マルタン侵犯事件 第十三話
昔々、大きな島の南の果ての海辺の町にそれはそれはとても美しい女性がいました。その名も“ケ・カイ・ラ”。その美しさはエルフだけではなく、魚たちまで恋をしてしまうほど。
しかし、5年に一度の冬が訪れる年のことでした。その町は冬になっても寒くなることはありませんでしたが、その年は北の山から灰色の雲が流れて来て太陽を覆いつくしてしまいました。そのせいで冬は寒くなり、町の人たちは生まれて初めて雪を見ました。
それと同時に、雪はとても冷たく、ありとあらゆるものを凍り付かせしまう恐ろしいものだと知りました。美しいケ・カイ・ラはそれに心を痛め、ついには病気になってしまったのです。やがて歩くこともままならなくなってしまいました。
ある日、一人のエルフの青年と7匹の魚が旅に出ることにしました。青年と魚たちはケ・カイ・ラの病気の原因である灰色の雲を消しに行くために北へと向かうことにしました。
青年の名はマル。7匹の魚たちは、体の一番小さなナイ・ア・モモナ、カウハラ・ムア、カオナ・アルア、オケ・コ・ルオエ、エリマ・マウ、エノ・カウラマウ、カ・マエラという名前でした。
7匹は協力してマルを運ぶことにしました。しかし、旅は厳しいものになりました。北に行くほどに魚たちは弱り、一匹、また一匹と旅をあきらめてしまいました。
最後に残ったのは、ナイ・ア・モモナとカ・マエラの2匹とマルだけになってしまいました。ナイ・ア・モモナは旅を始めたときはまだ幼く小さかったですが、幾年月を重ね、すっかり立派な大人になっていました。
しかし、長く終わりの見えない旅の途中でついにカ・マエラまでも力尽きてしまったのです。カ・マエラはナイ・ア・モモナにマルと兄弟たちの願いを託しました。それにナイ・ア・モモナも約束をしました。必ずや雲をどけて、ケ・カイ・ラに太陽を届けると。
それからも旅を続け、ついに北の果てに到達しました。そこでは大きな山が怒り狂っていました。マルとナイ・ア・モモナは怒れる山にどうしたのかと尋ねました。
どうやら山は、耳のない者たちが自分の足元の森を荒らしていることに怒っているようでした。マルとナイ・ア・モモナは怒りを鎮めてもらおうとその耳のない者たちをなんとか追い出しました。その働きのおかげで山の怒りはすっかり収まり、灰色の雲を出さなくなりました。
しかし、その時にマルとナイ・ア・モモナは大怪我を負ってしまったのです。特にナイ・ア・モモナの怪我はそれはそれはひどいものでした。もう故郷に戻ることはおろか助かることもできません。
生まれた町、通り過ぎてきた場所すべてが見通せそうなほど青くなった空を見上げて、これまでの長い旅のことを思い出していると、精霊になったケ・カイ・ラが突然二人の前に現れました。
彼女は太陽が戻ったことで精霊になれたのです。彼女は旅立った一人と一匹が戻らないことを心配してやってきたのです。
疲れ切ったマルとナイ・ア・モモナはその懐かしい姿に疲れを忘れてケ・カイ・ラに旅の話をしました。ケ・カイ・ラはその話に心を打たれ、願いをかなえることにしました。
しかし、ケ・カイ・ラはなりたての妖精で不思議な力も強くありません。ナイ・ア・モモナかマルか、どちらか一人しか助けることしかできません。
ケ・カイ・ラが困り果てているとナイ・ア・モモナは最後の力を振り絞って言いました。
自分はもう先が短い。だから旅の途中でいなくなった兄弟のもとへ行きたいと。マルを助けた後に残ったわずかな力でもそれは叶えることができると悟ったケ・カイ・ラは、それを聞き入れナイ・ア・モモナとともに魚の兄弟たちを星にしてあげました。
するとナイ・ア・モモナはみるみるうちに元気を取り戻し、星の水面を泳ぐ兄弟たちのところへと向って行きました。喜んだナイ・ア・モモナは、遠く離れた沖でどの兄弟たちよりも一番高く飛び跳ねて、二人に別れを告げました。
そしてケ・カイ・ラは残された力でマルの怪我を治しました。すっかり元気になったマルとケ・カイ・ラは海で幸せに暮らし、魚たちの物語を語り継いでいきました。
おしまい。
「というのが、私がおばあちゃんから聞いた昔ばなしですね」
意外と長い話だった。なぜケ・カイ・ラが精霊になったとか、口伝で伝わる昔話だから脈絡がないのは仕方ないのだろう。それに登場人物をマルとナイ・ア・モモナしか覚えていないがだいたい分かった。
気が付けばソファに寄りかかり腕を組んでいたので、少し座りなおして鼻から息を出した。
「ということは、カフアは7つあるってこと?」
「そうですね。航海術で使われるのはナイ・ア・モモナがほとんどですけど」とモアニは乾いて底に黒い輪のできたコーヒーカップを下げてくれた。
オフィスのドアが開くとユリナが現れた。やれやれというような顔をしている。また会議で暴言を吐いて長引かせたのだろう。
「おっ、イズミか。連絡帳持ってきたか?」
ソファに座る俺に気が付いたのか、書類束をデスクに放り投げてこちらに向かってきた。
「小学校の担任のおばさんみたいなこと言うなよ」
「うっせ、オメェの彼女より若い経産婦だ。じゃその書類持って評議会議事堂に来い。さっそく話し合いだ」
戻ってきたばかりだがユリナは肩をぐるぐる回すと、モアニに顎で指示を出して部屋を後にした。