ウロボロスの王冠と翼 第三十九話
あくる朝、瞼の暑さに目が覚めると静かな部屋には少し高い太陽が光りを投げかけていた。足がむくんでいる。昨日歩きすぎたせいだろう。静かなわけではなく、疲れていたので足音に気が付かなかっただけだろう。
身だしなみを整えてリビングに行くと、オージーとアンネリはすでに起きていた。テーブルには朝食としてチュロスが出されていたが、二人は手を付けていない様子だ。
おはよう、と声をかけると頬杖をついて反対の手でテーブルをゆっくり叩いていたアンネリがちらりと俺を見た。そして両眉を上げて小さく応えてきた。その横でオージーは腕を組み、口をヘの字に曲げている。服の裾がわずかに揺れているのは膝を揺らしているからだろう。双子捜索が振出しに戻ったようなものだ。イラついているのだろう。
苦笑いをして俺は二人の反対側の椅子に座り、チュロスを一つ掴んで食べ始めた。使用人がコーヒーを淹れる音とアンネリのテーブルを叩くタン、タン、タン、と言う音がダイニングに響いている。
一つ目を食べ終わるころ、ドアが勢い良く閉まる音がしてどたどたと近づいてくる足音がした。次第に近づき、ダイニングの入り口に寝ぐせでぼさぼさになったティルナが現れた。そして、小さな声で、お、おはようございまぅ、と言った。朝は弱いようだ。そして一番起きるのが遅かったことを気にしているのだろう。
彼女はイライラした様子のアンネリを見るとはわわと焦りだし、ごめんなさいと謝りだした。アンネリは小姑のようなまなざしでちらりと彼女を見ると、何も言わずに目を閉じた。
ティルナが座るとまたしてもタン、タン、タンと言う音が響き渡った。
今日どうする? と映画でも観に行く友達のように軽く話を振れる雰囲気ではない。
どうしたものか。八方ふさがりになってしまったに等しい状況だ。
持て余したのでとりあえずもう一つ食べてから話を振ることにしよう。だが、残酷なことにあっという間に食べ終わってしまった。アンネリも沈黙に耐えかねて来たのかタンタンタンと間隔を短くし始めた。
これはまずい。何か切り出さなければ。何か、何か……。とりあえず天気の話か?いや関係ないか。食べ物の話か?それも微妙だ。タタタタタと、もはや彼女は決壊寸前だ。
ええい仕方ない! なんでもいい。
「チュロスってさ、水蒸気爆発」
「これからどうすんのよ!?」
「ティルナさま、お客様が見えております」
「えっ?」
三人が同時に首を後ろに下げた。俺が話始めると同時にアンネリが立ち上がり、そして使用人がダイニングへ入ってきたのだ。
朝も早いと言うのに、カルデロン別宅に突如客が訪れたのだ。ティルナだけの客ではなくて俺たち四人に用事があるらしいので、全員そろって応接室へ案内された。そこには逞しく大きな体の男が背筋を伸ばして待っていた。それは昨日シルベストレ家で見たヘマのメンズの一人のようだ。俺たちが部屋に入ると首だけを動かし全員を見回して、「シルベストレ家の使用人のアニバルと申します。頭目様から連絡を託り、参じました」と言った。
喧嘩別れに終わったシルベストレ家がいったい何の用事だろうか。
「急に何の用だ? 昨日もう知らないと頭目に言われたはずだけど」
「頭目様はあのようにおっしゃっていましたが、実は心の優しいお方なのです。あなた方が帰られた後も気になさっておいででした」とアニバルは花崗岩のような顔つきをそっと笑わせた。だが笑顔もそこそこにまた岩石に戻し、「さて、託けなのですが」と紙を一枚取り出した。
俺たちが昨日シルベストレ家を訪れた後にシスネロス家を訪れたことをブエナフエンテ家から聞いたそうだ。それから俺たちが帰った後、シスネロス家の使用人が一人行方不明になったそうだ。使用人が一人行方不明になるのは大事なはずだが、彼らはそれを公にはしていないそうだ。
しかし、とある自警団の男が、使用人が逃げ出すところを見たと言っているらしい。目撃した状況では拉致をされたわけではなく、自らの意思で行方をくらませた様だった。話の直後に行方不明になったのにもかかわらず、シスネロス家は公にしないということはつながりがあるとしか思えないそうだ。
目撃した自警団の男は捜査の仲間を探しているらしく、双子を探している俺たちと連携を取りたいとのことだ。
それにしても気がかりがある。俺が腕を組み、ふーんと唇を弄っていると、オージーが横から、「なぜ犬猿の仲のブエナフエンテ家の情報なんか信じたんだ?」とアニバルに尋ねた。確かにそれも気になる。
「先ほども言いましたが、頭目様は誘拐事件のことを大変気にかけていらっしゃいました。それも幼子となるとなおのことのようです。その優しさゆえに心遣いをしたのでしょう。優しい方なのですが、何分不器用なもので……申し訳ないです。まずはその男と会うといいでしょう。我々シルベストレ家も一丸となって協力いたします。ブエナフエンテには負けません」
「ありがとう。そしてその男はどこにいるのだ?」
オージーが尋ねると、男は快く居場所を教えてくれた。
それから俺たちは会う場所へと向かうことにした。指示された場所はスラム街にほど近く、街の雰囲気もあまり良くないところだ。
人通りも減り始めた街並みは、決して人がいないわけではない。窓は割れ、テントは崩れ、壁が崩れた家が並んでいる。その中から気配を消してスラムへの侵入者である俺たちの様子を窺っているようだ。時折廃屋の作る影の中で光る目が見える。
崩れた建物の中を抜けていくと、少し開けた場所に出た。そこには黒い髪をオールバックにした男が立っていて、俺たちの足音に気付いて振り向いた。
その瞬間、俺は反射的に自らの胸元を掴んでしまった。
色白の肌、細く切れ長の青い目。
彼の持つ肌と目の色はいつもそばで見ているものと同じだ。オージーやアンネリと同じそれだ。
そして、この男にはかつて会ったことがある。共和国の首都グラントルアで、メレデントの傍で。あの時と違うのは耳だけだ。
「はじめまして、皆さん。ヴィヒトリ・モットラと申します」
違う。そんな名前ではない。この男はマレク・モンタンだ。