真っ赤な髪の女の子 第十一話
作戦は簡潔だ。まず敵を一か所に集める。集めやすいのはカルル伯爵のそばだ。
まず俺が火の粉でアウトレンジからカルル伯爵の服に火をつける。伯爵には熱くて申し訳ないのだが、できるだけ暴れてもらって集めてもらう。通過したことのある道上であり短距離移動魔法が使えるので伯爵の下にポータルを開き回収する。その後、できるだけ近づき炎熱系の魔法で一網打尽だ。救出対象に火を放つので悠長なことをしていてはいけないのだが、そんなにうまくいくかわからない。
走りながらアニエスに伝える。なかなか危ない作戦ですねと言いながらも賛同した。彼女には短距離移動魔法のポータルの出口の確保を頼んだ。それ以外の不測の事態にも備えてもらった。最悪の場合は伯爵だけでも救出するように指示をしたが、それは完全に無視をされた。
予定した地点に着いた。敵は気づいていないようだ。
距離をできるだけ伸ばすよう、無風ではあるが風に備え超高速で、火の粉は敵にも伯爵にも気が付かれない程度かつ着火後大きくなるように魔法円を調整する。
意を決し、火を放つ。音を切り裂くように飛んでいく火の粉は伯爵にまっすぐ向かっていく。
伯爵の服に火がついた。燃えていることに気がついた伯爵が暴れだす。何ごとかとまわりにいた魔物たちがあつまりだした。ここまでは段取り通り。
しかし、次の瞬間、耳元でカッと音がした後、ビーンと棒が震える音がした。真横に弓矢が飛んできたのだ。同時に伏兵がいたのか木の上で声がする。しまった。見つかった。火の粉の音の制御が甘かった。
いつかのパターンに似ている。焦るな。暴挙に出るな。橋を繰り返してはいけない。視界を何とかさえぎるには。煙だ。煙を起こさなければ。とっさの判断だ。
「アニエス! 俺の周りの生木を燃やせ! 倒木のトウヒを燃やしてくれ!」
叫ぶと返事もなく俺を囲んだ周りの倒木たちが燃え始め煙に包まれた。雪の水分も相まってものすごい量の煙が上がった。
煙たいのを我慢して伯爵のいた方角にポータルを開く。何も見えないが、とにかくやるしかない。煙の中で移動魔法を唱える。
開いた先は伯爵の真裏だった。アニエスに合図を送り、火だるまになった伯爵に雪をかけ消火をし、再びポータルを開く。開くと同時に戸惑う伯爵をポータルに放り込んだあと、一網打尽にすべく呪文を唱える。視線の先には煙に向かって突進していく敵たち。距離、範囲、出力、考えて練り上げる。しかし、出力が上がらない。なぜだ。ふざけるな。
木の燃焼温度が上がるにつれて煙が晴れはじめ、敵たちがこちらに気づき戻ってきた。
まだ出力が上がらない。弓が頬をかすめる。出てきた血が口に流れ込み鉄の味がする。急所に当たらなかったことが幸運なくらいだ。
それにしても上がらない。敵が迫る。第二射がくる。はやく。おそい! おそいおそいおそい!
