アホウドリの家族たち 第二話
二人と双子の部屋を出た後はすることもなく、特に予定はなく自室で過ごすことにした。使用人に淹れてもらったコーヒーを片手に自室の窓枠に座り外を眺めていると、雲と街並みは傾いていく陽に合わせて変化していく。蜃気楼で海面から浮き上がる船は遠くの港湾を行き交い、いくつもの種類の汽笛を鳴らしている。それを聞きながら茫漠とした意識の中で過ごしていると時間は経っていった。
口に含んだコーヒーのぬるさにふと気が付けば、屋根だけでなく建物の壁もオレンジに染まっていた。さらに藍色が深くなり、水平線と並ぶ銀河が海霧のように光りだしている。
アニエスに聞いたが、いわゆる天の川はこちらの世界では銀河と地軸が垂直なため霧のように見えるので霧星帯と言うらしい。
水平線にカップの淵を合わせると、デ〇タ宇宙域は黒いコーヒーから星屑色の湯気を立たせた、ような気がした。さしずめ俺は”探索者”か。綺麗なものだと眺めていると腹の虫も鳴き始めた。
夕食が近くなってきたころ、ふと窓から見えたカルデロン別宅の入り口を客人が通り過ぎていくのが見えた。目を細めてみるとアホウドリに王冠、とその後ろに羽を開いたアホウドリ、どうやらエスピノサ家とカルデロン家の使いが現れたようだ。
何かあるなと遠くに行っていた意識をドアの方へ向けると案の定、ノックされた。それから呼びに来た使用人についていき食べ物の匂いで充満したダイニングに向かうと、三人ほどの客人がいた。
彼らは今回の事件の捜査協力を要請しにきたらしい。主犯のカミロは死亡、レトロスタナムの拠点が焼失、他の研究員はモンタンによる殺害と火災に巻き込まれて全滅、残っている証拠は被害者の俺たちだけなのだ。疲れ切っていて早く家に帰って休みたいが事件の関係者として捜査に協力する必要があるので、すぐにはストスリアに帰らずにイスペイネにしばらく滞在することになった。
いずれにせよ勲章授与される会議への出席もある。その間も引き続きカルデロン別宅で過ごしていいとティルナが許可をしてくれた。
正直なところ、二つ返事で了承したのはダイニングに立ち込めるソパ・デ・アホのニンニクと煮込んだレンズ豆とチリンドロンの匂いがあまりにも刺激的で、さっさと話を済ませて夕食にありつきたかっただけというのが大きい。後でカトウを連れて来て覚えさせよう。
夕食が終わり、自室のドアが閉まると意識が自分の内側に向かっていく。そのまま閉じたドアに寄りかかった。久しぶりに何もしないで過ごした一日が終わった。何もしていないからかとても長い一日だった。まだ騒動の疲れが抜けきっていないのか、後は寝るだけになるとけだるさが足を引っ張ってくる。
そしてもう寝るための準備を済ませてある。このままベッドに崩れてしまっても問題はないので、早速寝転がり白い天井を見た。もう脳みその三分の一くらいは眠っているような倦怠感がある。
このまま勲章をもらって自治領をそそくさと去ってしまっていいのだろうか。
そう思うと照明を消すために杖に向かって伸ばしていた手が一瞬止まった。
双子は帰ってきた。間接的にではあるが、古典復興運動を抑えられた。紅蓮蝶の件はヤシマに任せてある。あとは捜査協力をして会議に出て終わりだ。イスペイネのことはもう充分だろう。
勲章を貰ったらまずはノルデンヴィズに、いや、ブルンベイクに行こう。ダリダに任せたラジオ計画の進捗確認をして、また放置しているアニエスに会わなければな。いや、まずは共和国に行くのが先だろう。確かめなければいけないことがある。それから……。
ダメだ。考え始めると頭が冴えてきてしまいそうだ。まずはイスペイネのことをしっかり終わらせよう。
前と同じように杖を指先ではじいて照明を消した。
さてさて、のびのびと情熱の街、ラド・デル・マルを観光しながら過ごすのはそこまでにしておこう。イスペイネにはまだまだやり残したことがある。たくさんあるいいところはアニエスを連れてきたときのためにとっておこう。鏡の前で顔を両手で叩き、そう気合を入れながら夜の散歩に向けて着替えていた。
事件後、三日が過ぎたある夜のことだ。
暗くなっても気温は下がることがなく、季節が早いイスペイネは夏の夜の喧騒が起こり始めようとしていた。解放の季節の訪れを待ちわびる人たちが湧き上がるざわめきを抑えているのを肌で感じる様な、空気が躍り始めている素敵な夜だった。
一人で散歩に出かけた俺はスラムへとつながる路地でヤシマと待ち合わせをしていた。ひとたび大通りから入ったそこは、これまでのざわめきを背後の光りの中だけに押しとどめていて別世界のようだ。
奥まった集合場所についたとき、足元で何かが月明かりをきらりと返した。どうやらエイン通貨のようだ。たまたま目の前に落ちていたコインを拾い上げ指ではじいて遊んでいると、目の前にポータルが開いた。
「イズミ、待たせたな」
声がすると何かを背負ってヤシマが現れ、その荷物をどさっと目の前に投げた。ただの黒い塊かと思ったら、それには手足があり動いている。図体の大きい男のようだ。顔に袋をかぶせられた大男は、手足にナイフが刺さり動けなくなり袋越しにもがもがと何かを訴えている。
「嗅ぎまわってたら、ご丁寧においでなすったぜ」