ルシールより愛をこめて 最終話
「大層な夢、ですね」と冷静なふりをした。
だが本当はワクワクして仕方がない。上ずる声を押さえるのが大変だ。俺は飛行機で空を飛ぶことが当たり前の世界で暮らしてきたはずだ。それなのにこれが飛ぶのを、時代遅れなこの大きな飛行船が大空を翔るを見てみたいと思ってしまったのだ。
俺の興奮が漏れ出ていることを感じ取っているマゼルソンは飛行船を見上げた。そして、
「君に私の野心を見せたのだ。ところで君には野心はあるかね?」
とマゼルソンは試すかのように尋ねてきた。
目の前で不敵に笑う男は“野心のない者は何も得ようとしないので基本的には無能だ。
無欲は美徳だが進歩がない”と言った。ここで俺には野心などないというのは悔しい。しかし自らの腹の中にあるものが野心と言えるほどのものなのか、自分の中で謙遜と言う形で抑え込もうとしている。
だが、それは違う。抑え込もうとしているのではない、隠そうとしているのだ。何か野心を持つことが馬鹿げているような、そんな気持ちがあったのだ。うまくいかないだろうと決めつけて、冷めたふりをして野心を持ち熱くなるのが恥ずかしいと言い訳をしていたのだ。恥ずかしいのは野心を持つことじゃない。失敗することなのだ。
あんなことを言われて、そしてこんなものを見せられて、何を言えばいいか。わかるだろう。
「ある。俺には野心があります」
「ほう、何かね? 恥ずかしくて言えないか?」
そんなことはない。俺はカッとしたように
「エルフと人間の完全な和平を結び、同じ大地に共に生き続けることです」と語気を強め、睨め付けた。
マゼルソンはそうか、と鼻で笑うと
「ならば、これからも仕事はしてもらわなければな。それにしても、君は感情を隠すことが下手だな。だがそれは悪いことではない。君にできることは山のようにあり、その中には君にしかできないことも山のようにある。期待しているぞ」
と再び飛行船を見上げた。
このじいさんは俺をすっかり共和国の人材だとでも思っているのだろうか。だが、この世界にすれば異物でしかない俺はそれでも構わない。背筋を伸ばしマゼルソンを見た。
「マゼルソン長官殿」気が付けば再び彼に対して図らずも敬語で話し始めたのだ。「連盟政府内で使用された銃のことは、証拠が完全に破壊されているならば何もなかったことにしましょう」
マゼルソンはふふっと笑った。悔しいが俺は彼の野心に心を奪われたと言わざるを得ない。その前に立ちはだかるものを許してはいけないとさえ思ってしまった。
「自分もそのことについてはもう口を閉ざします。代わりと言っては何ですが、ルシールさんの歌っていたシャンソンの録音された魔石のコピーをいただけませんか?」
少々脈略がなく唐突になってしまった。やはり彼は怪訝な顔になった。
「何のためにだね?」
「連盟政府内で共和国の、エルフの文化を広めなければいけません」
「何を言っているんだ。あれはもともと人間の歌っていたものだぞ」
「残念ながら連盟政府にあれほど魅力的な歌はありません。あなたの恋人の声を世界に広めたいと思いませんか?」
マゼルソンは近くの手すりを掴み、寄りかかる様にした。
「何をするつもりだね?」
「ラジオ計画です」
らじお? と聞き返す彼に俺は説明した。
「こそこそとやっていたのはそれか。この間の流行歌の魔石のやり取りはその一環ということだな。私は蚊帳の外だったようだな」
「申し訳ありません。自分程度では長官殿が考えていることがわからなかったので」
それを聞いたマゼルソンは驚いたように眼を開いて俺を見ている。
「肝が据わった奴だな。構わん。連盟側に行く前にオフィスにきたまえ」
「時間がありません。今からお伺いします」
俺は移動魔法でオフィスまでのポータルを開いた。すると、便利なものだな、恐ろしい、とマゼルソンはポータルを潜り抜けた。
ルシールのシャンソンを魔石にコピーして、すべての用事が終わった時間はすでに夜遅くなってしまった。さすがにヤシマをその時間帯に呼び出してポータルを開かせるわけにはいかないので、その日はギンスブルグ家に泊ることにした。ありがたいことに客室を一つ俺の部屋にしているらしい。
警戒中の女中さんたちに敬礼をして邸宅に入り、廊下を歩いているとユリナとすれ違った。そして俺の顔を見ると「お、なんかいいことあったのか?」と尋ねてきた。どうやら飛行船を見た興奮の余韻がまだ残っていたようだ。ニタニタしながら飛んでいるような足取りに見えたらしい。ふんふん鼻を鳴らしながら何でもないさと言うと気持ち悪そうに口を曲げた。
マリークはもう眠っている時間だったので起こさずにこっそりと部屋へと向かった。プレゼントがまだなので、まだ彼に会うわけにはいかない。