『なにやってんだよこたえてくれよ!!』
しびれを切らして怒鳴り声をあげると魔法円の出力円のオレンジの線から黒い炎が立ち上がり、杖の先端に青白い光があつまり、力を抑えられずときはなってしまった。
コントロールを失った光が目の前を通過していく。
放たれた閃光を目で追うと、まるで視界の時の流れが穏やかになったような感覚に包まれた。葉から落ちていく雪解け水の粒が地に落ちるのが止まってみる。万象一切を焼き尽くすさまが目に刻み付けられることにあらがえない。金属をこすりあわせるような、いくつものすさまじい断末魔が脳内に響きわたり、燃える身体の激痛にもだえ苦しむ敵の影。ある者は四肢を投げ出して雪の中を転がり暴れ、ある者は顔を抑え走り回り、のたうちまわった影はいつしかうずくまり動かない物になっていく。
どれほどの高温だ。火には触れていないのに顔が焼けるように熱い。
硫黄の、火葬場の臭いだ。生き物が焼ける、人が焼ける臭い。空気がべたつく。
俺は何を殺したんだ。何を殺したんだ。
何でもいい。殺した。たくさん。
二足歩行で、歩いて、道具を使うその生き物を。
今まで幾度となく生き物を殺してきた。チームシバサキにいたときに何度も見てきたはずだ。手をかけている姿は何度も何度も。それと何が違うのだ。
残っていたもうもうという唸り声も収まりあたりに静けさが戻った。
足元を見ると俺に向かって五本の枯れ枝のようなものを伸ばした炭の塊が落ちている。それはさっきまで命だったものだろう。死にたくないと生にすがる腕は敵であるはずの俺にまで伸びていた。届かぬ思いがそこに転がっている。近づくとさらさらと崩れた。
「アニエス。アニエス。アニエース!」
森は焼け野原になり、火災の名残が風に舞う。残った灰とまだ火のついた死体が放つ熱気の中で呼びかけても響くのは自分の声だけ。
時が過ぎればすぎるほど音が無くなっていく。それに合わせるように興奮が消えていき、自分以外の何から何まで殺してしまったのではないかと心臓が握りつぶされそうなほど縮む。脚が震えだした。息を吸い込みたくない。生き物の灰を吸い込みたくない。臭いがするのはそれが体内に入っているからだ。
死と生のはざまの恐怖と命をないがしろにした後悔と孤独に押しつぶされそうになる。
「みんな、無事ですよ」
アニエスだ。振り向きその声が聴こえると膝から崩れ落ちた。なぜか涙が溢れてきた。真横に開いたポータルからアニエスとカルル伯爵が出てきた。
昨日までの日々はなんだったのか。こんなことのために訓練を続けていたのか。
どちらかが夢なのではないだろうか。昨日までのんびり過ごしてきたパン屋バイトか、鉄と死肉の臭いにまみれた世界が同じだとは到底思えず混乱した。
目が回り始めとても気持ちが悪い。胃の中がかき回されて酸の塊が上がってくるのを感じる。そして人目もはばからず吐き出した。
アニエスの暖かい手が背中をさすっているのがわかる。
彼女もこんな思いをしたことがあるのか。その手は何人焼き殺したのか。血にまみれたその手でパンを焼いたのか。パンを焼くのも生き物を焼くのも同じ手なのか。
「イズミさん、よく頑張りましたね」
「無事か!? なんなんだ、この規模の爆発は!? 君がやったのか?」
「イズミ君、あなた、これ」
爆音が二人を呼び寄せたのか、アルフレッドとダリダが急ぎ足で近づいてくる。
駆け付けるや否や二人は呪文の痕跡に驚愕しているのが回る視界の隅に見えている。
霞んでいく視界のなかに体を支えようとしているアニエスが見え、すがるように膝立ちのまま彼女に寄りかかってしまった。腕にも足にも力が入らなくてずるずると倒れていく。アニエスが呼びかけているが応えられない。彼女のケープを汚物まみれにして冷たい雪の中に倒れ、意識が遠のいていく。
* *
また気を失ったのか。でも今回は女神には会わなかった。何か足りないようで不思議な感覚だ。
目が覚めるとあたりは暗いので夜だろうか。昼の出来事が嘘のように夜の静寂に包まれている。
暗闇に眼が慣れ、ここはどこだろうとあたりを見回すと知らない部屋だった。かわいらしい人形が並んでいて、化粧台には無造作に化粧品が置かれていた。見覚えのあるほつれててろてろになったケープが壁にかかっている。アニエスのものだからここは彼女の部屋だろう。アニエスがベッドの脇に伏せて寝息を立てていた。もしかしたらずっと見守っていたのではないだろうか。
