マルタン侵犯事件 第十話
偶然にも静まり返ったタイミングで思い出したようにぽつり囁くと、円卓の長官たちが一斉に俺を見た。俺は回ってきた発言の隙を逃さずに手を上げて「モンタンはどうなんですか? 少なくとも二重スパイでユニオン、共和国間を行き来していましたけど」と言った。
するとマゼルソンは親の名前より聞き飽きたかのような顔をして俺を見ている。
「またモンタンか。君は彼にずいぶん心を奪われているようだな」と方眉を上げた。
「確かに連盟政府のスパイでもある。しかし、あくまで“連盟政府の”スパイだ。アルバトロス・オセアノユニオンだけに加担する可能性は低い。それにユニオン首脳部には顔が割れているし、研究所も大々的に爆破した。目立ち過ぎている。わざわざ正体を明かしたのも何かの目的があるはずだ。すぐには動けまい」
俺は椅子の背もたれに寄りかかり引っ込んだ。
しかし、「いやだが」シロークは口を覆っていた指先を動かすのを止めると、手を下ろした。
「僕はモンタンという男と同時期に一等秘書官だったが、彼についてはあまり詳しくない。だが、もしモンタンが持ち出したとしたら連盟政府中枢はすでに技術を握っているということも考えられるのではないか? 非常にまずくはないだろうか?」と身を乗り出ている。
「それは無いかと思います」と俺は再び手を上げて続けた。
「牽引馬車に使用されていた蒸気エンジンは独立後に発表したと聞きました。研究内容を独立後に発表するのは他の件もあって、おそらく外部流出、特に連盟政府への流出を抑えるためではないでしょうか。それを考えると仮にモンタンが持ち出したとしても連盟政府にはわたっていないと考えられます」
思い出してとりあえず名前を出してみたが、実際は彼ではないような気もしている。どこかモンタンが実行犯ではないが、真犯人とは遠くはない、そんな気がしているのだ。
「なるほど、確かに。しかし、何が“発表”だ。盗人猛々しいな」
シロークは落ち着きを取り戻し、オホンと咳払いをした。
マゼルソンが姿勢を戻したシロークの方を向き、「ここ最近で海を渡ったものは、出て行ったものは何だ?」と尋ねた。
「出る際の検疫記録ではほとんど西部で採れる綿花と海産物。最近は西部で頻発する地震の影響で海産物は減少傾向。出港前にすべてを再検査して、そこで不透明なものが出た場合、出港を延期させて徹底的に調べ上げる」とシロークは手元の書類を持ち上げた。
「入ってきた物は?」
「コーヒー、タバコ、海産物、リン鉱石、そして秘密裏だが一番多いのは魔石。不透明なものがあるとすれば、外来種の害虫、害獣」
それを聞いたマゼルソンは「なるほど、我々は完全に貿易弱者だな」と肘をつきハッと鼻を鳴らした。
「君たちの検疫を完全に信用することはない。さて、船が海に出てからの話だ。認められた交易海域以外での受け渡しは、カルデロン・デ・コメルティオの海軍警備艇と共和国市中警備隊海洋部門が協力して厳重に行っている。
つい先日も非公式の瀬取り行っていた船を二隻沈めた。私の指示もあったのだが、彼らも容赦がない。市中警備隊は我々法律省の管轄で、和平交渉を通達してから継続的に行い、先のユニオン独立後も変わらず維持している。
……こちらも検疫の記録を信用しなければ、我々法律省が誇る市中警備隊海洋部門の働きも信用はされないだろう。だが、和平交渉通達以前の話はまた別だ」とマゼルソンはユリナの方を見て話を振るような眼差しを向けた。
頭の後ろで腕を組んでいたユリナは起き上がるようになると
「それ以前の瀬取りはほとんど軍部省の管轄だ。わりぃが私はそれを見逃すわけがない。瀬取りとは言え、検疫はしてたし、船を出したのも操ってたのも軍だからなァ」とユリナがマゼルソンの後に付け加えるように続けた。
記録に残っているところすべての中では怪しいものは無くなってしまったのだ。お互いがお互いに信用しなければ、これ以上の話は勧められない。
腕を組んで目をつぶるユリナの貧乏ゆすりだろうか、カッカッカッと小さな音が響いている。シロークはテーブルに肘をつき、手で口元を押さえ、マゼルソンは書類をめくる音を立てている。会議室は静まり返り、議論が停滞し始めた。
法律省でもなく軍部省でもなく、もちろん金融省でもなく、海を越えたもの。許可なく海を越えるには西に向かう必要がある。西……。西……。
俺ははたと気づき、立ち上がった。
「どうした? イズミ?」
「モ、モンタンはメレデントの死体を確認しましたか!?」と前に出て円卓に両手をついた。
「まさか。どれほどの爆薬を積んだと思うのだ? 船ごと木っ端みじんだ。孫のウリヤともども、生きているはずがない」とマゼルソンは見ていた書類から目を離し、再度俺を見ている。
「死体を確認したという報告は受けていない。必要がない」
それを聞いてユリナが目を丸くして立ち上がった。
「おい! 待て! それやべーんじゃねーか!?」
「生きてはいないと思うが」とマゼルソンは呟いたが、焦りだしたユリナとシロークを交互に見ると目を閉じた。そして深くため息をすると、「イズミ、確か君はアルバトロス・オセアノユニオンの代表者としてここに来ていたな? 今すぐ我々四省長官共同で書類を作成する。それをもってエスパシオのところへ行け。大至急だ」