ウロボロスの王冠と翼 第二十九話
イスペイネは連盟政府内のどこよりも早く貿易を行うなど、共和国との和平には前向きであり、反対派はいるものの大規模な運動になることはなかった。しかし、その代わりなのか熾烈を極めたのは古典復興運動であり、暴動こそないがストスリアに匹敵するほどだ。
年を越す前に興った古典復興運動は、連盟政府全体に瞬く間に広がっていった。その最初の騒動はイスペイネの錬金術師たちの間で起こったそうだ。
高度な錬金術を盛んに研究していた研究者たちが、北の辺境地域に残っていた連盟政府よりも古い時代の書物を秘密裏ではあるが盛んに研究していたらしい。連盟政府からすればそれは歴史的不都合の塊なので、暗黙の了解で禁止されていた。
しかし、その中で明らかにされていった古い時代の錬金術の有用性に気付き、広めようと主張し始める機運が高まったのだ。連盟政府は当然怒ったが、暗黙の了解での禁止であり書面で明確に禁止されているわけではないので強く出られなかったそうだ。
しばらくして、それは過去の遺物でしかなく、新しいものはそのすべてを網羅していると言い始める者が出始めた。そのほとんどは止めさせようとする連盟政府の回し者だったが、強い絆を信条としているイスペイネ人はすぐに部外者をあぶりだした。
しかし、中には、自分たちのしてきた研究が意味のない物だと否定されたように感じ取り、本当にそう考える研究者も少なからずいた。そこで意見が分かれて古典復興運動がおこったそうだ。それは瞬く間に魔法使い、僧侶にも広まったそうだ。
イスペイネは連盟政府の中でも少し毛色が違い、錬金術師はワーキングプアにはならない。サポートもあり裕福ではないにしろ錬金術師は普通に暮らしていけるそうだ。
それゆえ、安定を求めて錬金術師たちが連盟政府中から目指してくるが、技術者過剰と質の低下を防ぐために、よほどの業績を上げていない限り排除されてしまうらしい。裕福な貴族が教養がてら子どもを錬金術師にしようとする人も少なくないそうだ。
そんな優秀な錬金術師たちが多いイスペイネには古典派が多く、連盟政府から何を言われようとも邪魔をされようとも研究をつづけたそうだ。むしろ一連騒動の激化は何かしらの邪魔による反発が原因とも言い切れない。だが、最近その古典派の中でもさらに二つの派閥に分かれたそうだ。
「それ以上はわかりません……。ですが、手紙に錬金術師にすると書いてあると、やはり無関係ではないと思い、ます」
「ならイスペイネに行くしかないじゃない!」
「ですが、イスペイネはめちゃくちゃ遠いです。行くとなると一週間はかかります」
俺たちのやり取りを聞いていた男がゆっくりと顔を上げた。そして「あ、ああ、お前ら……」とポツリと話始めた。
「おれはあんたらの双子を大事に扱った。でもそのあとはどうなったかは知らん。依頼主の代理人に渡したからな。そいつがどう扱ったかは知らないが、一週間も経ったらどうなるかわかったもんじゃない」
「くっそ勇者が!」と言うとアンネリは一度置いたはずのブルゼイ・ストリカザを握りしめて彼に詰め寄った。
「アンネリ!待って!」と俺はいきり立つ彼女を止めて「お前、なんでこんなプライドないことしてるんだ?」と男に尋ねた。
「さぁな、生きてくため以外にあんのかよ」
卑屈そうにそっぽを向いた。
「組んでたチームはどうなったんだ?」
「知らねぇよ。おれが勇者でなくなるって伝えたらみんなどっかへ行った。おれはそれじゃ生活ができない。だから他の勇者とつるんでこんなことしてんだよ……。この間まで首都のデカい家に住んで、使用人に囲まれて贅沢してたのに、笑えるよな……ちくしょう……」
そう言うと瞳を潤ませて唇を噛んだ。
「他の勇者とつるむってどういうことだ?」
「言えねぇよ。誰だか知らないけど、元勇者を集めて事業を興そうとしている奴がいて、おれはそいつに雇ってもらったんだよ。顔も名前も知らねぇのにな。キューディラ越しのそいつは誰よりも早く俺に連絡をしてきたって言ってたぜ。契約書もない、雇用形態も不明……怪しいが実入りも悪くないからおれは迷わずに入ったさ。それから指示だけを貰って動いてんだよ」
それを聞いて俺はカトウの話を思い出した。あの時感じた嫌な予感通りだ。新聞だけでなくこういうこともし続けるつもりなのか。だがそれ以上に目の前で悔しがる男に腹が立った。
「どうしようとあんたの勝手だ。だけどあんたは力を貰ったのにもかかわらずこれまで何をしていた?女神に言われたことを達成しようとしたか?どうせエルフの存在も共和国なんて言葉も、知ったのは最近なんだろ?」
「……っく、悪いかよ」
「俺の前でそんなんで悔しがるのは悪いけど、許さない」
「じゃどうすればよかったんだよ!? ゲームみたいに食ったり寝たりを全部スキップして川の先につっこみゃ良かったのか!? そりゃおれたちだって最初は役目を果たそうと躍起にはなった! だがな、生きるために依頼をするだけで精一杯で、結局それどころじゃなくなってたんだよ!」
「その割には、おまえ首都で裕福に暮らしてたじゃないか?」
「だからなんだよ!?」
「贅沢に暮らすなっつってるわけじゃない。でもあんたはそんなんでよかったのか?」
「おれの何がわかるんだ!? おれは依頼をこなして成功体験が欲しかったんだ! それを繰り返せばいつか目的を果たせるほど強くなれるってな! でもな、女神に言われたことを果たそうとしたって何にもならないんだよ! びた一文にもな! 労働の対価は得られねぇし、いつまでたっても到達できない成果におれはうんざりなんだよ!」
口角泡を飛ばしている男は顔をグイっと上げ、敵を見るような目で俺を睨め付けた。
「女神の言ってた“ある勇者”ってどうせお前のことだろ!?」
俺は鼻から息を吸い込んで目を閉じた。隠し立てするのはもうやめだ。
「そうだ。俺のことだ。俺は仲間たちと科学技術の進んだエルフのルーア・メレデント共和国の中心に行った。そこで人間との和平につながるように色々なことをした。
知ってるか? エルフは銃を使うんだ。俺は左肩にその銃弾を受けたし、爆発にも巻き込まれた。敵の大将とも戦った。何度も負けそうになったし邪魔もされた。それも他の人間の勇者にな。それでも俺は止まらなかった。そして、やっとつかんだ和平のチャンスだ。女神との約束のな」
俺の言葉を聞いた男の目には一気に敗北の色が宿った。しかし、すぐさま態度を一変させて強気に戻って声を上げた。
「金にもならねぇのになんでやったんだよ!? お前のせいでおれたちが失業するハメになったんじゃねぇか! 答えろ! なんでだ!? マウント取ろうってのか!? どうせそうやって優越感に浸りたいだけだろ!?」
「この異世界に、呼ばれた意味だからだ」
自分でも驚くほどすぐに応えられた。男は息を吸い込み、何かを言おうとして口で空気を掴んだ。しかし何も出てこなかったのか、再びうなだれてしまった。
「簡単に言いやがる……。クソが……ううっ……」
「じゃあ聞くが、あんたはこの半年何をしていた?」