ。いないところで話すなよ。気分悪いな」とよじ登るように椅子に座ると、持て余して宙に浮いた足をパタパタと動かしていた。


「いや、カミュに連れ出されたときの話」


 イズミがそう言うとマリークの足の動きはピタリと止まり、力んだのかピンと足が伸びた。そしてイズミを強く見つめると、「僕は自分の意思でカミュについていったんだ! 連れ出されたんじゃない!」と声を荒げた。


 二人のやり取りに加わらずに私は眺めていた。本人が何もないと言ってくれても、やはり私にはまたしても大人たちの事情に巻き込んでしまったというぬぐえない罪悪感がまだあるのだ。

 しかし、それでも何度も言い張る彼の言葉に私は救われたような気分になる。


「マリーク、ありがとう」と言うと彼は照れてしまったのか、顔を赤くするとまた黙り私を睨んできた。



――



「カミュ、どうかしたの?」と名前を呼ばれて気が付いた。


 私は屋敷の女中たちと同じ服を着ていた。ロングスカートで露出も多くないので、変な刺激も与えないと思っていたので着ることに抵抗はなかった。だがフリルとリボンのたくさんついた長いスカートは動きづらい。呼ばれた声の方を見ると勉強机に向かっていたマリークがそのたくさんついた背中のリボンをぐいぐい引っ張り不思議そうな瞳を上目遣いにして覗き込んでいた。


 どうしてもこの子をさらわなければいけないのだろうか。誘拐などして交渉を有利になど進められるのだろうか。手段もなければ、メリットも見いだせない。そしてまた子供を巻き込まなければいけないのか。私はいなかったが、オージーとアンネリの双子のときもそうだった。いつも利用されるのは愛すべき、そして愛されるべき子どもたちだ。時代のせいだと、それを言い訳するのは本当に正しいのだろうか。


 本部からプラン変更の指示を受けて以来、そればかり考えていたせいで何度か名前を呼ばれても、服を引っ張られていても気が付かないほどに心ここにあらずになっていたのだ。


「なんか今日ボーっとしてない?」


「いえ……、そんなことはないですよ。話し合いについて考え事してしまってるんですよ。ごめんなさい」と忙しい会議で疲れていると言い訳をすると、それに、ふーん、と納得のいかない返事をして再び机の方を向いて続きを始めた。それに倣うように私もどうしたらいいのか、と考え事の続きを始めた。


 彼の小さな後頭部を見つめながら再びどこか遠いところへ思考が飛んでいく。


 悩みは悩み始めた時点で答えは出ているという。その答えへと踏み切るかどうかだけが残っているのだ。


 私の中の答えは“実行する”なのだ。それは私に課された任務であり、実行できるという信用の上で任された私にとって、そして任せてきた人たちにとって大事なことだ。だから、するのは当たり前なのだ。

 しかし、


「なぁ」


 とノートに視線を落としながら呼びかけたマリークの声が私を再び彼の部屋へと引き戻した。


「約束って絶対守らなければいけないのか?」と尋ねてきたのだ。


 まるで心を読まれたかのようなことを突然言い出し、息が止まるような感覚に襲われた。


 しかし「そうですよ」とわずかに間をあけたがすぐに応えた。


「じゃあさ、その約束が誰かを傷つけることになったとしても?」



 今度は何も言えなくなってしまった。おそらくどれだけの間があっても答えられなかっただろう。

約束は守らなければいけない。私は連盟政府との“約束”である誘拐をしなければいけない。しかし、それではマリークを、ユリナを、シロークを傷つけることになる。約束を破るか、誰かを傷つけるか、どちらをしなければいけない。どちらもしないという選択肢はない。

 マリークは何も言えなくなった私を揺れることのないまなざしでじっと見つめ、答えを待っている。


「――もし、私がそういう状況にいたら、マリークはどうしてくれますか?」


 何を思ったのか、私はそう尋ね返してしまった。彼の透き通るような瞳を食い入るように見つめ返して、心の中を読まれてしまうほどに、読んでほしいかのように。


「そんな約束、約束なんかじゃない。きれいな言葉でごまかしてるだけに決まってる」


「なぜ、そう思うのですか?」


「そうやって悩む時点で、もう誰かが傷ついてるからだよ。やりたくないのにやらなきゃいけない。それって一方通行だよ。勉強もそうだけど、でもそれは自分のためになるから違う」



 つがいのシジュウカラが窓辺で鳴いているのが聞こえたのは、いつぶりだろうか。甘えるようになく鳴き声は餌をねだるそれだろう。


 またしても静寂が訪れたのだ。言葉が出てこない。それは迷いではなく、視界を遮り、音を跳ね返す物のない空の中のような静寂だった。彼の透き通るような眼差しによって、私の心は自らを閉じ込めていた鳥かごから解き放たれたような気がしたのだ。それがうれしくて、空へと返してくれた手の温もりが欲しくなり、少し強引に手繰り寄せた。マリークに視線を合わせていた私は、気が付けば彼を力強く抱き寄せてしまっていたのだ。しかし、彼は嫌がることはなくその温かい手を背中に回してくれた。


 それから私はなぜか彼にすべてを話してしまったのだ。もちろん、誘拐しろと言うことまで包み隠さず。まだ幼い彼にとって難しいと分かっていても、彼が分からなそうな顔をしているのも構わずに。

 これからあなたを誘拐します、などと言う女は頭がおかしいと警戒されてしまうだろうとどこかで恐れもあった。


 しかしそれでも、彼は何かを察してくれたのか、わからないなりに話を聞いてくれた。


そして全てを言い終わると、彼は「僕が行けば誰も傷つかないのか?」と言った。


「それではあなたが傷ついてしまいます」


「そうすればイズミの言っていた平和が訪れるのか?」


「わかりません」


「でも、やらないとならないんだろ!?」と言い切ると、きりっと表情を変えて私の瞳の奥を見た。


「カミュ、僕を連れて行って!」


 それは嫌悪も蔑みもない真っすぐな言葉だった。心のどこかで枷の外れるような音がした。だが、「そう言うわけには……」


「カミュのそんな顔は見たくない!離れるのは怖いけど、あっちにはいるのはカミュだけじゃない。イズミもその仲間もいる。僕はその人たちを信じる! だから泣かないで!」と言うと頬に手をあて、そっと涙を拭ってくれた。



 私は泣いていたようだ。いい大人がみっともない。子どもの前で泣くだなんて。そしてそれにも気が付かないなんて。


 だが、流れた涙のおかげで平常心を取り戻したのか、私はある結論に至った。


 彼を連れて行けばいいのだ。文字通り連れて行くだけ。

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