ウロボロスの王冠と翼 第四十三話
ルカスとの食事が終わったころには夜も更けていた。
それでも街はまだ活気があって、イスペイネ人らしく夜を楽しんでいる騒がしさがあふれていた。情熱的なこの国は陽が暮れたくらいでは眠らないようだ。移動魔法で皆を帰した後、俺は一人ラド・デル・マルの街を散歩することにした。別宅がある付近は高級住宅街なので雰囲気がとてもいいのだ。しかし、散歩と言うのは名目でほかに目的があった。それはヤシマに連絡を取るためだ。
スラム街の方は静かで人通りも少ない。だがそこまで踏み込んでしまうとまた爆竹を鳴らされてしまう。俺は大通りから少し入ったところで路地からの月明かりと街明かりを避けられるような場所を探した。すぐに見つかったそこの陰に入り、暗がりでキューディラを起動して不気味な蛍光色に光り浮かび上がる文字からヤシマの連絡先を探した。
「おーす、ヤシマ、元気にやってっか?」
キューディラ越しには他の人の声も混じっている。それはどうやら女の人の笑い声で、とても楽しそうにしている。例の治療院の女の子か。
「まぁな、おかげさまで治療院の開業準備で大忙しだよ。にしても随分早いな。なんだ? 双子は帰ってきたのか? お迎えか?」
聞こえてくるヤシマの声は少し疲れているのか落ち着いた様子だ。準備が大変なのだろう。
「いや、まだだ。何か思い出したから連絡してみた」
と言うのは建前だ。ルカスに聞いた他の自治領に売り出しているタバコの話は、以前ヤシマを捕まえたときに言っていた話と関係があるのではないだろうかと感じていた。
その件はどうもきな臭く、違和感が頭の中でちりちりと小さな火花を散らしている。そして放置してはいけないような気がするので、いち早く動きたい。
五大家族という大きな力を持つ彼らに相談すればいいのだが、その五家族の一角であるシルベストレ家が絡んでいる。それにもし相談すればまた序列に振り回されて後手後手になる。彼らには話を通さないでおきたい。話をするのはある程度調べがついた段階にしたいのだ。
「呑気な奴だな。おれは大変だったぜ? 例の事業辞めるって言ったら、よその勇者が急に現れてぼこぼこにされたぜ」
「マジか……。大丈夫かよ」
暗がりの壁に寄りかかった。足元に割れた瓶があったのだろうか。チャリっと何かを踏む音がした。
「大丈夫じゃぁねぇよ。目の色変えて袋叩きだ。死ぬかと思ったぜ。しかも移動魔法で逃げようとしたら、お前の女を売り飛ばしてやるとか言われたぜ。とりあえず耐えた。まぁでも、治療院の子がすぐ治してくれたけどな」
相変わらず下衆な勇者どもだ。名に恥を感じないのか。いや、彼らにとって自らの行いのすべては正しく英雄的行動なのだろう。たとえ人が死のうと誰が苦しもうとも。のちに咎められてもそれを豪放磊落な性格ゆえに、と言って受け流すのだろう。不快さが身に染みて彼の話を聞きながら下唇を噛んだ。
「よかったじゃないか。お前の彼女は優秀で」
「ははは、ちょっとした自慢だぜ? 昔から治癒魔法はすごいんだ。マテーウス治療院にいたこともあるんだぜ? まぁそれは置いといて、おれは明日、最後の仕事をしておさらばだ。それだけきっちりやって足を洗うよ」
「例の何か運ぶってやつか?」
「そうだ。紅蓮蝶を……ああ、この間言ってたノルデンヴィズに運んでるタバコのことな。紅蓮蝶って銘柄のタバコを明日運ぶんだ。
銘柄っつーか、依頼主がそう呼んでるんだよ。それで終わりだ。違約金だとかで今月給料なしだぜ? 書類とかにハンコ押してすらいないのにな。それでチャラにしてやるから感謝しろだってさ、ハッ」
ヤシマは不満混じりの声で言うと鼻で笑った。
どうやって聞き出そうか悩んだが、ヤシマの方から話を振ってきてくれた。しかも明日現物には触れる様子だ。これはタイミングがいい。
「なぁ、ヤシマ。そのタバコって高いのか?」
「知らねぇなぁ。おれが運ぶのは明日で二回目だからよく知らん。それに買ったこともない。だが、この間、取引先の店主はおれが雑に扱ったらキレたぜ? いくらすると思ってるんだってすんごい怒鳴られた。結構高いんじゃねーの?」
「どこに卸してんだ?」
「ノルデンヴィズの杖屋の向かいの店だ。やってんだか、やってないんだかわからんあの店だ」
あの古物商か。あそこなら確かに目立たない。領地外で目立たないように売られる高価なタバコ。これはルカスの言っていたことに当てはまる。それは依存性が高いとなると怪しすぎる。俺はヤシマに質問を繰り返した。
「その店は誰から買ってんの?」
「それもよくわからんなぁ……。イスペイネにはタバコのメーカーも何個かあるし」
「シルベストレだけじゃないのか?」
「ちげーよ。何個かあるメーカーすべての販売をしてんのがそこ。シルベストレは製造も販売もしてる」
「それ一本手に入らないか?」
「えぇ? あんでだよ? おまえ喫煙者だっけ? にしてもお前やけに食いついてくるなぁ? どうしたんだ?」
「いや、そうじゃないんだけどさ。ちょっと気になること聞いてさ。やってくれたら女神に言語能力だけ残してもらえるよう頼むよ」
ヤシマは静まり返った。呼吸が止まるほどに黙ったのか、向こう側で女の人が話している声がはっきりと聞こえるほどだ。
「……マ、マジか。それはありがたい。できる限りやってみるが期待はするな。しかし、盗みを働いて神頼みとはおまえもぶっ飛んでるな、ははは」
「ありがとな。手に入れるのに金が必要になったら出す。俺の指示だからな」
それに、おう、というとヤシマは会話を終えてキューディラを切った。緑色の光が消えると、寄りかかっていた壁に頭を付けた。
一つ手に入ればいい。共和国に持っていって鑑定してもらおう。
目をつぶって大きく息を吸い込むと、壁から立ち上がり俺は別宅へ戻り始めた。