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白い山の歌 後編

「久しぶり。ククーシュカ、元気だった?」


 連絡を取って二日後の昼前、彼女は言った通りに俺の家のドアを叩いた。様子は以前とは変わっていない。肩に葉っぱが付いているのは野宿でもしていたのだろうか。だがコートは汚れてはいない。そしていつも通りの手ぶらで現れたのだ。


 ドアを押さえて彼女を中に招き入れながら、「ごはんは食べられてる?」と尋ねると彼女は頷いた。テーブルの椅子を引いて座らせながら「お金はまだある?」と尋ねると彼女は頷いた。そして斜め向かいに腰かけながら「大丈夫?」と尋ねると、やはり彼女は頷いた。頷いてしかくれない。八文字以上は喋らない。その反応が相変わらずで俺は少し安心して笑ってしまった。


 笑う俺を見て「今日は何?」と眉を僅かに寄せた。


「ごめん。ごめん。大丈夫そうで安心したよ。今日呼んだのはグスリを弾いてもらおうかなと思ってさ」


 ククーシュカは目を見開いた。


「ダメ?」


「構わない。けれど、楽器がない」

 少し悲しそうに鼻筋を弄った。大丈夫、というと俺はグスリをタンスから持ち出した。


「あの骨董品屋、つぶれたっぽくてさ。いや実は俺たちがつぶしたようなものでもあるんだけど……。とにかく手に入った。でも汚れてるし、メインテナンスもしてないけど使えるかな?」


 ククーシュカは机の上に置かれたグスリに近づいてそっと撫でた。なぞる指先に沿って埃の線ができる。

「直せる」とつぶやくと、突然いそいそとコートから色々なものを持ち出した。敷かれた布の上に見たこともない道具を次々と並べると、気合を入れたのか腕まくりをしてさっそく修理を始めたのだ。


 その姿はどこか懐かしく、俺はテーブルの向かいに肘をついてじっと見つめてしまった。目が寄るほどに真剣にグスリをみつめ、そしてその小さな手で一生懸命に作業するその姿は、こちらに来る前に姉に子守りを頼まれたときに見た、図工の宿題を作っていた甥っ子のようだったのだ。



 しばらくそうしていると修理をする彼女の手が気まずそうに止まった。そして顎を下げたまま俺を見ると「なに?」と小さくつぶやいた。


「あ、ごめん。ちょっと昔のこと思い出しちゃってさ。そうだ。コーヒー飲む?」


 作業を始めた彼女はグスリに視線を戻すと修理を始めた。そして小さく頷いた。


 俺は立ち上がり、コーヒーを淹れるためにキッチンへと向かった。アニエスがいた頃に一度綺麗にされていたそこはすっかり散らかり放題だ。湯沸かしのためのマジックアイテムを付けて時間がたつと、パチパチトントンと彼女の工具を使う音に混じって次第に湯が沸くようなふつふつとした音がし始めた。熱湯を少し冷ましていると、「あなたはどうしてこういうことばかり頼むの?」と彼女は尋ねてきた。


「アレ? なんかまずいお願いだった?」


 キッチン横の壁に寄りかかって、彼女の方を見た。手は止まらない。


「そんなことはない。私は暗いところで生きてきたの。でもあなたはそうじゃない生き方をさせようとする」


「それがなんでなのかってこと?」


 手が止まると顎を引き気味にして俺を見ながら頷いた。


「なんでって、普通に生きるってそう言うことじゃないのかな?」


 逆に、暗いところで生きていたいのかと聞きそうになったが、たぶんそんなはずはないので俺は言わないことにした。無言で俺を見つめた後、彼女は再び修理を始めた。手の動きが先ほどよりもテキパキとし始めたような気がした。どうやら大変な作業なようだ。後で材料費も支払おう。



 二日後、彼女は思ったよりも早くグスリを修理し終えたので、演奏をすることになった。


「私は弾けるとは言った。けれど一曲しか弾けない」


「一曲で充分だよ。たくさん弾けたからいいってわけじゃない。その一曲を全力で弾いてくれ!」


「わかった」と返事をすると深く息を吸い込み、そしてグスリを抱えて椅子に座った。修理され綺麗になったそれには五本や六本ではなく、もっとたくさんの弦が張られていた。

 ククーシュカの体は小さい方ではないが、グスリを抱えるとまるで彼女が小さく見えてしまうほどだ。決して軽くないはずのそれを抱えることができるのは彼女の体力の多さもあるのだろう。

 抱えたまま彼女は俺をじっと見つめた。そうだ。うっかり聞くことに集中してしまいそうになった。俺は組んでいた腕をほどき慌てて音声魔石の録音を始めた。


 軽く目を閉じた彼女は囁くように弾き始めた。



“私はさえないグスリャル。

 北風の行きつく先の白い石の山は私の故郷。渇きの山は私たちを潤した。

 

 私はしがないグスリャル。

 山にたどり着きたければロバに尋ねるな。嘘をつかない彼らは無知なだけ。

 

 私はさまようグスリャル。

 故郷を鳥たちに教えてはならない。死骸をついばむ鳥たちは故郷を燃やした。”



 弾きながら彼女はそう歌った。とても長い歌で、希望もないような歌詞だった。グスリの響きはただただ悲しく、吹雪くことさえない雪山の中で、千日続く白夜をたった一人で過ごすような、孤独の寂しさだけでなく自然に対する恐ろしささえ感じるようなものだった。しかし、美しい曲であるのは間違いなかった。


 音色に聞きほれてしまい、曲が終わったことにも気が付かず彼女の姿をぼんやりと見つめてしまった。またしても彼女に無言で見つめられて気づき俺は録音を止めた。


 「これでいいの?」と尋ねられたので、遅れながら彼女に拍手を送った。すると黄色い目を大きく開いて光らせた。


 弾き終えた彼女はグスリを軽く撫でている。「これ、どうするの?」と尋ねてきた。

 欲しいのだろうか。大きなそれを持って歩くのは大変かもしれないが、便利なコートを持つ彼女にとっては持ち運びには問題がないはずだ。


「持っていきたい?構わないよ」


 それを弾いてストリートミュージシャンみたいにするのもいいかもしれない。


「……ほしい」とつぶやいたので上げることにした。


 彼女はそれをコートに仕舞うと何も言わずにすたすたと帰ろうとしてしまったが、俺は無理やり引き留めてウミツバメ亭へ連れていきごちそうした。

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