マルタン侵犯事件 第一話
「はぁーあ……、また軟禁か……」
カルデロン別宅のダイニングで俺は自分の置かれた状況に落ち着くことができず腕を組んでうろうろしていた。
「あら、いいじゃない。こっちあったかいし、あたしは快適よ? それに今回は家族全員そろってだし?」
やや覗き込むように言ったアンネリにオージーは少しギョッとして「いやいや……アナ、前回はすまなかったね」と申し訳なさそうにいった。
「そうよ! 全く!」と腰に手を当てたアンネリ。
「ま、近所のおばさんが手伝ってくれたからイイケド」
俺たちはまた軟禁されたのだ。普段依頼や仕事がなければ家から出ることもなく、そしてユリナの指示も特段なく最近は騒動の後でまったり過ごしていたので軟禁されたところで状況は変わらないのだが、自由が奪われるとどうも落ち着かない。
俺が気にしているのは争いの火種だ。
独立したのは百歩譲って構わない。国がいくつできようがとりあえず知ったことではない。だが最終目標である和平は遠のくのではないだろうか。自由がないうちに何か起きてしまったらどうしようか。
「イズミ君、仕方ないよ。とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着くといい」とにっこり笑いながら、ほやほやと湯気の立つコーヒーカップを渡してきた。
オージーとアンネリは涼しくなったラド・デル・マルの街の気だるげな午後をのんびり過ごさんとコーヒーを嗜んでいる。南からくる暖流のおかげで温かいこの街は冬になっても水は凍らない。それどころか草木も元気がない程度だ。
仕方ない、と言ってはいられない。だが、確かに仕方ないのだ。
受け取り壁に寄りかかると、揺りかごから伸びている手が上からつるされているおもちゃを追いかけているのが見える。もうモミジと言うには大きすぎる掌だ。アンヤとシーヴももうすぐ一歳か。あっという間にデカくなるな。
あちい。俺はコーヒーに口を付けた。名産とはいえそろそろ飽きてくるころだ。
ご存じの通り、11月3日にイスペイネ自治領は突如アルバトロス・オセアノユニオンとして連盟政府から独立を宣言した。
連盟政府にしてみれば急で一方的な敵対的分離独立なのだろう。だが俺もどうもおかしいと思っていたところもあったのだ。
解析を行うために集められた錬金術師たちを連盟政府各地へと迎えに行ったとき、引っ越しかと思うほどにやたらと大荷物で、そして家族全員のお出迎えだったのだ。
それにルカスの息子と二人の娘とも街で会うこともしばしばあった。彼らも帰って来ていたのだろう。それは九月ごろの話なので、イスペイネ側からすれば着々と準備を進めていたのだろう。
国民に向けて宣言はしたが、今のところ大々的な式典は行われていない。だが、11月3日は独立記念日となり、国境沿いにすぐさまバリケードが築かれ、ラド・デル・マルの街の大通りの名前が変わったり、各地の地名も変更されたりした。独立後の政治体制は民間からの登用が多くなるそうだ。
だが、頂点を支配するのは五家族たちで変わりはない上に、新しくできる行政機関には親戚筋が多く入り込むらしい。事実上、これまで通りの五家族の支配は揺るがないようだ。
カルデロン・デ・コメルティオをはじめとした五家族の運営していた企業は国営企業とはならず、民間企業となった。それも経営者は現状維持なので変わり映えなく、あまり周知しても広まることはなかった。ユニオンの自国での自給率は高いため、これまで通りの生活にすら変わりがないそうだ。
だが、それにもかかわらず、イスペイネ、いやアルバトロス・オセアノユニオンでは勲章を持つ俺たち三人が軟禁されてしまったのかと言うと、独立直後にそのユニオンですら予想だにしない事態が起こったからだ。
独立から8日経った11月11日。なんとストスリア一帯まで独立を宣言したのだ。その名も『友国学術連合』。あまり国のような名前ではない。アルバトロス・オセアノユニオンの独立に触発されたのは間違いないだろう。
俺たちが双子騒動の帰り道の途中で通ったマルタンと言う大都市を抱える地域の領主がストスリアのパトロンであり、連盟政府の方針に賛同できないストスリアでの現支配派閥の中道和平派を支援して独立に至ったのだ。
おそらくトバイアス・ザカライア商会の研究機材販売の撤退も大きいのだろう。カルデロン・デ・コメルティオからの購入が増えている現状で、友国学術連合の大半を占める研究者たちはユニオン寄りではある様子だ。
連盟政府中枢は学者たちの児戯だと甘く見ていたようだが、ストスリアの学生・学者たちは一晩もしないうちにバリケード(というよりも壁)を作り上げた。おまけに彼らを支持した地域がマルタン一帯だけではなかったことが宣言からの壁建設後に発覚したのだ。
壁で囲われた部分を彼らの領土と考えると、西はアルバトロス・オセアノユニオン国境、東は荒廃した砂漠までとかなりの大きさになった。連盟政府はまとまりのない友学連独立を地方叛乱として鎮圧しようにも、規模はユニオンを越えて連盟政府に次ぐ大きさになり、容易に手を出せなくなってしまったようだ。
だが、そちらはユニオンのような計画的なものではなく本当に急に決定したのだろう。国内での混乱が起きたせいなのか、ユニオンに大量の難民が流れてきた。
彼らの話では学者・学生ばかりが優遇され、国家運営の経験がなくまとまりのない領主たちが、私が私が、とわちゃわちゃとした雰囲気で取り決めを作り出したおかげで、住んでいた地域を追われてきたそうだ。
ユニオンも新政府として支援しないわけにもいかず、友学連側に非難声明を出した後、入国はさせないが難民支援を始めた。
支援の際の若干の越境についても、友学連側は商会と言う流通網がなくなった現時点での頼みの綱であるカルデロン・デ・コメルティオという流通を遮断しないために声明を受け入れたうえで黙認している。
連盟政府側への難民もいたが、当然受け入れてもらえるわけもなく、彼らも合流しユニオン側に流れてくる者たちが多くなったのだ。そのためにマルタン周辺の壁には難民キャンプが出来上がってしまった。
そして、まだ“寄り”である程度でユニオンとの関係性がはっきりとしない友国学術連合の暫定首都ストスリアからきた俺たちは、いくら勲章を持っていたからとしても怪しいことにはかわらないそうだ。
毎日いい食事が提供され、ふかふかのベッドで眠れる。贅沢を言えばノルデンヴィズのカチカチのベッドが恋しいくらいだ。それにアンネリは産後の肥立ちにいいのではないだろうか。移動魔法でどこへでも行けるが、連盟政府内は行ったところで危ない。ならばここにいたほうが安全なのだ。