藍色に黄昏るデオドラモミ 第三話
さて、突然の来客で話がずれてしまった。
なぜグリューネバルトがティルナとストスリアの街へ繰り出しているのかについての話だ。勘が良ければ、いや、ティルナの姓がカルデロンであることを考えればある程度察しが付くだろう。
研究室が暑苦しくなったのは実験が本格的に始まる前、俺たちがイスペイネから戻った直後の話だ。事件から明けた直後であり疲れてはいたが、俺たちはあまり日を空けずにブルゼイ・ストリカザの解析を始めることにした。
解析をしようと言う話は、槍がギンスブルグ家から返還された直後にグリューネバルトともうすでに決めていたそうで、双子救出中に俺たちがイスペイネで動いているときに、グリューネバルトが学内で実験室の確保を済ませていた。
研究を行うのは、オージー、アンネリ、俺、そしてなぜかもう一人、ティルナが来ることになった。彼女は双子騒動の件を金融協会本部へ報告すると長期の休暇を与えられたそうだ。そこで特にすることもないので実験に参加することにしたそうだ。
シルバー・ミーツ・ガールの日。
オージーとアンネリがほんの少しだけ(たったの15センチほど、たったの)折ってくれたブルゼイ・ストリカザの解析の日程調整のためにフロイデンベルクアカデミアの研究室へと向かった。
ポータルを開くと、視界には真夏のフロイデンベルクアカデミアが広がった。
踏み荒らされでもなお頑なに生え続ける芝生の真ん中にある噴水は、誰かがアップデートしたのか、脈打つようにぼんやりと発光している。それを笑いながら汲みだしているぼさぼさ髪の学生、八本足の犬はつがいを見つけたのか、水晶の生えたベンチの下で5匹の子犬たちを舐めている。そして、響き渡る奇声と爆発音。
これぞ、輝ける真夏の学び舎、フロイデンベルクアカデミアだ。久しぶりの異様な光景に懐かしさを覚えて安心してしまった。
前回と同じように大きな時計塔のある赤いレンガ造りの大きな建物に入った。すると、建物内は外と違い静まり返っていた。外の明かりが差し込み、光が反射している廊下を奥まで進む先にある木製のドア。実験室として与えられた場所は、以前彼らが使っていた部屋だったのだ。あのころと違うのは、ドアに貼られたテープは跡だけになり、部屋の中は空っぽなことぐらいだ。
オージーがドアを開けると埃臭さではなく、床に掛けたワックスか何かのわずかなツンとした匂いが鼻をついた。そして以前のような書類の壁はなく、視界は大きく広がった。意外と広さがあったんだなときょろきょろと見回すと、真ん中に見覚えのある老人がいた。オージーが「こんにちは、グリューネバルト先生」と言うとアンネリが続いて部屋に入り、口をへの字に曲げながら挨拶をした。俺もそれに続いた。
このクソジジイ、ブルゼイ・ストリカザを折ってもいいなどと二人に言いおってからに。あとでアルフレッドにする説明は全部あんたがやれ、と心で思っていると、
「来たな。なんだ?イズミ、久しぶりの挨拶がそんな顔だとはな」とグリューネバルトは不敵に笑った。顔に不満が出ていたようだ。俺は思わず顎を触ってしまった。だが彼はふふふと笑い続けている。ここを退官して立場から解放されて少し丸くなった様子だ。
「まだ機材はないが、ここを貸してもらった。なに、すぐに機材を入れさせよう。私が言えばすぐだ」
と自信気に両手を広げている。何から何まで本当にとんでもない爺さんだ。
だが、入りづらそうにドアからのぞき込んでいたティルナが部屋に入った瞬間、自信にあふれていたはずのグリューネバルトの顔がまるで40年ほど若返ったように俺の目には見えた。目は潤いを増して輝き、刻まれた顔手指の皺は消え去り、やや猫背気味だったはずの背筋は天からつるされたように伸びて、精悍な青年のような顔になったのだ。
しかし、それは刹那の幻だったようだ。瞬きをすると、いつものグリューネバルトの顔に戻っていた。だが彼の目の輝きはそのままにぴったりと動きを止めてしまった。次第に目は大きく開かれていき、見たこともない驚いた顔になっている。
そして、確かめるように一歩一歩と前に出ると「マ……マリソル……なのか?」とグリューネバルトはティルナを凝視した。
「先生、ご紹介が遅れました。彼女はティルナと言います。ティルナ・カルデ……」
オージーの言葉に構わず、彼を押しのけるとグリューネバルトはティルナにずんずんと迫っていった。
「君はマリソルか!?マリソルなのか!?その剣、それはティソーナか!?」
「え!?えぅ!?ち、違いま、え、えぇ~!?」
グリューネバルトは彼女の肩を掴み、ゆさゆさと揺らした。そして何度も確かめるように、眉を下げて彼女に問いただした。ティルナの顔がどんどんと赤みを帯びていく。
「あ、わぁ、私はティルナですぅ……」
それにグリューネバルトははっとしたような顔になった。そして、彼女の顔を覗き込むと何かに気付いたようになり、そっと肩から手を放した。そして目をつぶりゴホンと咳払いをした。
「そう、か。君はティルナと言うのか」
落ち着きを取り戻したが少し残念そうに、何事もなかったように部屋の真ん中に向って行った。突然の出来事であり、誰かがそれを追求することを許さない空気を出している。
それから椅子を5つ並べて話し合いが始まった。なぜかティルナはグリューネバルトのすぐ横に腰かけた。
驚くようなことはあったが、隣に座り真剣にのぞき込むティルナに構うことのないグリューネバルトの有無を言わさぬ雰囲気のおかげで話し合いはとどまることなく進んだ。
準備は次の日には整うらしく、すぐに実験を始められるそうだ。
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