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藍色に黄昏るデオドラモミ 第五話

「ティルナ?」と声をかけるとドアがゆっくりと開いた。やはりそこには彼女がいたのだ。


「ユウさんにとってやっぱり私はマリソルの代わりなのですか……?」


 ティルナの登場にグリューネバルトは少し驚いたようになったが、すぐに雨で濡れる窓に視線を逸らした。先ほどよりも雨脚は弱くなっているようだ。


「はっきりと言ってしまえば、そうなのだろう。私はマリソルへの責任を感じていた。このまま後悔を背負ったまま死ぬだろうと思っていた。しかし、君が現れたのだ。哀れな者だ。贖罪の機会が与えられたと、私は思ってしまったのだ」


 困ったような顔のマリソルは目に涙を浮かべ始めた。しかし、それがなぜかわからないのか、人差し指で目じりと拭うと濡れる様子にさらに困惑した顔になった。


「わ、私はマリソルではありません」


「――ならば」と近くの椅子を手で手繰り寄せると、椅子とティルナを交互に見て、彼女を呼び寄せた。


「君がそれを私に伝えなさい。頭の固い私ははっきりと言われなければいつまでもそのままだ」


 ティルナは頷くと、震えながらテーブルに寄せられた椅子に腰かけた。グリューネバルトから少し離れるように。



――――



 私はティルナ・カルデロン。

 祖母はマリソルの妹のエストレーリャ。祖母とは生まれたときに一度しか会ったことがない。生まれてすぐに私はカルデロン本家に養子となったからです。あまりにも幼かったので、一緒に育ってきたエスパシオ兄さんは本当の兄でした。私が生まれたときにはすでにマリソルは、開翼信天翁(かいよくしんてんのう)十二剣(じゅうにけん)付勲章を貰うほどにイスペイネでは大英雄でした。


 彼女の名前はマリソル。イスペイネの言葉で、マリは海、ソルは太陽。


 私の名前はティルナ。テラは大地、ルナは月。


 マリソルのようなイスペイネを導く英雄になってほしいという願いから、マリソルと対になるようなその名を付けられたのです。


 だけども、私は弱かった。何をするにしてもマリソルと比較されてしまう。やはり直系の血ではないから差が出てしまうのかと言われることもありました。



 あるとき、私はヴィトー金融協会へと送られることになり、独り立ちと言うことで剣を与えられました。それがティソーナでした。ティソーナは松明を意味しています。夜の大地の名を冠する私にふさわしいと、英雄の遺品を授けられました。暗き道を照らし、イスペイネの沈まぬ太陽となりどこまでも導け、という使命を負わされました。


 ティソーナはよく手になじみ、重さも私にはぴったりでとてもいい剣です。ですが、どうしても私は好きになれませんでした。柄を握り振り下ろすたびに、マリソルが私の中をよぎりました。まるで私が不適格であることを伝えようとしているかのように。私はマリソルの亡霊になど負けてたまるかと夢中で鍛えました。


「今ではもうだいぶ気にはなりません」


「乗り越えてたどり着いた先なのに、嫌ったマリソルと同じ扱いをされるのは嫌だということか」


 下を向いてしまった。肩が小さく震えている。それを見たグリューネバルトは鼻から息を吐きだした。


「よく聞きなさい。マリソルは死んだ。それも君が生まれる遥か昔、私の背中で」


 テーブルの上で手を組み合わせ、姿勢を正した。


「私が言えた立場ではないが、君の中にいるマリソルは君自身が生後に聞いた話を基に作り上げられた偶像だ」


「そんな……」


 マリソルは悲しそうになった。だが、反対にグリューネバルトは微笑んだ。


「生前、マリソルがどんなだったか、聞きたいか?」と鼻で笑った。「私の部屋で助平な本を見つけると頬を赤らめて、恥ずかしさを誤魔化すために枕で私を叩くような女だ」


 懐かしむように、そしてどこか嬉しそうに話をつづけた。


「会ったばかりの時はキツイだけの女かと思っていたが、知れば知るほどに彼女に魅了された」


 話すほどにグリューネバルトは若返るように輝く。


「褐色の肌、銀色に輝く長髪、深い青い目、それだけではない。内なる芯の強さがありながら慎み恥じらう乙女の心もあった。とても、魅力的だった」


 昔の話をする彼はもはやその当時の彼のようだった。見たこともない彼の若かりし姿が、日々が、滔々と流れ出る言葉の節々から浮かび上がるようだった。


「どうだね? 君の中のマリソルとは違うだろう?」


「はい……」ティルナは吐き出すようにそう言うと「ユウさんはマリソルのこと……いえ」と顔を上げて笑った。


「私は何度でも言う。マリソルは死んだ。君は君らしく生きて行けばいい。剣はただの剣に過ぎない。剣がすごいのではない。剣を持った者が成したことがすごいのだ」



 夕立は上がったようだ。

 真っ赤な夕日が研究室の窓から差し込み、機具も俺たちも何も、すべてを赤く染めていた。


 俺は邪魔だな。用足しにでも行くか。開け放されたドアの隙間を俺はするりと抜けて研究室を出て行った。


――――


「爺さんとティルナは?」とアンネリが研究室に入ってくると分かり切ったことをわざわざ聞いてくる。


「今日もデート」


「あっそ。それにしてもティルナもあんな爺さんに言い寄られて何がいいのかしらね。ジジイもジジイでヤらしい。昔の恋人に似てるから?」


「そりゃ昔の恋人そっくりな娘が近づいてきたらデレデレしちゃうかもしれないけど、ティルナはマリソルじゃないってはっきり言ったからね。でも、戦場で無意識に強烈に刻み込まれた好意だから仕方ないんじゃないかね」


「げぇ、未練たらたら……。きんもー。まぁでも何にもしないってわけじゃないからいいんだけどね。もうちょっと手伝いなさいって話よ!」とフンと鼻を曲げた。


「アンネリはあれか? お爺ちゃんに構ってもらえなくなった孫みたいな感じで寂しいのか?」


 俺はアンネリにニタニタしながらそう尋ねた。横でそれを聞いていたオージーは、試験管を回しながらわはははと笑いだした。するとアンネリは彼の足をズンと思い切り踏んづけた。「ちっ、違うわよ!」と言いつつも顔は真っ赤だ。


 なんだかんだ言ってアンネリもグリューネバルトを慕っているのだな。


 楽しそうな声にアンヤとシーヴもきゃっきゃと笑い出した。




 日が進み解析を重ねたところ、ブルゼイ・ストリカザには恐ろしいまでの発見があったのだ。


 オージーが言うには、鉄百キロを作りたければ綿百キロが必要であり、体積が大幅に変わってきてしまう。しかし、その技術があれば綿百キロ分のまま鉄百キロにできる、ということだ。アンネリの通訳では、錫を錫のまま別の金属の性質を与えられるということだそうだ。イマイチだ。


 それはよく理解できなかったが、その他にさらに、スヴェンニーしか持ち上げられないという呪いを利用して杖のセキュリティを強化できたり、抵抗がゼロの魔力超伝導性を有した特殊金属を作成できたりという、多様な可能性まで示したのだ。


 しかし、それが本当に恐ろしい事態を招くとは、このときはまだ誰も思わなかっただろう。

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