藍色に黄昏るデオドラモミ 第十九話
「持ち逃げって! どういうことだ!? これはオージーたちの発見だぞ!?」
「イズミさん、そんなことを言わないでください! 確かにそうですが、それはもうあなたたちの物ではないのです! その論文は大きすぎる力を持っているのです!」
ドアの前で仁王立ちをしているレアの姿は、体の小さいはずの彼女の姿は、この時ばかりはとても大きく見える。強い信念を背負い目の前に立ちふさがっているのだ。
「レア、商会が研究内容を消そうとしている話はもう聞いた。理由はわからないがそれは絶対にさせない!」
だが、譲れない信念があるのは俺たちも同じだ。俺は彼女に向かって叫んだ。
「それは上の指示です。私はそれに従ったまでです! ですが、それは様々なものを滅ぼします! 存在してはいけない物なのです! 早く処分してください!」
「ふざけるな! 冗談じゃない! 俺たちの仲間である前にレアは商人であるってことだな?」
そう言うと歯を食いしばり始めた。白い歯を見せるレアに動揺が見られる。
「ぐっ……そうです! わ、私はトバイアス・ザカライア商会のレア・ベッテルハイムです!」
このまま揺さぶりをかければ何とかなるのではないだろうか、俺は刹那にそう思った。
いや無駄だろう。すぐに悟った。
もし揺さぶりをかけられるとしたら、それは俺のよく知っているレアでの話であって、小さい体でありながら目の前で立ちはだかり大きな影を作る女商人が相手では不可能だろう。商会の者は天地がひっくり返ろうと商人である、それを努々忘れるな、とグリューネバルトの言葉が頭の中を反響する。
「もういい。レア、君の話はわかった」
とにかくここまでだ。だが、もう一人その横にいる奴は別だ。
「クロエ。いや、クロティルド・ヌヌー、あんたアカシカル・アルケミアのバッチはどうしたんだ?」
隣で腕を腰に当てて黙っていたクロエが、おや、とでも言うように動き出した。
「今日は非番なので着けていないのですよ」と笑うとバッチの付いていた辺りを撫でた。ピンの穴が開いている。
「嘘をつくなよ? 人生の成果の証なんだろ?それってもしかしてこれじゃないのか!?」
と先ほどオージーとアンネリの家で拾った襲撃者の落とし物を彼女の足元に投げつけた。足先にぶつかり転がる小さなピンを彼女は迷惑そうに見下ろしている。
「腹と背中の調子はどうだ? あんたもモンタン、いや、モットラと同じ聖架隊だろ!?」
と言うとクロエは口に手を当てふっふと笑った。
「聖架隊……? ああ、聖なる虹の橋のことですか。人伝いの間に滑稽なあだ名が付きましたね。でも、気に入りました。そのあだ名。それにしてもモットラも正体を晒したのですか。これだからスヴェルフは……。まぁこうなってしまっては」と言うと服の中から馬酔木の杖を取り出した。
「確かに私たちはそうです。連盟政府に害成す悪とその芽を摘むのが私たち“聖なる虹の橋”の支柱の役目です」
「じゃあこの研究は連盟政府にとって良くないものってことだな?」
クロエは眉を寄せて小首をかしげて、左掌を天に向けた。
「あなた……何を言っているのですか? よく考えてください。それを作り出したのは誰ですか? スヴェンニーですよ? それについてどう思いますか?あのスヴェンニーなんですよ!? 自らの術に溺れて破滅した、何の取り柄さえも残っていないスヴェンニーなんですよ!? 連盟政府にまつろわぬ民の技術などあってはなりません! それを許せますか? それをあなたには許すことができるのですか!? 許せてしまうのですか!?」
オージーとアンネリがそれを聞くと下唇を噛み締めながら、血走り瞳孔を開いて喚くクロエを睨め付けている。クロエはピタリと動きを止めると、すっと息を吸い込んで冷静になった。そして二人の方へ向き直り、右手を前に出した。
「さて、そう言うわけです。お二方、論文を渡してください。そうすれば以前のものは取り下げません。交渉しましょう。以前の論文はとてもいいものです。スヴェンニーながら賞賛に値するほどです。図らずも私も参考にしてしまいました」
「こんなのは取引じゃない! させてたまるか! 論文を奪った後、そっちも消すつもりだろう!?」
俺は遮り、声を荒げた。だがクロエは、「外野は黙っていなさい!」と一喝した。しかし、一呼吸開けると、
「それは、連盟政府に害がなければ、ですね」と、血走った目でにたりと白い歯を見せつけた。
だが、その隣で話を聞いていたレアが眉を寄せてクロエを見上げた。
「ちょっと待ってください! 話が違います。クロエさん、すぐに処分するというお話ではありませんでしたか!?」と詰め寄った。
「クロエさん、あなたがどこの誰であるかを問うことはしません。ですが、あれが有害であるならば今すぐここで処分すべきです!」
だがクロエは必死になるレアを見ずに俺たちの方へ目を向けたまま、
「それは出来ませんね。私たち政府が主導で処分することで完全に消したという事実を残せます。彼らは信用に値しません」と答えた。
だがレアは食い下がらない。
「目の前で処分してしまえばそれで終わりなのだからそうすべきです! 彼らもこれに懲りて二度とその実験はしないでしょう。私は彼らの仲間です。それははっきりとわかります」
どうやらレアは今すぐこの場で処分したいらしい。立ちはだかる二人は少し食い違い、言い合いになっている様子だ。
「仲間、ですか……。実験が失敗するように仕向けておいて、まだ仲間ですか! あはははは! 素晴らしい!」
レアの言葉を聞いたクロエは大声で笑いだした。
だがいずれにせよ、結果が俺たちの手から離れることに違いはない。
「二人とも、悪いけどどっちもできないな」
その瞬間、レアの視線が鋭く光った。すると「本当によろしいのですね?」と念を押すように尋ねられた。