マルタン侵犯事件 第二十一話
墜落した飛行船の残骸は燃え続け、力なく折れていく骨組みはキャビンをあっという間に下敷きにした。
つぶれてもなお起こり続ける爆発に俺は駆け寄る気力を失い、その場に呆然と立ち尽くしてしまった。あの規模の爆発では乗員は助からない。なぜだ。おかしい。爆発が大きすぎる。ヘリウムを使った飛行船ではないのか。あれはどう見ても、機関部から出た炎で引火した水素の爆発だ。
人が、エルフが死んだ。与えられた寿命や病気のような自然死ではなく、誰かの手によって。
アルバトロス・オセアノユニオン空軍が、友国学術連合の領土で、ルーア共和国の飛行船を撃墜して、ユリナが、エルフが死んだ。
膝から崩れていることに、俺はその時まで気が付かなかった。熱で忘れていた顔の触覚が戻ると、頬を涙が伝うのを感じた。熱くなった頬に、それはひやりと冷たかった。
このままでは共和国とユニオンの間で戦争が起きてしまう。間違いない。
俺の今までやってきたことは何だったのだろうか。戦争を終わらせるんじゃなかったのか? まるで逆に向かっているじゃないか。
芝生に頭をつくと草が刺さる感触がある。その不快さと自らの不甲斐なさに抱え、掻きむしった。
どうすればよかったんだ。ティルナの飛行機を魔法で撃ち落とせばよかったのか。できないことはない。だが違う。
もし、俺がもう少しだけ早くユリナの問いに応えられていれば、飛行船を遠くまで逃がすことができただろうか。しかし、伝手がない。これまでにしてきた行き当たりばったりで、手に届くところだけの平和を求めていたから、レアやカミュが差し伸べてくれていた手に、絆に、汚らしくつばを吐く結果になったのは俺のせいだ。
どうすればよかった。眩暈が起きて吐き気がする。本当に吐ければ少しは楽なのかもしれない。うずくまって自分の腹をどんどんと殴り続けた。
しかし、体で遮られた影の中でキューディラが突然光った。
こんなときに誰だ、と思い見ると、なんとたった今俺の目のまで大爆発を起こした飛行船に乗っていたはずのユリナだった。まさか瀕死で助けを呼んでいるのかと思い、震える手で慌てて応答をした。
「お、おい、おい! 大丈夫か? どこにいる!? 助けに行くぞ!」
返事が聞こえるよりも早く立ち上がり、燃え盛る残骸に向かって走り出した。
「たーまやー。元気か? イズミ?」
しかし、断末魔の叫び声でもなく、これまでの人生を後悔するような懺悔でもなく、聞こえてくるのはまるで何事もなかったようなユリナの声だ。
「ど、どういうことだ? 無事なのか?」
その声色に混乱していると、深いため息をする音が聞こえた。
「イズミ……、残念なことに……さっきの、あれで、私の、私のとても大事な……」と低い声で言った。やはり何かあったのか!? 大事な部下でも失ったのか!? 俺は額から脂汗が噴き出る様な感覚に包まれた。
「おい! なにがあったんだ!?」
俺はつばを飲み込み、彼女に尋ねた。
「ストッキングが伝線してしまった……。木箱に小指をぶつけて、な……。残念だ……」
は? 何を言っているのだ?
必死になって走り出していた足が次第に遅くなり、ついには止まってしまった。
「ふざけるな! いい加減なことを言うな! さっきまで飛行船に乗ってたんじゃないのか!?」
「だー、るっっせえなぁ。落ち着けよ。そら、もちろん乗ってたとも。オメェの目の前で壮大なスペクタクルで大爆発した飛行船にな。
だが、私たちは全員無事だぜ。乗組員は全員む・き・ず。攻撃を受けたときに移動魔法でキャビンごとそっくり脱出したからな。今はお馴染みの練兵場でお茶飲んでるぞ」
無事なのか。ユリナだけでなく、乗り合わせていたエルフたちも。それを聞いてははっ、と情けなく笑ってしまった。今度は安堵で膝が震えだし、徐々に崩れ始める。
「おいおい、なんだよ? 心配してくれたのか? いや、しかし、まさか飛行機が出てくると思わなかったなァ。こっちは私以外全員パニック。制空権我にあり! のつもりで飛んでたからな」
「無事で、よかった、ホントに……」
鼻のあたりがツンとしたせいで思わず震えた声になってしまった。
「……おおい、なんかやりづれぇなぁ」
がさがさと音がする。ユリナは頭を掻いているのか。
どうやら死傷者はゼロのようだ。墜落自体は困ったことだが、とりあえず命が減ることはなかったようだ。
何やら生暖かいものが頬を伝う感触はあるが、少しだけ落ち着きを取り戻し始められた。
「ん、んなぁ、なんで飛行機に撃たれたとき反撃しなかったんだ?」
「あ? 反撃? 反撃も何も、飛行船に武器なんか積んでないんだぜ? まー、私が窓開けて魔法ぶっ放してもよかったんだけど」
それにドクンと脈が強く、一回だけ打ったような気がした。そして生存のうれし涙が吹き飛ぶような感覚に襲われる。
「ど、どういうことだ……」
不安から安堵、それから強烈な不穏が胸の中をぐるぐると渦巻き始めた。