ウロボロスの王冠と翼 第五十七話
「あ、あなたは実験の最中に亡くなられたと聞きましたが!?」
「確かに世間的には死んだよ。少し前に実験中に落ちてな。生死を彷徨っている間に見限られたよ。本家の叔父バスコも日の当たらぬこの部屋にいる私のことなど知るまい。やり取りは書類で済む。偽名ならわかるまい」
傷だらけの男、カミロはやや明るいところに出るとその姿をはっきりと現した。一体どれだけの大けがを負ったのだろうか。腕から顔から、見えているところは瘢痕化した傷跡だらけでとても痛々しい。
この男はシスネロス家の人間だ。これは最悪へのほつれの一本である。可能性の一つとしてしか見ていなかった、五家族の関係者の犯行が現実味を帯びてしまった。
もしそうだった場合には事態が複雑化するのでできる限りそうであってほしくないという祈りから可能性の一つに押しとどめていたのだが、それが蓋を破り大きくなり始めてしまったのだ。
まだ容疑の段階でしかないが、もしカミロが双子誘拐の犯人だとしたら責任はシスネロス家のものになる。五家族の直接的な関係者になるともはや話は俺たちだけでは手の届かないところがでてくる。それよりも最悪なのは、犯罪者とはいえ頭目たちの承認を得ずに五家族の関係者を襲撃したと俺たちが責められるかもしれない。
クソ、ティルナさえこの場にいてくれれば。ややこしいことになりやがった。
双子はこの施設内にいるが、こいつが犯人ではないという、部下が勝手にやったみたいなありえない状況を望んで汗ばむ掌を握りしめた。
カミロは本棚に近づくと、その隙間から漏れてくる窓の外の光をふさぐように本を移動させた。
「腕や足を複雑骨折して、頭も強打した。このまま動けなくなり死を待つだけかと思った。だが、ストスリアのマテーウス治療院に運ばれて一命をとりとめたのだ。あちこち麻痺は残った。だが、命あってのものだよ。このところ成功ばかりの素晴らしい日々が流れている」
棚から棚へ本が移し替えられると、差し込んでいた外の光りはすっと消えた。室内の灯りは薄暗いオレンジの照明が照らし出すものだけになり、太陽に従う時間の感覚がまた薄れた。カミロは両手を上に向け、歓迎するかのように微笑んだ。
「ところで、今日は何の用だ? オージー」
出来上がった暗闇に満足したのか、俺たちの方へと体を向けた。しかし尋ねられたオージーは完全に思考が止まってしまっている。彼には予想だにしなかった事態が起きてしまったのだろう。沈黙が続いてしまっては、このままでは何もわからずに追い出されてしまう。俺は何かネタが無いかと辺りを見回すと、この団体の紋章が目に入った。
「錬金術と言えば――――」
俺は咄嗟に声を上げた。そして右前にいたオージーの肩をそっと押して前に出た。
「錬金術と言えば、死と再生や不老不死の象徴である竜がいますね」
オージーの連れぐらいにしか思われていなかった後ろの男が突然口を開いたことにカミロは驚いた様子だが、こちらをまっすぐに見ている。興味は引けた。
「ウロボロスのことかね?」と小首をかしげている。それに俺は深々ゆっくりと頷いた。
「さようでございます。申し遅れました。自分は賢者のイズミと申します。弟子たちがご迷惑をおかけしました」
視界の隅でアンネリが、は!? とでも言いたげにわずかに動いた。だが構わずに俺はゆっくりと跪いた。
「その若さでか。にわかに信じがたいな。面を上げろ」
俺はすっと立ち上がり、カミロに残念そうに微笑んだ。
「それは残念です。仕方ないことですね。ところで、ウロボロスについて。あれは素晴らしいと思いませんか? 太陽を飲み込む緑色のライオンと同様、素晴らしい思想だと思いませんか?」
何やらべらべらしゃべり始めた俺をオージーとアンネリが困惑したように眉を寄せて見ている。二人の反応を見ていてはどうもしゃべりづらいので少し向きを変えて彼ら二人を視界から外した。
「緑の獅子……、なるほど超古代の錬金術か。現代のように啓蒙的で実践的な錬金術の前の時代のものだな。限られた書物の中にしか見られないそれを知っているということはかなり詳しいと見た。やはり賢者のようだな。話を続けたまえ」
「お認めいただけて光栄にございます。カミロ殿。わたくし個人の考えでもありますが、それらは実は暗号のようなものなのはご存じですか? それぞれに意味がありまして、緑の獅子は強い酸、太陽は黄金を示しています」
議論が好きそうなのはやはり研究者だ。話の流れをオージーとの再会ではなく、こちらに誘導ができた。カミロは顎を弄り、考え込むように眉を寄せた。
「なるほど、そういう解釈もあるな。効率の悪い方法だが金を作ることがかつての使命であったからな。実に興味深い。まだ何かあるのか? 聞かせてくれ」