マルタン侵犯事件 第二十二話
「実は、私らルーア共和国空軍は飛行船のテスト飛行の最中に風に流されて、マルタン上空に間違って侵入しちゃって、ついでに遊覧飛行していました☆ カーボンマイク握りしめてつばまき散らしてたけど、戦闘の意思など全くありませんことよ」
「ふざけんなよ……? んなわけあるかよ。俺が忘れてったフリッドスキャルフも落書きだけじゃなくてどうせコピーしてんだろ? 地図まであるくせになんで領空侵犯したんだ! しかも非武装で!」
無事が分かり、悲しみから解放されると今度は怒りが込み上げてきた。マイナスが大きかった分、腹の底から煮えくり返るようだ。
「資源を求めて侵略しに来たんじゃないのか!?」
「資源は確かにないが、まだだいぶ持つからなァ。それにおっぱじめるのには宣言は必要ないってことを言っただけだぜ? おまけに攻撃するたぁはっきり言ってねーから! ははははは!」とユリナは高笑いをした。
「クソ! クッソ! 俺の心配返せ!ハナから戦争の意思なんかないじゃないか! なんでだ! どういうことだ!」
拳で太ももを何度も殴りつけながらキューディラに怒鳴った。
「さぁなぁ、マゼルソンのジジイがそれでいいだろうって私に指示して来たんだんだよなぁ。どっかのお人よしを動かすためならそのくらいでいいだろうって」と声を荒げた俺にユリナは飄々と答えた。
「お人よし……誰のことだ……」
その態度と、思考の中で不愉快にチラつくあの男の何かしらの思惑に奥歯を噛むと、ぐりぐりとした振動が骨を伝って脳に響く。それにつられて拳に力が入ると爪が食い込む。
しかし、俺の気持ちなど知りもしないユリナは相変わらずの態度で話をつづけた。
「まぁ魔石の件は任せるわ。多分大丈夫だろ。……だがなぁ、おまえら飛行船落としちまったしなァ。それも非武装の。まさか落ちるとは思ってなかったが、もしかしたら外も骨組みもアルミと鉄とか燃えやすくて、気嚢の中身もヘリウムじゃなくて水素で飛べって危ない指示したのも、こういうことを目的にしてたのかもな。大々的に爆発させて、被害甚大をアピールするために。私のこと殺す気かよなァ、はっはははは!」
ユリナはぴたりと笑うのをやめると、「さて、ここからは国際問題だ。もしかしたらこの未熟なこの世界で歴史上初のかもな。今回、飛行船は攻撃を受け墜落、そして爆発炎上。幸いにも死傷者は出なかった。だが、アルバトロス・オセアノユニオン空軍はルーア共和国の非武装の飛行船を撃墜した。これは逆に宣戦布告とみていいんじゃねーか?」と態度を一変させた。まるで脅しをかけるように低い声で耳の奥に刺すように囁いた。
「何がいいたい?」
「寝ぼけんなよ? それぞれの国旗を付けたのが飛び交って、あれだけの規模の大爆発を起こして、民間人に目撃までされたわけだ。ちなみに、今朝のこっちの新聞の見出しはどこも“偉大なる空の航路へ。民間飛行船が初飛行へ!”だぜ? 明日の朝刊の一面が“飛行船撃墜! 人類は非武装の我々を攻撃した! やはり和平はまやかしか!?”とかになっちまったらなァ……。もう言い逃れできねぇよなァ、アルバトロス・オセアノユニオン特使様ァ?」
キューディラ越しのユリナがしゃくりあげる様な顔をしているのが目に浮かぶ。
とぼけたふりを続けてやろうか。言いたいことなどわかっている。なるほど、ずいぶんと強硬な手段に出てきた。しかし、死傷者を出さなければいいのか、街に落ちれば民間人が犠牲になっていたかもしれないんだぞ。噛み締める奥歯は唇も頬もちぎってしまいそうだ。
「アホウドリたちを交渉の場に着かせろ、ということか」と噛み締める口を開いて応えると、ヒューっと口を鳴らし、ご名答、と軽く答えた。
「ぶっちゃけ、私らも和平派だからそうしてもらわないとシンドイんだわ。こんくらいじゃ長官クビにゃならないが、声だけはやたらとデカいメディアにバカだの無能だの言われるのもだるいからなぁ」とユリナは続けた。
「クソ……。何から何まで、あのジジイの思い通りか」俺は太ももを思い切り殴った。
「不愉快だ。だが整えてやる。そこで和平をきっちり結んでくれ」と残る痛みに太ももを見つめた。
「ジジィの思い通りが不服か? じゃテメェならどうしたんだ? 聞かせて見ろよ、イズミなりの和平の持ち込み方ってのをよ?」
俺は何も言えないのだ!
手を握りしめる力に合わせて歯のこすれる音がますます強くなり、やがて奥歯を折ってしまいそうだ。
「まぁ、なんだ。ジジイもジジイなりに平和を目指してるんじゃねぇのか? とりあえず頼んだぜ? お前しか動かせないヤマなんだから」
我慢ができない。ついに俺は一方的にキューディラを切った。そして、
「クソジジイが許さねぇぞ! なんでもお前の思い通りにするつもりか!」
とマルタンの草原に向かって虚しく怒鳴った。
ひとしきり叫び、あがった呼吸の中でも、それでも草原は静かだ。誰も聞いていないと分かっていたが、それを言わずに俺はラド・デル・マルへは向かうことができなかったのだ。