ウロボロスの王冠と翼 第三十六話
ルカスとの面会が終わり、屋敷を出るときに彼は訪ねて来た。
「シルベストレ家には行くのかね?」
「これからです」
「あまり行かないほうが懸命かもしれないな……。わが家が序列三位だということは言うまでもない。が、煙たい葉っぱどもは頑固で話にならないと思うが……」
顎をさすりながら悩んだような顔をした後、「それにしても、シルベストレ家か……。海で漂流していた金髪の女児を匿ったとか……。いや、気にするな。こちらの話だ」と独り言ちた。
帰り際に広い玄関ホールまでわざわざ送り出してくれた。そして、使用人がドアを開けると、ルカスは少し悲しそうな顔をして、
「食事でもどうか、と言いたいところだが君たちは一刻を争うようだな。引き留めてはいけない。ことが落ち着いたら一度訪ねてくれ。歓迎しよう。
イスペイネは魚介が豊富だが、肉料理でもおいしいものがある。アロス・コン・コストラと言ってソーセージや鶏肉を使ったパエリアに溶き卵をかけてオーブンでじっくり焼いたものは絶品だ。ふはは。
シルベストレの家で時間を無駄にしないといいのだが……健闘を祈る」
と右手を差し出して握手を求めてきた。俺がそれを握ると、ルカスの温かいが乾いた両手で包み込むように力強く握り返された。歓迎はされている。が、どこか引っかかる男だ。
そして、訪れることになったシルベストレ家。
正直なことを言えば、面倒くさくなっている俺がいる。アンネリ、オージーもどことなくそれを感じているのだろう。歩き方が重く、足音に軽快さがない。
ルカスはシスネロス家に向かうといいと言ったが、シルベストレ家をスキップしては彼らの面目を潰してしまうことになる。昼も過ぎて陽も西にあり空腹も覚えて、汗と若干の疲労が浮き出始めた。ルカスのところでごちそうになればよかったと思ってしまったのは黙っておこう。
さて、気を取り直してシルベストレ家だ。
現頭目のヘマは、ルカスとはまた違った派手な性格の女性らしく、そしてとても自信家で、激しやすいらしい。それ故なのか、たとえカルデロンが相手でも臆することはなく、それどころかかなり反抗的だそうだ。だが、決して嫌っているわけではなく、カルデロンになびく他の家族の中で自分たちだけは物を申す立場だという自負を持っているそうだ。物を申される立場からすると、ありがたいような、そうでもないような……。と前情報を伝えるティルナは言葉を濁した。
ティルナの案内でたどり着いたシルベストレ邸はブエナフエンテ邸と同じくらいの大きさだ。同列なのだ。まぁだろうなと思い、わざわざ家の大きさで序列を意識するのもさすがに飽きてしまった。
しかし、ティルナはこれまでで一番嫌そうな顔をして面会の申し込みをしていた。使用人と話しているときも苦虫を嚙み潰したようなうじゅじゅという顔をしていた。やはり物を申される立場としては複雑なのだろう。
会議室のようなところに通されて待っていると、イスペイネ系のたくましい男たちがウホウホと入ってきた。そして、ドアの近くの一人がパンパンと手を叩くと男たちはずらりと並び花道を作った。
近くの男が「さぁ客人方、頭目様の御成りです。跪いてください」と囁いたので俺とオージーとアンネリは跪いた。―――ティルナ以外。そしてドアを開けると深すぎるスリットの入ったドレスを着た女性が入ってきて男たち、いやメンズの花道を歩んでいる。シルベストレ家頭目、ヘマのご登場だ。
跪きながらも上目でちらりと見ると、イスペイネ特有の褐色肌の、ルカスとさほど歳も変わらないはずだが美術館の彫刻のような体型の女性が現れた。若くはないが年相応の美しさを極限まで引き出したようにとても美しい。
だが、現れた彼女は顎を高く上げて難しい表情をしていて、俺は思わず緊張してしまった。やはり気難しい女性なのかと勘繰ってしまう。しかし、俺とティルナを交互に見ると表情を緩めた。笑顔は柔らかいものではなく、キツさがにじみ出ていたが、ティルナの反応という先入観に支配され過ぎていただけなのだな、と少し安心した。
しゃなりしゃなりと近づいてくると、
「カルデロンの家の者がわが家を訪ねて来るとは珍しいのう。わらわの話を聞きにでも来たのか? そして客人たちも遠い土地までよう参られた。そこの女子は興味深いものを持っているのう」
跪いていたので見えなかったがおそらくアンネリの持っているブルゼイ・ストリカザのことだろう。俺は下を向いたまま、
「ヘマ・シルベストレ頭目様。お目にかかれて光栄でございます。ノルデンヴィズから参りました。イズミと申します。本日はお伺いしたいことがございまして。遠い土地で誘拐事件が発生しました。被害者はまだ幼い双子の女児です。そのときに残されていたのは信天翁五大家族が使う封筒でした」と言った。
すると細い腕で肩をそっと叩かれ顔を上げると「面を上げるのじゃ」と微笑んだので、俺たちはゆっくりと立ち上がった。すると彼女はしげしげと俺を見回した。
「……そちは先ほど跪きながらわらわの足を窃視していたのう」
すると一斉にメンズたちがざわめいた。
「落ち着くのじゃ。それは仕方のないことなのじゃ。わらわの美しさは誰も無視できぬ。美しさは罪じゃが、わらわのそれはもはや原罪。神とて目を離せまい」
メンズたちに右手を上げて落ち着かせると、スリットからわざとらしく魅せつける様に足を出した。ラメが付いた健康的な小麦色の足がすらりと出てきて、付け根まであと五センチもないくらいなのがまた何とも言えない。いやもちろん、普通の意味で。
それにしても、初対面でどんな人間が現れるか誰でもチラ見するだろうが! しかし何だこの気持ちは! かの有名なダークファンタジーコメディ映画に出ていたゴール〇ィ・ホーンの若い頃の写真を見て衝撃を受けた小6の夏を思い出すようだ!
確かに美人なのだが、ルカスとはまた別の意味で引っかかる!
俺があわあわとしているのを嬉しそうに見ると、彼女は体の向きをゆるりと変えた。
「しかし、まことにそれは大変であったな。子が誘拐されるなど憂事の極み。心中察するぞ。……これだからブエナフエンテの封筒など使うのは嫌なのじゃ」と頬に手を当て、艶めかしい憂いの表情を見せた。そして、ため息をついてつづけた。
「変わった槍を持つ女子に、北国の男、見慣れぬ顔つきの男に、カルデロンの訪問、より取り見取りで実に赴き深い。退屈なわらわにその楽し気な話を聞かせたもれ、ほほほ」
とブルゼイ・ストリカザをチラチラと見ながら口に手を当て高らかに笑った。やたら飛んでくる視線と“楽し気な話”という言い方が気に障ったのか、アンネリは少しムッとしていたようだ。