ウロボロスの王冠と翼 第四十六話
「何を言っている。モンタンはいない。そんな名前の者はこの世にはいないぞ」
これを言えば彼が興味を示し歩みが止まるかと思っていたので、俺は油断してしまった。思ったほどうまくはいかず、立ち止まることはおろか足早に横を通り過ぎて行ってしまったのだ。あっ、と息を漏らし遅れまいと再び駆け寄り、並んで歩きだした。
「彼によく似た男をイスペイネで見ました。名前はヴィヒトリ・モットラと言います。現在双子捜索を手伝っています」
「ならいいではないか。捜索者が増えることが早期解決につながると良いな」
「ですが、もしモットラがモンタンであったなら帝政支持者の残党がいることになります」
マゼルソンは今度はぴたりと足を止め、空を見上げた。それと同時に建物の排気口から吹き出していた突風もピタリと収まった。
「君はリンの最大取引相手である連盟政府自治領のイスペイネに、それも和平交渉の一環として行われている公式な海上交易を始めたばかりの時期に我々共和国がスパイを送った、とでも言いたいのかね?ましてやそれが戦争を継続し続けた旧体制の信奉者だと」
と言うとこちらを振り向いた。そして、
「君は、君が望んだ和平に大きく近づいた両国間に再び緊張をもたらそうとしているのかね?」
と探るような目つきをしてきた。
「何度も言うがイスペイネはリンの最大産出エリアだ。ルーア共和国は基本的に資源は豊富だが、リンだけは不足する。もともと少ないそれは昨今の近代化でさらに必要になってきている。そんな我々にとって重要な相手なのだ。
そして都合がいいことに、人間側はあまりリンの重要性を知らない。いや、魔法があるおかげで必要性を見出せない。取引でもしていなければ我々での価値など知らず、ただのくず石だとしか思うまい。
それゆえに、いくら払ってもいいくらいのものを安価で、そして大量にもたらしてくれる。我々にとって必要なそれを理想的な形でもたらす相手に悪いことはしないだろう」
マゼルソンは再び前を向くと倉庫に向かって歩み始めた。
「あそこのコーヒーも私は気に入っている。昔からの瀬取りで少ないが入ってくるそれを気に入っているのでな。話はそれだけか?」
「そうです。お伝えしに来ました」
「そうか、双子が早く見つかると良いな。早く解決してもらわなければならない。ではな」
俺はその場で立ち止まり倉庫の中へと消えて行く彼の背中を見送った。
俺は伝えた。帝政支持者が生きているかもしれないということを伝えた。しかし、それに本当に意味があったのだろうか。確かに、あの男自身が自らをモットラと名乗る以上、モンタンという男はいない。しかし、モットラと言う男については否定されることはなかった。
額に手を当てて地面を見た。自分のしたことがまるで意味がなく、ただ時間を浪費しただけのように感じたのだ。マゼルソンは保守派だ。前回の選挙で具体的に表明したのは、和平派ではなくシローク本人の指示だ。それも強硬派の帝政思想を支持しないためだけで、和平交渉には口出しはしないというスタンスだ。
しかし、マゼルソンのオフィスで見た、帝政支持者の証であるあの九芒星の金床の盾は何だったのだろうか。もし彼が帝政支持者ならモンタンは彼の味方と言うことになる。金融省長官選挙の際にそうだったように考え方は一つではない。もし、マゼルソンがメレデントとは違う帝政思想の持主だったら……?
ゾッとする。
強い吐き気がして俺はまた考えるのを止めようかと思った。本当に悪い癖だ。顔を両手でパンと叩き、気を取り直した。
マゼルソンは実は異なる思想の帝政支持者で、モンタンとのつながりがあるという可能性を―――。
しかし建物の装置が動き出し排気口からの突風を吹き出した。タイミング悪く排気口の目の前にいた俺はあっという間に砂ぼこりに包みこまれてしまった。ゲホゲホと咽ながら砂ぼこりを抜けたが、考えようとしていたことが吹き飛ばされてしまった。
防いでいた両手を下げて見ると服はこれでもかと砂だらけになっていて、それを見ていると虚しさがこみあげてしまった。何を考えていたのかすら忘れてしまい、思考を止めた。
それからギンスブルグ邸に戻るころにはだいぶ傾いた真っ赤な日差しが差し込んでいた。カラスが遠くで鳴く森を抜けて、長く伸びた影をとぼとぼ追いかけながらウィンストンの家に向かった。ウィンストンに鑑定依頼してからだいぶ時間も経ち、もう終わっている頃だろう。
しかし、疲れた体でタバコの鑑定結果を聞くのかと思うと、少し足取りが重くなった。確信に近い嫌な予感を抱えながら、その最悪の結果を聞かなければいけないのか。何時しか下を向いて歩いていたようで額から汗が垂れて来た。
それを拭い、顔を上げて前を向くと、石造りの家の扉の前には神妙な面持ちのウィンストンが待ち構えていた。そして、俺を見つけるなり駆け寄ってきて
「イズミ殿、もう一度お尋ねしますぞ。これはどこで手に入れたものですか?」
と肩を揺らすように話しかけてきた。
「ノルデンヴィズで、元はイスペイネで作られたものです」
「これは、非常にまずいものですぞ……。とにかく中へ」
ウィンストンは照明もつけずにすぐさま語気を強めて何であるかを説明した。
差し込む夕日も弱まり、薄暗く家の中で見え辛くなっていたが彼の顔には怒りと焦りが見えた。
やっぱりなと思う間もなく、内腿が強張る。どうやら、マズい予感は当たってしまったようだ。