藍色に黄昏るデオドラモミ 第二十二話
「ふむ、教えてやろう。では、なぜ物が売れるか。分かるか?」
どうやらグリューネバルトもそれを言いたかったようだ。顎を弄りながらさっそくと話始めた。
「欲しい人がいるからですか?」
「ではなぜ欲しがる? 商会がよこした高次元観測式魔力検出装置の消耗品はどうなっていた?」
「意図的に使えなくされていました。壊れていました」
そのとき俺は自らの言葉にはっと気が付き思わず、そうか、とつぶやいてしまった。
グリューネバルトはふふっと笑いかけると、
「気が付いたか。そうだ。物は壊れるから売れる。商会の考えでは、すべての物は壊れ、新しい物と入れ替わらなければいけないのだ。しかし、私たちの研究は物を壊れなくしてしまう。
形あるものはいずれ壊れる運命だ。だが、私たちの技術は、それを扱う人間にとっては長すぎる時間を経過しても壊れない状態にすることが可能だ。
そうなると商会は物が売れなくなる。消費の停滞を恐れた故にこの技術を欲したのではなく、消し去ろうとしたのだろう」
と言うと椅子から立ち上がり、大きな窓の方へと向って行った。窓の外にはラド・デル・マルの眠りに落ちた鼓動のように穏やかに揺らめく夜景が広がっている。
「疑問は解消したな。さて、ここからは私が言いたいだけの話だ。この実験がスヴェンニーだけが行っているならまだしも、所縁のあるカルデロン家が関与しているとなると連盟政府内はどうすると思うかな?」
グリューネバルトは窓の外を眺め、後ろで腕を組むと誰にでもなく尋ねると、「自治領に対する圧力を高める」とオージーが囁いた。
「私がティルナを遠ざけたのはカルデロンと仲たがいをしたふりをするためだ」
背中で組まれていた手がわずかにきゅっと動き、「ティルナ……すまないな……」と消えてしまいそうな声でつぶやいた。
しっぽりと遅くなった時間の街の煌めきは、音もなく最低限のパルスを刻んでいる。
だがグリューネバルトはすぐに何事もなかったように振り向くと話をつづけた。
「私たちは商会には目を付けられただろう。しばらくイスペイネでご厄介だな。なに、私は偉い。長居するために結果を出せというならいくらでも出してやろう。シスネロス家め」と拳を握りしめた。
「首都で紙きれを弄りまわしているだけの審査する輩など、大きな問題が起きなければ再現実験などしようともしない。だが今回は少々違うだろう。秘密裏にアカシカル・アルケミア主導で実験が行われるだろう。私が渡した論文を基にしてな」
「ちょっと待ってください! 連盟政府も論文を破棄したいのではないのですか!?」とオージーが立ち上がった。
「ビブリオテークの小娘は政府の息がかかっているのは間違いない。商会とは逆に欲しがっていたようだからな。妨害と言う形を取っていたが、商会に比べてやり方が弱かったからな。とりあえず完成させてから取り上げるつもりだったのだろう」
レアとクロエのやり取りの食い違い、クロエがグリューネバルトを庇ったこと、そしてグリューネバルトがクロエに論文を渡す間際に言った「スヴェニウムの二の舞」。この三つを考えると彼が言うことに俺は納得がいく。まだ釈然としていないオージーは怒りに眼瞼を震わせ、拳を握り締めている。
「スヴェニウムの二の舞……つまり、スヴェニウムをスタナムと呼ばせたように、自分たちの功績にしてしまうということですか」と俺はオージーにも聞こえるように言った。それを聞いた彼も気が付いたようだ。
そして、落ち着きを取り戻すと、
「“害成すものを駆除する”者が論文を受け取った。つまりその論文は連盟政府に必要な物だということか」
と椅子を直し再び腰かけた。
「論文は渡した。まぁ不完全なものだがな。結果が出るまでにお前たちは数か月をかけた。つまり、再現実験が必ず失敗するとバレるまで数か月は連盟政府を騙せそうだ」
「バレた後はどうするつもりですか?」
「さぁな。私は老い先短い。貴様らは何とかするんだな」
それを聞いたティルナが眉間にしわを寄せた。思い人が老い先短いなどとは言わないでほしいのだろう。
「明日からまた忙しいぞ。どこよりも先に再び解析をしなければ。私は名門たるフロイデンベルクアカデミアの第五錬金術教室名誉室長だ。イスペイネ滞在には不足ない立場だ。卒業生もいるこの国なら道具も私が言えばすぐ手配するだろう。な?」とティルナをクワッと見つめた。それに彼女は怖気ずにうんうんうんと小刻みに頷いた。
「よろしい。それでは消灯! 今日はもう寝なさい」とグリューネバルトはすたすたとダイニングを出て行ってしまった。
本当にとんでもない爺さんだ。部屋を出て行く前までの勢いにあっけにとられていると、
「ユウさんはあんなこと言ってますけど、イズミさんたちは大丈夫ですよ。これからもまた別宅を使ってください」とティルナは微笑んだ。