マルタン侵犯事件 第十七話
交渉は一時的に止まってしまった。
しかし、お互いに打開策を模索している様子はまだある。公的なものではない手紙を希に運ばされているのだ。
それを届けにグラントルアを訪れたとき、大事なことを再び思い出した。数日前、会議を待たされているときに取りに来ようと思っていたが、後回しにしていた評議会議事堂地下の移動魔法逆探知装置に置きっぱなしにしてあるフリッドスキャルフの回収をついでにすることにした。
さすがに黙って持って帰ってしまうのはマズかろう、なんだかんだとどさくさで使われていたのは目に見えている。マゼルソンとユリナには一報入れることにした。
マゼルソンは、そうか、さっさと片付けろ、としか言わなかったが、ユリナがゴネた。ゴネおった。あれだけ正確な地図を手放したくないのはよくわかるが「知るかボケ、もともとあるなら自分らの探して使え」と言うと口を尖らせてしぶしぶ了承した。
ドアを抜け、長い階段を降り、パースで引いたような廊下を抜け、久しぶりの密閉空間へと回収に向かった。ロックを解除して開けると、相変わらずの暗い空間で白い制服を着たエルフたちが作業をしていた。
地図を回収に来た、長官には許可は取ってあると伝えて移動魔法逆探知装置までの前まで行くと、地図の端やらに書類が置かれ、その上には埃がもっさりと積もっていた。ずっと台に設置しっ放しのようだ。
ああ、もう、と面倒くさそうにその書類山をどかすと隠れていたところが露わになった。そこは共和国の南側が描かれていて、新しいインクで地名がたくさん書かれていたのだ。
あれ? もともと書いていなかったはずだが、と思い、横にいたエルフのぱっつんボブの女の子の顔をちらりと覗くと、彼女は苦笑いをしながらユリナが共和国の地名を書き足すなどのアレンジを加えまくっていたことを告白した。「どーせイズミのだし、いいだろ」と言っていたそうだ。
あの野郎、これあげたワケじゃないぞ! 勝手に落書きしやがって! と舌打ちしながら、地図を端まで目をやると南の果てに“ケ・カイ・ラ”と書かれているのを見つけた。モアニの昔話に出てきた名前だ。
女性の名前では無くて街の名前だったのかと興味がわいてしまい、思わず、ほうほう、と呻り、そこから海岸線沿いに地図を人差し指でなぞり、街の名前を見ていった。
大きな港町は南から北へ向かって、カウハラ、アルア、コルオエ、エリマウ、エノカウリ、カマエラ、とやはりどこかで聞いたことがある。
モアニの話していた昔話の魚の兄弟たちの名前に似ている気がする。もしかしたら本当に彼らの名前ではないのだろうか? 残るナイ・ア・モモナは星と考えていいだろう。
ならばあと一人、青年のマルにちなんだ街の名前はあるのだろうか。ないだろうな、ないか、と思いつつ、あったら面白いなと期待を込めながら地図の上に人差し指を載せて北側へすーっと移動させた時だ。
ある街が目に入った。それはラド・デル・マルだ。マル……。
もしかすると――突飛な考えだが――だ。イスペイネ系はダークエルフとはるか昔に遭遇していたのではないだろうか。連盟政府近海全域を支配しているのは優れた航海術を持っていたカルデロン・デ・コメルティオだ。
それにダークエルフは航海術が昔話に出てくるほど発達している。そして極めつけはエスパシオの語った昔話だ。カフアは名称が同じで、ニイア・モモナとナイ・ア・モモナはどこか語呂が似ている。遭遇どころか、まさかルーツが同じなのでは……。
おっと、そこまでで考えるのは止めにしておこう。
似たような地名が似たような位置関係であるのは日本各地にもよくある。確かに面白い話だが、バラエティ番組の都市伝説程度の話だ。これを誰かにお茶請け話程度のノリでも言うのはやめておこう。状況が状況だ。二国間に不用意に緊張をもたらすかもしれない。
くるくると丸めてフリッドスキャルフを回収して、その日は帰った。
だが、俺が何かを言ったわけでもなく二国間に緊張が走らせる事件が起きてしまったのである。
なんと共和国側でカミュが捕縛されてしまったのだ。現在ギンスブルグ邸で軟禁中だ。俺は彼女に会うことはできなかったが、顛末の大筋を聞くことができた。事の真相に共和国とユニオンの交渉が難航している件は全く関与しておらず、ヴィトー金融協会と共和国での問題だった。どうやらマリークとも一悶着あったらしい。そちらも気になるところだが、二国間を取り巻く状況は悪化したのだ。
エルフが人間を拘束したということは、敏感になっていたユニオン側を刺激した。そして、ついに行われていた政府主導による海上交易の停止を一方的に宣言したのだ。
その書簡を最後に俺は連絡係としての任を解かれた。そして今度は共和国の関係者として再び軟禁されることになった。カルデロン別宅での生活自体は変わらないが、共和国へ行くことすら禁止され、移動魔法を使わせないようにと常に監視がつけられた。
俺がやり取りを仲介しないと二国間の首脳たちでの一切の話し合いは行われない。これまで何度も共和国側がキューディラでのやりとりを打診していたが、ユニオンは頑なにそれをしようとしなかったのだ。ここまで頑固だと何か弱みでもあるのではないだろうか、そう勘繰ってしまう。
話し合いは書面でしか行われず、日に日に過激になっていったやり取りが最悪の状態で、今度こそ完全にストップしてしまったのだ。