真冬の銀銭花 第三話
そこへマゼルソンがオホンと咳き込んだ。
「モンタンも北へ南にうろつけるのだ。言い出した連盟政府がきっと何とかするのだろう。政治と司法で手いっぱいの私は金融のことには疎いのでな。君たちで決めたまえ。……だが、こう言ってしまうと丸投げの様で我ながら不愉快だ」
テーブルの上に広がった資料に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
「誰も言わないのならば私から言わせてもらおう。見え透いた甘言で騙して優位に立とうなど寝言だけにしろ。連盟と名乗り一つの国の体をしながら流通する通貨さえまとめられない無能な中枢と、活けたゼニの花一輪に水さえも差さぬような守銭奴の君の御父上にそう伝えてもらおうか。今すぐにでもな。イズミならこの場で動いただろうに。悪運強いあの男はヘタレている割に無茶をすることが多いからな」
顎を上げて私を見下すように、そしてのしかかるように言ってきた。マゼルソンと直接対峙したのは初めてだ。
イズミの言っていた通り、本当に何を考えているのか読めない男だった。シバサキのように何も考えていないからわからないのではなく、そしてワタベのようにただ黒いだけでもなく、この男の思考の海は深すぎて底が見えない。
その無数の質量で私にのしかかり、音もなく存在すら消すかのように押しつぶす。
そして本心を言えば、ことあるごとにイズミ、イズミと信頼されている彼が羨ましいと思った。だが、イズミにはイズミの戦場があり、そこでやるべきことがある。私の戦場はここで、私自身が戦わなければいけない。
「申し訳ないですが、すぐにはできません。私はイズミでもなければ、モンタンに至っては毎度話に名前を聞くだけで、会ったことすらありません。
秘密裏となっている以上、ここへ来られる私にはほぼ全権が任されています。それが通らなければ、最悪でも何か妥協案が引き出せ無ければ国へは帰れません。キューディラでの連絡も週一回に制限されています。傍受していると伺ったので筒抜けなはずですが」と見上げるように睨み返した。
それゆえに指示はほとんど暗号化されている。他愛もない日常会話や天気の話などに覆い隠して指示を出してくるのだ。少し出し抜いてやったと良い気になれた、気がした。
マゼルソンはふんと鼻を鳴らし、再び椅子に腰かけた。
「マゼルソン長官、落ち着いてください。これは彼女個人の意見ではありません」
シロークはマゼルソンを優しくなだめた。
「ですが、彼女もおそらくその“最悪の妥協点”というのが“最悪でも”人間側に有利なものでなければ食い下がれないと思いますが」
「おつりが無ければ帰らんとなぁ。やはりエルフと人間は相容れない者同士か」
アルゼンさんは肘をつき、資料をめくりながら眉を上げている。
「アルゼン、引退して丸くなったか。外見とは裏腹に。長官時代にいくつものカルテルを潰してきた者とは思えん弱気な発言だな。それにしても和平派とは辛い思想だな。相手がどれほど下衆な連中であっても、大局を見てそれ次第では和平を結ばなければいけないというのは。保守とはなんとも居心地がいい」とマゼルソンはまだ苛ついている様子だ。私は相変わらず何も言うことができない。
「どれほど下衆でも財布を持てるほどに数は数えられよう。和平がうまくいったら是非とも消費を加速させねばな。ほっほっほ」とアルゼンさんは余裕な表情だ。
「おいおい、私は和平派なうえにもとはと言えばその下衆の一人だぜ?」と掌を天井に向けたユリナが、「まぁカミーユ、落ち込むなって。ハゲとジジィはあんた一人を責め散らかしてるわけじゃぁねぇんだから。ゆっくり話そうぜ。
それに今日終わったらウチでイイモン食わしてやるよ。スヴィチュコヴァーなんかどうだ? うちのはグラントルアのそこらの高級レストランよりうまいぜ。ついでにマリークの面倒も見てくれ」と背もたれに首を載せて逆さまに私を見てウィンクをしてきた。
ユリナのフォローで会議室に入った時ほどの落ち着きを取り戻すことができた。
「スヴィチュコヴァーがいくら美味であろうと、食事時に色々決定してはならんぞ。強硬派のメディアは鳴りを潜めたが、ギンスブルグが金軍掌握などと言うておる」
だが、ユリナの発言を聞いた後ぬっと声を漏らしたアルゼンさんが脇からそう言った。
「お、アルゼンの旦那は仲間はずれが寂しいのか? それともうちのスヴィチュコヴァーが食べてェのか?」
「安心してください。そんなことを私は決してしません。もし、そう言う話が出た場合はすべて包み隠さず報告させていただきます」少しだけ頭の中に戻ってきた言葉でそう伝えた。
「カミーユは相変わらずお堅いなぁ。カチカチじゃねーか。ヤギのクソかよ。ウチでまで仕事の話すんのめんどうだからするわけねぇよ。終わり終わり、次々」
「さて、残りの議題はユニオンがらみだ。イズミももう少ししたら来るはずだ。アルゼンとカミーユにはご退席願おう」とマゼルソンが書類をまとめ始めた。
立ち上がり椅子を直しドアへ向かうと、後ろでユリナが「帰ったらマリークの面倒見といてくれ。勉強とかもな」と手を上げて笑っている。
私は部屋を後にして、ウィンストンの車で屋敷に戻った。