藍色に黄昏るデオドラモミ 第十話
「み、皆さぁーん、こんにちは。こ、このところ来られなくてごめんなさい。非番だったんですけど、カミュちゃんの北部辺境孤児支援基金の内部監査の手伝いをしていて、これお土産のバゲッ……ト……」
そう言いながらドアを開けたティルナは、え、と息を漏らすとドアノブを握ったまま硬直した。
レアの報告から一週間ほど経ち、商会からの道具の搬入も完全になくなった。そして、消耗品は減り続けてついに底をついてしまった。そのおかげでいよいよ実験も不可能になっていたのだ。
稼働していなかった実験機具は水を打ったように静まり返り、夜間も絶えず響かせていたわずかなハム音もなく、微振動もない。放たれる静電気で埃をさっそくと集め始めていた。重苦しい空気が流れる中で蛇口からぽたりと水が滴る音がする。本部へと交渉に向かったレアからの連絡はまだ来ることはなく、俺たち四人はいよいよ諦めの境地に差し掛かろうとしていた。
ティルナはそのどんよりとした空気を感じて、俺たちから距離を取るように飛びのき後ずさった。
「え、えぇ~!? わ、わわわ、皆さん、どうしたんですか!? まさか私何かしてしまいましたか? ご、ごめんなさい!」
机に突っ伏していたアンネリが顔を起こしてティルナを見た。そして頬杖を突くと、「違うわ。ちょっと大変なことになってるのよ」と髪をかきあげた。
腕を組んで目をつぶっていたグリューネバルトがゆっくりと口を開いた。
「トバイアス・ザカライア商会が実験機材の販売を差し止めにしてしまったのだ」とつぶやくと沈黙した。ややあって再び「アカシカル・アルケミアの連中もしかり、現場を知らないやつばかりだな。こうなったらこれまでの結果をサラミにしてよそに出してやろうか」と組んでいた腕にさらに力を込めた。
サラミ? ああ、サラミ出版か。一つの研究として発表できるものを、複数の小さな論文に分割して出版する方法だ。“成果を示せ。さもなければ去れ”の世界である研究業界で出版数を増やす方法の一つだ。無駄に文献数を増やしてしまうから業界的には美味しくないサラミだ。
「先生、サラミはダメです。俺が昔いた大が……大きな研究機関で大学院せ……学生を卒業させるために論文を小出しにしてるのがバレて怒られてましたよ」
その瞬間、俺はクワッと睨みつけられて「当たり前だ! バカモン!」と怒鳴られてしまった。薄々わかってはいたが、やはり冗談だったようだ。
「すいません……。でも、なんか、こう、ないんですか? フロイデンベルクアカデミア内部の学会の論文雑誌みたいなやつ。それにこれまでの成果を出しちゃうのはどうなんですか? もったいないで」
「バカは黙っておけ! そんなプライドのないことができるものか!」
先ほどよりも口を大きく開いて泡を飛ばしてきた。またしても怒鳴られてしまった。
またしても日本にある大学の話だが、学内学会の論文雑誌に載せるのは、卒業が危うい大学院生のよくある(?)救済策の一つだ。
本来は教授たちの論文審査が終わって、どこかしらの論文雑誌へのアクセプトをされてやっと卒業が決まる。
だが希にいるお粗末……いや時間がなくてどこの雑誌にもアクセプトされなかった学生の論文をねじ込んで“雑誌掲載になった”として卒業に持ち込む方法だ。(卒業の基準は、論文審査まで、アクセプトまで、掲載まで、と大学によって異なる)。
だが、ガチガチの研究者であるグリューネバルトがそれを許容できるわけがない。よく考えもしないでグリューネバルトにそれを重ねて言った俺は本当にバカだなと自ら悟った。それどころか、オージーも、アンネリまでも乾いた目で俺を見ている。
俺は猫背になり小さくなってしまった。四人で一斉にため息をすると肩が落ちていった。
そこへ突然ティルナがおずおずと四人の中心へと内股で歩んできた。手を胸のあたりで組み合わせ自信なさそうにしている。
「あ、あのぉ、それって実験が続けられないってことですか?」
「そうだ。残念なことにボクたちの実験はここまでのようだな」と下を向いていたオージーは顔を上げてティルナの問いかけに応えた。
「それで、み、皆さん、実験ができないのって販売差し止めされて道具がないから、ですよね?」と確かめるように左右をキョロキョロ向いて、俺たちの顔を窺った。
「何回も言ってんでしょ!? いい加減にしてよ!」
アンネリは頬杖をついていたほうの手を離すと、バンと机を叩いた。
ティルナは強く言われて、そして音にびくりと驚いたが、彼女は臆することなく続けた。
「道具があれば再開できるんですよね?」
「そうだが……」とオージーが何か怪訝に眉を寄せた。
それを見るとティルナは全員の顔を勢い良く見回した後、うんと頷くと息を大きく吸い込んだ。
「あの、私、実験器具について何とかできると思います。特に錬金術関連メーカーはイスペイネに多いので」