マルタン侵犯事件 第二十五話
「故に私はルーア共和国の調査団を受け入れ、早期に和平を結んだ状態にしておきたかった」と言い終わると、カリストは俺とエスパシオを交互に見つめた。
「何度も聞くが、メレデントの亡命の手配をしたのもあんたか?」
「正直に言おう。亡命の手引きをしたのは私だ」
「メレデントがなぜ亡命をする必要があったのか、あんたはそれを知っていたのか?」
カリストは問いかけにすまなそうに鼻から息を出すと、「メレデントは政府高官としか聞いていなかったのだ。過去にエルフたちと所縁があるということを知っていながら、その申し出を無下にするのは私の美学に反するのでな」と額を掌で擦った。
「しかし、少々安易に受け過ぎたようだったな。知らなかったは言い訳ですらないが、事なかれ主義のせいで知ろうとしなかったのだ。私自身はエルフたちの内政事情には疎く、帝政ルーアもルーア共和国もさして変わらないエルフの国だと思い込んでいたのだ。おそらく、私よりもルカスの方が共和国には詳しいかもしれないな」
「どうするつもりだ? それにメレデントはどうした?」と尋ねると顎をさすりながら視線を上げた。
「確か、去年の頭ぐらいだろうか。ラド・デル・マル郊外の浜に損壊の激しい死体が打ち上げられているのを漁師が見つけた。
それは検死の結果、溺死なのか死後水中に放り出されたのか、それは分からなかったが、わずかに残った耳と大腿骨、頭蓋骨でエルフの大柄の男性だと判明した。ぼろぼろだったが着ていた軍服のようなものには金床と星が描いてあった。身元不明死体として処理し郊外の墓地に葬ったが、彼であることは間違いない。
しかし、亡命者の生死が判明したからと言って、ことが終わるわけではない。このまま許せとは言わん。北部の文献を大量にイスペイネに持ち込み、かつての自治領のみならず連盟政府そのものを混乱に導いたのも、ルーア共和国の調査団をおびき寄せたのも、元をたどれば私に責任がある」と肩を落とし気味に話した。
メレデントは大柄の男だった。遺留品を後で見せてもらおう。だが、とりあえず彼の死はおおよそ確実だ。技術流出は彼ではないようだ。では誰が、と気にはなる。しかし、今は目下それではない。
「このまま共和国と戦争に突入したら、ユニオンの混乱状態はまだ小規模とはいえ収拾がつけられなくなるぞ。その僅かな隙に連盟政府はスパイを送り込んでくる。モンタン、いやモットラと同じ組織の聖なる虹の橋が来るはずだ。自警団だったり、研究者だったり、それがどういう形で侵入してくるかわからない。そいつらがユニオンで内乱を起こしてさらに混乱を拡大させる。そしてそれに乗じて連盟政府は“地方自治領の治安維持と反乱の鎮圧”と言って侵攻してくるだろう。つまり、二つの国を相手に戦うことになるんだ。友学連も当てにできない。今でこそユニオン寄りの友学連だが、彼らはユニオンよりも混乱していて、戦時になれば離れていくのは目に見えている」
しかし、エスパシオは落ちつき払うように座りなおすと、「だが、私たちには飛行機がある。上空は誰にも支配されていない。高高度からの攻撃にはたとえ魔法使いでも太刀打ちできまい。それこそ先ほどの飛行機の成果を君も見ていただろう?」
「甘いな」と彼を遮るように言った。
「あんたたちの開発した飛行機だが、確かにこれからの戦争はそれが大きく左右することになる。連盟政府の教えでは、空を飛ぶことは禁忌だよな。
だがもう教えもクソもない啓蒙の時代だ。技術は必ず漏れ出す。あんたらが勝手に空を飛び回ったように、他の自治領も国家も技術を盗んで好き勝手飛び回るのは時間の問題だ。自分たちだけが持っていればいいという考えは改めるんだな。もちろんそれに共和国も参入してくるだろう」と睨みつけるように言った。俺は“あんたらが蒸気エンジンを盗んだように”とは言わなかった。
