藍色に黄昏るデオドラモミ 第六話
「クロティルドさん、こんにちは」
「あら、こんにちは。イズミさん。私はクロエで構いませんよ?」
研究室で時々会うだけで特に話すことはなかったクロティルドさんと俺はフロイデンベルクアカデミアの廊下ですれ違った。俺も一応実験に参加しているので、彼女をスルーしてしまうわけにはいかず声をかけた。書類を見ていた彼女は驚いたように顔を上げ、にっこりと笑った。
「そうですか、ではクロエさん。どうしたんですか? 今日は?」
「様子を見に来ただけですよ。っていうとなんだか急かしてるみたいですけどね」
聞いてから白々しいかなと思ったが、気にもせずに応えてくれた。口に手を当ててクスクスと笑っている。こんな風に笑うのか。見た目からストイックな性格の人なのかと思っていたが、笑う姿はいかにも楽し気な感情を出していて意外だった。
「実験は、まぁたぶん順調だと思いますよ?」
「そうみたいですね。今日はもう終わりなんですよ。あ、そうだ。イズミさん、これから少しお茶しませんか?」
「構いませんよ。どこに行きますか?」と尋ねると「街に出るのは遠いですね。学食でも構いませんよ」と答えた。
俺は渋い顔をしてしまった。フロイデンベルクアカデミアの学食はあまり気が進まないのだ。衛生的な問題ではなく、そこでも常に研究がなされているからだ。
「いえ、ストスリアに行きましょう」と言うとポータルを開いた。「よくいくカフェがあるので」
やはり移動魔法は珍しいようでクロエが驚いていたのは言うまでもない。
向かったのはストスリアのあのいつものカフェだ。この街で行き場に困ったときはカミュと見つけたこの店に行くことにしている。常連のように使っていたので、店に入り席に着くと頼んでもいないのにコーヒーが出てくるようになってしまった。図々しく常連面はしたくないのだが、店員もわかってしまっているのだろう。
「イズミさんは賢者だとお伺いしましたが、何か研究はなされているのですか?」
「いやぁ、お恥ずかしながら、実は立場を持て余していまして」
「なるほど、それでお二人の実験を手伝っているのですか?」
「そんなところです。立場を利用して融通利かせたり。って職権乱用ですね。ははは」
「どんなことを手伝われているのですか?」
やはり彼女はビブリオテークの司書の一人だからか研究内容にとても興味があるようだ。グイグイと迫ってくるように聞いてくる。
「北の方で見つかった物の解析をしているんですよ。結構珍しいみたいで、俺も扱えないような物です」
「それは……もしかしてスヴェンニー以外には持てないという物質ですか?」
「そうなんですかね。手伝いしているだけなので、イマイチですよ」と嘘をつき、はははと笑いながら右上を見た。無表情のクロエはしばらく俺をまっすぐ見つめていた。それはわずかな時間であったが何か見透かされたような気がした。嘘がバレたかな。
しかし「大変ですね。でも結果が楽しみですね」とパッと微笑んだ。悟られたところでどうしようもないのだが。
「そうですね。俺も頑張らないと」
気が付けばコーヒーも半分ほどなくなっていた。
いつものパターンでコーヒーが半分ほどになると店員さんが注文を取りに来てくれるのだ。俺はそこで食事をして行くつもりだったが、彼女はどうするのかわからなかったので「クロエさん、ご飯どうします? もう首都に戻りますか? なら送りますけど」と尋ねた。すると「時間に余裕はあるので、ご一緒させてもらおうかしら」と微笑んだ。
それから彼女と食事をしながら身の上の話を少しした。彼女は名門校出身ではないが、(こういう言い方は学閥思想であまり気が進まないが)相当な切れ者のようだ。
高い学費を払えないために三流の学校に、所得に連動して返済される無利子無期限の奨学金で通っていたらしい。そこから錬金術界の影の大黒柱ことアカシカル・アルケミアに司書長見習いとして実力を示して就職し、今ではもう見習いではなく司書として後輩たちのリーダーをしているそうだ。
ゆくゆくは司書長を目指しているのか、と尋ねるとそうでもないらしい。あまりにも理想的な奨学金制度を適用してくれた連盟政府のために働きたいそうだ。そうボレロについたバッチを弄りながら話していた。彼女はそれをいついかなる時もつけていたいそうだ。自らの人生の成果のように思っているらしい。
それから食事が終わるとクロエを首都サント・プラントンまで送り、フロイデンベルクアカデミアに戻ってオージーとアンネリの実験を手伝うことにした。戻った時にはグリューネバルトとティルナも研究を手伝っていた。どうやらその二人は俺とクロエがカフェにいたところを目撃していたらしく、四人でその話で盛り上がっていたらしい。
「アニエスに言ってやろー。別のメガネとイチャこいてたってー。ドSメガネとランチしてたってー」
「うるせ。ドSメガネってクロエさんに言うぞ」
「イ、イズミさん! ク、クク、クロエさんとはどういったご関係なのですか!?」
「誰だっ。ティルナにわけわからんこと吹き込んだ奴は!」
すると、少し離れたところに置いてある机で書類を見ていたグリューネバルトが、んふっふっふっと背中を揺らした。
クソジジイ! テメェか! 青春ならぬ銀春真っ盛りの癖に!