藍色に黄昏るデオドラモミ 第二十一話
「さて、論文についての話だ」
グリューネバルトがテーブルに手をついた。カルデロンの別宅に着くと皆がダイニングに集まり、誰がしようと言い始めるでもなく話し合いが始まった。
「ブルゼイ・ストリカザの金属を解析した論文だが」
「先生……、もう論文は奪われました。いくらボクたちの成果を残してもらえたからとは言え、看過できません」
オージーが肘をついて額をこすりながら絞り出すように言うと、下を向いて完全に黙ってしまった。
だが、グリューネバルトは両眉を上げて、
「何を言っている。論文は盗まれてはいないぞ」
とあっけらかんと言った。
それに一同が怪訝な顔になり、彼をのぞき込んだ。
「長い話でもしよう。年寄りの講義は嫌いかね?」と言うとテーブルについた両手を離した。
「あの研究は私が第一著者になるつもりだった」
「ちょっと! 何なのそれ? 先生、狡くないですか!?」とアンネリが首を突き出すと怪訝な顔にさらに不満を載せた。
「なぜだと思うかね? 質問を変えよう。第一著者はどういう立場かね?」
第一著者は、研究を中心的に行い、論文を主に書いた人間がなるものだ。論文内容をすべて理解し、説明できることを求められる立場だ。大学ならだいたい教授がなる責任者と並ぶ、重要な著者である。
「研究を中心的に行った人のことです」とオージーが言いづらそうにした。
「そうだ。しかし、私は今回何をしていた?」
一同が言いづらそうに顔をそむけた。ティルナは顔を赤くして下を向いた。グリューネバルトは研究室の提供や金銭的な援助はしてくれたものの、実験自体はオージーとアンネリに任せて、言い方は悪いが昔の恋人に似ている若い女と街に繰り出して遊んでいただけだ。
「オージーとアンネリが中心的に実験を行いました」と俺は言いづらそうな二人に代わって言った。俺もそれを指摘するのは少しヒヤヒヤしたが、彼が求めていた答えのようだ。グリューネバルトは深く頷いた。
「そう。実験を中心に行ったのは二人だ。そしてリバイスなどはまだ受けてはいないものの、論文を中心的に書き完成させたのも二人だ。本来なら二人がファーストオーサーになるべきだった」
「先生、話が見えません……」とオージーもアンネリも困った顔をしている。
「少し遠回しになったな。実はクロエに渡した物は偽物。というより一番肝心なことを書かなかった未完成のものだ。オージーとアンネリが気付いていないことが一番肝心なことだったのだ」
「なんですって!?」とアンネリは立ち上がりテーブルに身を乗り出した。
それにグリューネバルトは右掌を出してアンネリの方へ向けた。
「まあ、そうはやるな。なぜおまえたちを中心に添えてやらせたかわかるか?」
「それはサンプルを、ブルゼイ・ストリカザを持ち込み、先生に協力を要請したのがボクたちだからではないのですか?」
腕を組むオージーを見るとグリューネバルトはふふっと鼻を鳴らした。そして「それもそうだな。だが、私はその論文にファーストオーサーとして、最後に一行を加えるつもりだったのだよ」と言うと脇に置いてあった紙に何か短い一節をサラサラと書いて、テーブルの真ん中に指ですっと移動させた。
そこには
“これらの全過程の中で指定された過程、一番、五番、三十三番を除く奇数過程、および四番、十六番、三十番をスヴェンニーが行うことで成立する”
と書かれていたのだ。
「解析を進めるためにはブルゼイ・ストリカザのあの呪いを解かなければいけなかった。貴様ら二人にとっては当たり前のことで気が付いていなかったようだが、スヴェンニーが実験を行うことが大前提だったのだ」
メモを呼んだオージーが即座に立ち上がり、「ま、まさかイズミ君が何度実験をやってもうまくいかなかったのはこういうことですか!?」と言うとグリューネバルトは深く頷いた。
「イズミ、悪かったな。だが、私の考えだ。追加実験でできないことを証明しろと言われたら貴様の没データを使わせてもらう予定だった。それに二人の実績を守ったのだ。かまわないだろう? 実験をしていたことがあるなど手つきでわかる。貴様がヘタクソなのではない。前提条件から間違っていただけなのだ」
意地悪な爺さんだな、と思ってしまった。
だが確かにそれで実験は守られた。拗ねて卑屈な顔になりそうだが、下唇を突き出すだけにした。
グリューネバルトは椅子に腰かけて、テーブルに肘を載せた。
「商会の小娘が言っていた通り、ブルゼイ・ストリカザの解析は様々なことへの影響があまりにも大きい。大き過ぎるのだ。二人には悪いが、その偉業を成し遂げたのがスヴェンニーであることを気に喰わない連中がやっかむのは目に見えていた。実験が軌道に乗る前、早い段階でのそれを防ぐために私はそういうことをしたのだ。
事実、私は歴史をあまり知らなかったが、思った通り過去の遺恨を持ち出してきて妨害をしてきた。保存直前の動きに乗じて私はファーストオーサーを二人に代えるつもりだった。私がコレスポンディングオーサーとなってな」
その場にいた全員が黙りこくってしまった。ティルナはイマイチわかっていなさそうにキョロキョロと見回しているが、それ以外は納得してしまったようだ。(今回は珍しく俺も理解している)。
毎回思うが、本当にグリューネバルトはとんでもない人だ。ここまで考えていたとは、やはりフロイデンベルクアカデミアの錬金術教室の教室長、要するに教授になるだけの人だ、と感服してしまった。
カルデロン別宅のダイニングに置いてある時計の針の音がカチカチと聞こえる。
実験に関して、そして論文をグリューネバルトがクロエに渡した理由は分かった。しかし、まだ疑問がある。
「先生、もう一ついいですか? 商会がなぜこの技術を葬り去ろうとしたのかわからないです」と俺はまだ何か言いたそうにテーブルに肘をついているグリューネバルトに尋ねた。