「そうなれば結果は目に見えている。共和国が下出に出ている今が和平のチャンスだと俺は思う。それでも意地を張るというなら、俺は共和国に戦争の意思を伝えに行く。そして共和国が望めば、俺はここにポータルを開いて部隊を突入させる」
大げさに聞こえるように語気を強めて言った。
「仮に、ここで私が拒否しても君は共和国には伝えない」
しかし、エスパシオは余裕の表情を変えようとしなかった。
「イズミ、君が賭けに出ていることは分かる。私たちを交渉の場につけさせようとするべく、強い言葉でまくし立てているのだろう」
つくづく嫌な男だ。確かにハッタリをかけた。そんなことはしたくはない。いっそのこと、ユリナに開戦の意志ありと伝えて遠くに逃げてしまおうか。無責任だが。鼻筋が痙攣し、これまで何度も噛み締めてきた奥歯を再び噛み締めてしまった。
「残念だ」と悔しがる俺を見下ろすように顎を上げてそう言った。
い いだろう。共和国の長官たちに和平の意思なしと伝える、俺がそう言おうとした時だ。
「エスパシオ大頭目、少しは考えてくれないか? それでは本当に……!」とカリストが焦ったように割り込もうとした。
しかし、エスパシオは右手を上げて制止すると、「私は以前、話し合いが始まる前、君はニイア・モモナだと言ったな。昔話でしか聞いたことのないその男は、思いやりはあるが駆け引きが苦手だった。まるで君のようにな」と前かがみにテーブルに肘をつき、両手で口を覆った。
「それゆえに拿捕されたにも関わらず、困り果てていた人間に手を貸したのだろう。敵に手を貸すなど本当に愚かな男だ。だがそれがなければ今の私たちも存在しなかった」
それからわずかに黙った後、
「ところで、君がもし本当にニイア・モモナだとしたら、私たちに何ができる?」
と尋ねてきた。俺はそれに攻撃的な視線を向けたまま、暴言を吐きたい気持ちを抑えて応えることにした。
「俺にできるのはあんたらの意思を共和国に伝えるだけだ。誰よりも早く。それだけだ」
「そうか。ならば、私の意思を伝えてもらおうか」と言って鼻から息を大きく吸い込んだ。
「すぐに話し合いの場を設けたい。もちろん直接だ」
ティルナの言った通り、つくづく回りくどい大頭目だ。
俺は気が抜けるような感覚に襲われ足がふらついた。やっと直接対話の段階に持ち込めることができたようだ。だが、安堵してはいけない。まだうまくいったわけではないのだ。
この機を逃してはいけない。気まぐれな大頭目様が考えを変えてしまう前に話をさせなければ。すぐさまその場でユリナにキューディラを繋ぎ、エスパシオとカリストと話をさせることにした。
しかし、繋がるとエスパシオ、カリストは俺とティルナを部屋から出るように言った。冗談じゃないと反対しようとしたが、相手方のユリナもそうしてくれと頼んできたので、俺は繋がったままのキューディラをテーブルの上に置きしぶしぶ部屋を出た。
それから十五分ほどだろうか、外で待っているとカリストがドアを開けてキューディラを渡してきた。どうなったか尋ねたが彼は任せておきなさいとしか言ってくれず、その日は帰されてしまった。
不安なまま一夜を明けた朝一に、ユリナが俺に連絡をよこしてきた。
共和国の朝刊は“飛行船、北西の海上で消息を絶つ。乗組員は航行不能前に脱出し全員無事”と言う見出しになったそうだ。メディアに対して色々と働きかけてくれたようだ。そのときはそれだけを伝えると、忙しくなると言って切られてしまった。
そしてそれ以降何日か、音沙汰が全くなくなったのである。