起こさないようにそっと部屋を出ると、そこは入ったことのないパン屋の住居部の廊下だった。隅に階段があり、降りると見慣れた厨房と明かりの消えた店内が見えた。
厨房にはまだ明かりがついているので、誰かが起きているはずだ。
「起きたか」
低い声のほうを向くとアルフレッドがいた。
目が覚めて最初に会ったのがアニエスでよかった。なぜかわからないが、人と顔を合わせることを避けたかった。腕を組んだアルフレッドに怒られてしまうのではないか、出て行けと言われるのではないかと息が荒くなり奥歯をかみしめた。
「君は続けられるのか?」
そして目が合うや否や神妙な顔をした。何を?などと聞くまでもない。
今日が最初の実戦と言うわけではない。しかし、狩りとは違う自らの攻撃で敵をもだえ苦しませた光景は初めて見た。耳についた悲鳴、鼻についた臭いを思い出すと汗が噴き出る。
もう自分が弱くないことはわかった。そうなると必然的にこれから戦いの中に身を置くことになる。もう安全圏にはいられない、いざ前線に出れば血と炎にまみれることになる。
「君の力は少々規格外だ。アニエスとの訓練で力が使われ始めて目を覚ましたようだな。あの規模の無差別攻撃ができるのであれば戦いが起きれば先頭に立つことになるだろう。もしそうなれば、殺しの数は今日の比ではない。その覚悟はあるのか?」
厨房の揺れる薄明りの中、樽から滴る水の音が聞こえる。
言葉を選ぶ時間が無駄に過ぎていく。
「やさし過ぎるのも問題だな。このあたりはしばらく安定しそうだ。カルル伯爵に会うといい。君のことを評価している」
何かを察した腕を組んでアルフレッドは廊下の暗闇の中に消えて行った。
やさしいわけがない。ただただ甘いだけだ。いつもそうだ。始める前はやる気にあふれていてすべてを丸く収めようと意気込むが、実際始まるとその流れの強さにあっという間についていけなくなる。そして、飲み込まれたくないと逃げ出す。
また、同じことをしようとしているのかもしれない。日本の時と。
カルル伯爵は深夜にも関わらず、俺と話をしようとしてくれた。
「君が救出してくれたのか。ありがとう。とても優秀な魔法使いさん」
「カルル卿。おほめにあずかり光栄です。おれ、自分一人の功績ではなく、この店の娘のアニエスの助けがあってのものです」
救出時の伯爵のみすぼらしい身なりと自分自身の焦りで全く気にも留めなかったが、髪とひげを整えた伯爵は精悍な顔立ちをしていた。おそらく30代半ば過ぎぐらいだろう。壮年期の男性にしては貫禄があるが、やせ形の体躯はとてもタカ派とは思えない。
伯爵は橋の件での拘束後の裁判所への護送中に襲撃に遭い誘拐された。襲撃時は護衛がいっさい無く、唯一の同行者である御者も行方不明となった。共犯者として拘束された者たちはみな顔に覚えが無いと言う。誘拐後、なぜブルンベイク周辺をうろついていたのかはよくわからないそうだ。
話を聞いていて不可解なのは言うまでもない。護送中の様子もあえて襲わせようとしているような印象があるのも邪魔者は片づけてしまおうという誰かの策略だろう。あの事件はねつ造されたのだから。
シバサキの真実を伝えてしまおうか。
しかし、この人は超タカ派、それに領内での支持は絶大だ。もし伝えようものなら、激昂しシバサキを始末し、かつての部下たちと挙兵しクーデターを起こし無意味な血が大量に流れるかもしれない。真っ先に血しぶきをあげるのは俺かもしれない。
カルル元伯爵はしばらくパン屋に身をひそめることにするようだ。
「夜も更けていますしこれにて失礼させていただきます」
「やめろ。私に爵位はもうない。再び自由を手に入れた。爵位と言うしがらみからもな。一度すべて無にしてやり直すのも悪くないな。ふはははは」
痩せているのに声を上げて笑う様はまるで立ちはだかる雪山の大熊のようで、やはりタカ派であることに間違いはないようだ。歴史も何も知らない俺からしたら何をしようがわからないし、ハト派でもタカ派でも保守でも分離でも関係ない。しかし、カリスマも実力も伴うこの大熊はこれから何をするつもりなのだろうか。関係ないと割り切れるほど安易ものではないかもしれない。灯りのそばに座る彼の影は大きく、何よりも黒々としている。
「その力をぜひ私のために再びふるってくれることを願うよ」