表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

352/1860

真冬の銀銭花 第四話

 その日は午前中の会議だけで用事は終わりなので、ユリナに頼まれたマリークの相手をすることにした。


 午後になり学校からすぐに戻ってきた彼は鞄を置いて私を見つけるや否や、制服であるカーキ色の短パンにベレー帽のままぐいぐいと手を引っ張ってきた。何か月も待ちわびたぴかぴかの新しい杖を早く使いたくて仕方ない様子で着替えは二の次のようだ。どこへ向かっているかわからなかったがどうやら敷地内の訓練場を目指していたようだった。


 落ち着きなく私を引くマリークはだいぶ身長が伸びたようだ。父親のシローク同様に背は高くなり、あと五、六年もすれば私も追い抜いてしまうだろう。

 この年頃の男の子はすぐに大きくなる。伸びた身長がそうであるように同時に心も成長していく。大きくなるその時期の経験は貴重なものになるはず。その大事な時期に彼の友人であるオリヴェルの父親の死を経験した。

 もちろん、経験は良いことだけではないのはわかっている。だが、その死は周囲の大人たちの意志が複雑に絡まっている。絡まってしまったそれにがんじがらめにされ、彼の成長を止めてしまわないだろうか。

 そして、それが身長以外は選挙の時と何も変わらない、マリークの心に何かを課してしまったのではないだろうか。もちろん、それはオリヴェルにも当てはまるはずだ。


「マリーク、学校はどうなのですか?」


 上着の裾をぐいぐい引っ張る彼にそれとなく探るように尋ねると、私を見上げてニカッと笑っている。


「楽しいぞ! オリヴェルにも会えるからな」


 元気いっぱい。大きな声でそう答えてきた。心配するのは無粋なのだろうか。


「そうですか。それはいいことですね」と視線を上げてぐいぐいと進んでいく前を見た。子どもは嘘をつくこともある。大人を心配させないためか、その逆か、もしくは自己防衛のために。

 だが、そこへ踏み込んだことのない私にはマリークのそれがどれなのか、はたまた嘘ですらないのか理解することができなかったのだ。


 思い悩む私をよそにマリークは「明日が楽しみだぞ!」と鼻息を荒くしている。きっと、嘘はないだろうと思い込むことにした。それにいつまでも落ち込んでいてはいけない。これから彼と過ごす時間は長いのだ。ゆっくり聞いていけばいい。


 そう考えることにして立て直そうと、そして「宿題はやりましたか?」と尋ねた。


 その瞬間、ぴくっと腕の先の肩が浮き、袖を掴んでいた手の力が弱まった。


「……後で、それよりも杖を使いたいんだ!」とこれまで強く合わさっていた視線を左右に動かしながらそう答えてきた。どうやらやっていないようだ。というよりも帰ってすぐ私を引っ張っているのでその時間はない。


 これが踏み込んだ先にある何かだろう。さっきの彼に嘘はないと分かった。


「いけません。宿題をやってからにしましょう」と気を取り直し切った私は引っ張る腕を軽くつかんで立ち止まった。


それにマリークは悲しげな顔で、「いいじゃん。あとでちゃんとやる!」とすがるようになった。


「宿題をやってからなら付き合いますよ」と負けそうな心を半分鬼にした。するとマリークは不満な眉間を見せてきた。


「前来たときはそんなこと言わなかったのに。なんでしなきゃいけないの?」


 何を言えばいいのか。やらなきゃいけない、と言うのはあまり答えになっていない。答えはすでに頭の中にあったのだが、どう伝えるべきなのだろうか。


 そうですね、と人差し指を口に当て少し考えて、「自らに課されたものだからです」と言ってみた。


 しかし、それにマリークは小首をかしげて片眉を上げている。


「少し難しかったでしょうか。今、私がこの国にいるのと同じです。私が信頼されてここに派遣されているということなのです。もし私がそれを投げ出してしまったら、みんなが大変なことになってしまう。だから、自分にまかされたことはしっかりやらなければいけない、ということです」


「何の関係があるの?」と上目遣いになりのぞき込んできた。


「マリーク、あなたのお母さまであるユリナからキチンと面倒を見ろと言われているのですよ。それに勉強はしておいたほうがいいですよ」


 ちぇ、と口を尖らせた。「終わったら遊んでくれるんだよな!?」と少し怒ったようになり、顔を突き出して猫背になりながら自分の部屋へと向って行った。


「ええ、いいですよ。なら女中の恰好でも何でもしますよ」と彼の背中に呼びかけた後、後ろをついていった。



 マリークの部屋で勉強を見ている最中、腕を組んで後ろで見守るというのは彼を委縮させてしまいやりづらそうなので、私は彼が宿題では使っていない学校のテキストを一冊取り上げて内容を読んでいた。彼と話すためにエルフの言語を勉強して日常会話に難はなくなった。しかし、日常会話のように顔の表情や仕草といった言語よりも多い補助情報がないテキストの文体では読みづらいところがある。


「マリーク、少しいいですか?」と呼びかけるとペンを動かしながら不機嫌そうに「なーにー」と応えた。


「私にエルフの言葉を教えてください」


 盛んに動いていたペンがピタリと止まると「なんで? 話せるじゃん」とこちらへ振り返り目をパチパチさせている。


「会話ができることと読み書きがさらさらできることは違うのですよ」と彼の横へと移動してテーブルの上のテキストを見下ろしながら指先で軽くなぞった。


「そうなのか?」と怪訝な上目遣いをして私のこと見ている。


「あなたにとっては当たり前のこの文章も私には難しいものです。教えてください」


「わかった!」とやる気を出してくれたのか、笑顔で返事をしてくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