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ルシールより愛をこめて 第三話

 マゼルソンがまだ特別情報親衛警邏(ルーアポリチェー)だったころ、潜入でイスペイネのスラムにいたそうだ。出世が決まり潜入もそれが最後の時だった。そこでモンタンを見つけたそうだ。

 身なりはぼろぼろで他のスラムの子どもたちと変わらず、汚れきった素足で近づいてきてマゼルソンの持ち物を盗もうとしていた。


 だが、他とは違い群れて追い込むようなことはせず単身で向かってきたり、犯行の現場をできる限り小さくしたり、どこか手慣れているようでただの子どもではなかった。何かの才能を感じたので帝国に連れ帰ったそうだ。最初は言うまでもなく暴れたが、それから連盟政府ではすべて持たないあの男に帝国ですべてを与えた。衣食住、学問から武器の使い方まで余すところなく。


 本来、戦いを仕込まれていない者に剣を持たせて戦わせると、突き殺せと指示を出していても振り下ろすのだ。それが銃になれば意図的に上を向けて撃つ。人間(エノシュ)もエルフも、自分が傷つくことよりも相手を傷つけることを恐れるのだ。


 しかし、モンタンはスラム育ちのおかげかはわからないが、そのようなことはなかったのですぐに頭角を現した。そして現場に行かなくなったマゼルソンの代わりに潜入任務をさせていたらいつの間にやら連盟政府のスパイにもなっていたそうだ。驚いたことにマゼルソンには直接報告をしてきたそうだ。


“連盟に行けばスヴェンニーと迫害され、帝政ルーアにいれば人間(エノシュ)と後ろ指を指される。これがどれほど潜入に向くか。蔑みと言う色眼鏡は、あらゆる事実を覆い隠す”と。


「私は忘れられんよ。その言葉がな。だが、それはまだスパイを送り込むことに躊躇のなかった帝政時代の話だ。マリアムネの目を誤魔化して、メレデントの下につけるのも苦労したものだ」


 今は昔と懐かしむように微笑み、眼を閉じた。


「あんたも帝政支持者か?」


 そういうと首を傾け、疑問を問いかけるように眉を寄せた。


「はて、帝政時代はすべて悪なのかね? 君は帝政時代の何を知っているのかね? そして、イスペイネで君は五家族という貴族たちに直接触れて何を思った?」


「悪辣な帝政時代のことなんて知らない。俺が見たのはくだらない序列だ」


 そうか、とだけ言うと続けた。


「帝政時代は貴族どもの腐った世界だった。だがそれは帝政思想(ルアニサム)の弊害に過ぎない」


「あんたも息子に貴族と付き合わなかったからなんだかんだと言ってたじゃないか」


 椅子をくるりと回すと、背後の棚に置いてある九芒星の金床(ノナ・アンヴィル)の盾を手に取った。


「そうだな。私はそれが嫌なのだ。貴族でなければ交友に不適だなどいう考え方が。国民は等しく教育をうけ、最低限のモラルを身につけなければならない。そのために帝政を廃し貴族社会も解体した。にもかかわらずまだ高度な教育を受けているのはかつて貴族だったものの子孫ばかりだ。全ての国民が等しく扱われていたなら息子も殺されることはなかったはずだ」


 デスクの上にそれを置くと、引き出しから布を取り出して丁寧に拭き始めた。


「だが、帝政は腐敗する以前、制度的に問題はなかった。反乱を企てたり、誰かを殺害しようとしたり、他を排し過剰に儲けようとしたりしなければ普通に暮らせていたのだよ。唯一偉いのはルーア皇帝だけで、貴族はただの富裕層であり市民と立場はなんら変わらなかったはずだった。

 だがあるとき、ルールの中でしたたかに儲けていた富裕層たちが力を持ち始めて、自分たちは特別でなければいけないと言い始めたのだ。それが帝政思想(ルアニサム)なのだ。現在では皇帝の復権を目的とする思想も一緒くたにされてそう呼ぶ」


「あんたの話を聞いていると帝政思想(ルアニサム)以外にもあるように聞こえるが」


「そうだな。私の思想は確かにかつての体制を求める点では帝政思想(ルアニサム)と同じだ。だが同じにされるのは甚だ心外だ。実はこの話を厳密に踏み込んだのは君が初めてでな。まだ名前もない。では、そうだな……。では帝政原理思想(ネルアニサム)とでも名付けようか」


 盾についた旧帝政ルーアの国旗の部分を入念に拭いている。隅から隅まで、溝と言う溝を。


「私の目指す国家は、腐敗した帝政思想(ルアニサム)以前の体制でなおかつ貴族を排し、市民全てが平等に暮らしていける国家だ。市民に無知を煽り、今が世こそ理想郷であると押し付けて搾取する帝政思想(ルアニサム)などと一緒にされては困る」


「あんたの野心はそれか? 昔はよかったと、いいところだけを掻い摘んでできた懐古主義を市民に押し付けることが」


 拭く手が止まると、そのまま俺を見た。


「野心? 私にそんなものはない。あるべき姿を取り戻すだけなど、野心と語るなど自己陶酔も甚だしい。いいかどうかではなく、システムの安定は必要だ」


「血筋に固まった特権階級の皇帝を復活させるんだろ? あんたがなりたいのか?」


「国のリーダーとしての意味での皇帝は確かに必要だ。血筋など関係はないが優秀な存在がな。皇帝と言う名前は支配的な意味が強いから改めるだろう」


九芒星の金床(ノナ・アンヴィル)の盾を俺の方へ見せつけるようにデスクに置くと、「野心か……」と考え込むように外を見た。


「政治を執る者は感情に左右されることなく、平等で常に冷静である必要がある。自己の利益を捨て他人の利益を優先するような人材でなければいけない。というのが、市民が求める政治家だ。だが、そんなやつは残念なことに出世しない。野心のない者は何も得ようとしないので基本的には無能だ。無欲は美徳だが進歩がない」


 真っすぐに俺に向けられた、磨かれて光る盾は時代を感じさせないほどに輝いている。


「野心などないと否定してしまうと自らを無能と言うことになる。野心と聞いてそれがそうなのかはわからないが、老いぼれにも夢はある。君には見せてもいい頃あいだ。これから見せる物にあの槍に使われた技術を使いたかったのだよ。ついてきたまえ」


 マゼルソンは立ち上がり、上着を着始めた。

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