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ウロボロスの王冠と翼 第三十話

 黙ってしまった男を今度は俺が強く睨め付けると、ますます下を向いた。


「簡単にも言えないほどのことしかしてないだろ? 毎日与えられた力を使って依頼をこなしてただけだろ?」


 奥歯を食いしばっているのか、ギリギリと音が聞こえる。そして湿った唸り声を上げ始めた。


「俺はこれからも女神との約束を果たすために進んでいく。人間とエルフが和平を結び、戦争が無くなるまで止まらない。おまえはそのままごみ溜めで燻ってろ。そして六月の勇者失業の日を迎えて絶望でもすればいい。そのあとの食い扶持も勝手にすればいい」


 下を向く彼のジーパンにぽつりぽつりとシミができる。


「悔しいか?」


「悔しくなんかねぇよ……うぅ……絶対ない……クソ……。おれだって最初は……クソ、クソ……」


 強く噛み過ぎたのか、下唇から一筋の血が流れた。


「悔しいだろ?」


 再びの俺の問いに、男は何一つ応えなかった。だが、わなわなと肩が震えている。応えないのではない。応えられないのだ。俺も何も言わずに男の様子を見守り続けた。


 やがて、堪えていたような唸り声は次第に大きくなり、鼻をすする音の混じった嗚咽に変わっていった。そして、おいおいと声を上げ泣き始めてやっと、うん、うんと首を縦に振って応えた。


 槍を握るアンネリは手を緩めたのだろう。視界の隅で槍が少し動いた。オージーもティルナも同情し始めたのか、張り詰めていた空気が湿っぽくなるのを背中で感じた。



 これ以上はかわいそうな気もする。俺はそう思った。


 なぜなら、みじめに泣き叫ぶこの男の姿に俺はかつての、シバサキと行動をしていた頃の自分の姿を見てしまったからだ。

 目的もよくわからない。成果もあげられない。力にすらなれない。何かができなければ拗ねて卑屈になる。そんな虚しさから逃げるためにすぐに手に届く小さな成功を追い求める。それ自体は悪いことではない。たとえ小さくても依頼は依頼。いい結果を待つ誰かが必ずいる。それに自らのモチベーションを維持するために必要なことだからだ。

 しかし、繰り返す成功が当たり前になってしまい、やがて失敗することも怖くなってしまったのだろう。そして繰り返す成功が増えるほどに失敗への恐れも大きくなり、いつしか本来の目的を見失っていたのだろう。

 それがダメだと分かっているからこそ心は飢え乾き、ますます成功を求めて悪循環に陥る。

俺にこいつをこれ以上責めることはできなかった。


 この男のしたことを許すつもりはないが、償うチャンスを作ってあげてもいいはずだ。きっと悪い奴ではないのだ。ただ見失っていただけなのだ。



 俺は男の肩にそっと手を載せた。そして、「おまえ、イスペイネに行ったことはあるか?」と尋ねた。それに男はさらに強く一度だけ頷いた。


「じゃ、あんた個人に俺からの依頼だ。俺たちをイスペイネまで送れ」


「は!? イズミ!? なんで!? イミわかんないんだけど!?」


 やはり、というか、アンネリは不満を短い言葉一杯に込めて漏らした。落ち着きを取り戻しつつあった彼女は肩を大きく揺らしている。俺は立ち上がりアンネリの方を向いた。


「勇者と言う立場はもうなくなる。この……お前、名前なんだったっけ?」


「ヤシマだ……」


「この男とよろしくやるつもりはない」


 それまでは穏やかにアンネリをなだめていたオージーが前に出ると硬く腕を組み、そして冷たい表情で言い放った。彼も怒りを抑えているのだろう。


「二人とも落ち着いてくれ。ヤシマも立場を失うから必死なんだ。それに双子は守ってくれた。だから頼もう。頼むしかない。遠いイスペイネへ早く行くにはそれしかないんだ」


 オージーがため息を漏らした後、組んだ腕の指先を動かし肘を叩きながら俺の傍までやってきた。


「君がそう言うなら、と今回はそうもいかない。君はアンヤとシーヴを誘拐されたボクたちの気持ちはわかるかい? そんな状況でその誘拐犯に頼むなどボクにはできない」と強い口調で言った。目つきが鋭くなってしまうのをこらえているのか、眉間がわずかに震えている。


 自分たちの狂おしいまでに可愛い子供たちを誘拐した張本人に何かを頼むというのは、気がふれてしまうほどに不愉快なのはわかる。だが、俺はこの二人じゃない。二人の怒りの程度を俺は直接的には感じられない。もちろん俺も強い怒りを感じているのは事実だ。


「オージー、アンネリ、すまないけど俺は君たち二人の気持ちはわからない。子どもがいないからな。

 もし嫌なら君たちは徒歩でも馬車でも使ってイスペイネに来てくれ。さっきヤシマにも言ったが俺は立ち止まらない。

 他に方法があるかもしれないが、今目の前にある確かなヤシマの移動魔法は、双子への最速の移動手段だ。これを逃すわけにはいかない。そして俺は先に行って君たちが来るよりも早くに双子を助け出す。

 だけど俺は子どもの扱いが分からないから、そこで来た君たちに引き渡せばいい。馬車で一週間くらいなら、ちょうどくらいだろう」


 それを聞いたアンネリは、ゆっくりと目を見開いた。そして歯を食いしばると頭をぼさぼさと掻きむしった。


「あんたはどうしていつもそうなの!? あたしたちの双子なのにどうしてそこまでするの!?」


「無関係みたいに言わないでくれよ。何のために俺は力を貰ったのかって考えたらそうなるんだよ。優しいとか正義の味方とか、そんなんじゃない。与えられた力を必要な人のために使うだけだ。ずっと昔言ったよな?“持つ者の義務(ノブレスオブリーシュ)”って」


 アンネリはさらに髪をぼさぼさと搔き上げながら言った。


「ああっ、もう、ホントバカ! バカ過ぎてムカつくわ! わかったわよ! あたしたちも行くわよ!ついて行けばいいんでしょ!?」

「イズミ君、君は本当に……いや、しかし変わったな。訓練場で会ったころとはもう違うな……」


 オージーは掌を額に当て少し悲しそうな顔をした。



 そんな二人を見ながら俺は心のどこかで二人に申し訳なさを感じていた。


 偉そうなことを言っておきながら、もしかしたら必死になってはいてもどこか他人事のように捉えているのではないだろうか。


 でも、無関係だからこそ冷静に動ける。それは言い訳でしかない。しかし、怒り狂えば失敗もする。


 ダメだ。動けなくなる。後悔するのは終わってから、双子を助け出してからにしよう。


 俺は頭の中にヘドロのようにべったりと巣食う、その“申し訳なさ”を無視することにした。

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