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アホウドリの家族たち 第六話

 平手打ちの音は夜の静寂を引き裂いた。目の前のことはあまりにも突然のことで、俺は首を背けて目をつぶってしまった。


 アニバルは、顔をヘマの左手の甲が通り過ぎると、どさりとビロードの床に倒れ込んだ。


 倒れ込んだアニバルの顔はそれまでの嘆きの色はなく、驚いたような顔をしている。彼はこうやってひっぱたかれたのは初めてなのではないだろうか。戸惑うアニバルを見下ろしながら


「そなたのしたことは重罪じゃ! 決して許しはせぬ!」とヘマは怒りを顔いっぱいに浮かべ声を荒げた。


「家族には子どもがいるのじゃ。わらわにいない子どもの代わりがそなただったのじゃ!わらわのその気持ちを裏切るなど、許しはせぬ」


 ヘマは平手打ちをした左手が痛むのか、かばうように右手でさすり覆っている。


「親のように接してきた者に対して重荷など恩知らずも甚だしい!」


 足をダンと鳴らし、肩幅ほどに開いた。腰に手を当てアニバルを見下している。



 甘いと言われる俺は、その姿を見ているとどうもアニバルに対する同情が生まれてしまった。


 アニバルは決してヘマのせいにしようとはしないからだ。タバコに依存性の高いものを混ぜて、それを流通外で売りさばき高額なエイン通貨を得た。

 それはほかでもないヘマのためなのだ。もし言い訳、言い逃れをしようとするならば、何を言うにしても、ヘマが、ヘマが、と声を上げて言うだろう。それこそ雨の中で絶叫していたカミロ・シスネロスのように、だ。アニバルは自らのしたことには責任を覚えているのは確かであり、ヘマに対しても深い尊敬の念を抱いていることもよくわかった。


 彼は許されてもいいのではないだろうか、僅かにそう思ってしまった。だが、紅蓮蝶(マリポーサ)のせいで何が起きているか、それは考えるだけで身の毛もよだつのだ。俺が直接目の当たりにしていなくても、起きてしまったことを無視して許しを与えてはならないのだ、やっぱり俺は甘ちゃんだ、と頭の中は元に戻る。


 ヘマはアニバルをどうするつもりなのだろうか。家族、子どものように慕っていたとはいえ事態は深刻だ。


 彼女はくるりと背を向けると、二、三歩と遠ざかっていった。腕は組まれてやや猫背になった背中は、捨てられた子供がそれに縋り付くことさえ許さぬ後ろ姿だ。


 そして「そなたはクビじゃ」と冷たく言い放った。


 それにアニバルは何か言おうと息を吸い込んだが、そのまま目をつぶりゆっくり下を向いた。免れ得ぬことだ。仕方ない。俺は目のやり場に困り、首筋を弄りながら天井や壁を見た。

 ヘマはアニバルから一歩一歩と離れていき、もう届かなくなってしまうのではないだろうか。このまま未来なく野に放たれてしまうのだろうか。アニバルもそれを受け入れているのか、下を向いたままで手を伸ばそうとはしない。



「刑に服し―――」


 だがヘマは立ち止まり腰に腕をつき、アニバルの方へ振り向いた。彼女が猫背になっていたのは怒りに打ち震えていたからではなかったのだ。歯を食いしばりその瞳にはこぼれてしまいそうな涙が輝いている。

 彼女は離れていった距離を埋めるように一歩一歩アニバルに再び近づいていき、そして目線を合わせるように屈んだ。


「よく反省するのじゃ。我が子が悪事を働いたということは、親のわらわにも正さなければならぬことがあるということじゃ」とアニバルの肩を擦った。俺はヤシマに目配せでナイフを外すよう合図した。気づいたヤシマが頷くとアニバルの肩や足からナイフがカランカラン落ちていく。


 そして、ヘマがそれを見届けると


「起きてしまったことの責任を取り、反省し二度と繰り返さないとそなたが誓うことを信じておる」


 とアニバルを手繰り寄せた。


 自由が与えられたアニバルは罪悪感に苛まれているのか、少し拒むように体を避けようとした。しかし、ヘマはそれを逃すことなく素早く手繰り寄せ、「わらわは、シルベストレ家の敷居は、そなたを拒まぬ。待っておるぞ」と力強く抱きしめた。

 アニバルは大きく震えだし、これまでこらえていた声を吐き出すように泣き始めた。象のような泣き声は悲しく、夜の静かな屋敷に響き渡った。


 しばらくすると、カルデロンの警備兵のような男が二人ほど駆け足で入ってきてティルナの傍へ向かった。彼女は近づいた二人を交互に見て何か指示を出した。アニバルは二人の警備兵に両側を囲まれながらゆっくりと立ち上がった。アニバルは暴れる様子もなく、二人の指示におとなしく従っている。それをティルナが先導し、立ち上がるもふらつき足元のおぼつかない彼を連行していった。その姿をヘマは不安な面持ちで見守っている。


 ドアが開けられて四人の後姿が廊下に姿を消すと、「そなたらには迷惑をかけた。我が子の行いを気づかぬとはな。恥ずかしいばかりじゃ」と近くのテーブルに向かい自ら箱の中のタバコを取り出した。普段通りの冷静を装うためだろう。しかし、火をつけようとしていたが、その手は震えていてなかなかつけることができないようだ。咥えられているタバコは力み震える歯に噛まれてしまったのか、げんなりと曲がっている。


 使用人一人でここまで感情を震えさせてしまうのか。俺はある意味の衝撃を受けた。共和国のギンスブルグ邸でも使用人たちを見てきた。しかし、そちらでも大事にしているが、そことはまた違った形で大事にされている。それこそ“家族”のようにだ。血のつながりさえなくても同じ屋根の下に住まう者を思いやる五家族たちは、ただのイスペイネ自治領の独裁者たちと言うわけではないようだ。


 アニバルが連行されていなくなり静かになった部屋の中で立ち尽くし、閉められたドアを意味もなく見つめてしまった。

12月の段階で転生者が持ち込む話も実は予定していましたが、取りやめにしました。

早く事態が収束することを願っています。(2020/5/15)

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