ウロボロスの王冠と翼 第二十八話
「こんの、クッソ勇者がァァァっ!!」
陽が暮れて真っ暗になった路地にアンネリの声が響き渡った。彼女は賑やかな街から漏れる灯りで顔に影を落とし、壁にだらしなく寄りかかる男を憤怒にぎらつく瞳で睨み下しながら怒髪天を衝いた。まさに逆立つ気に合わせるように毛を立ちあげて、沸点を通り越した怒りに我を忘れかかっている。
それまでの路地の静寂を切り裂くような怒号に驚いたのか、近くでくでくでになって眠っていた酔っぱらいが目を覚まし、あわわと四つん這いで路地の奥の闇へと消えて行き、汚れた泥団子のような大きなネズミもかさかさと蜘蛛の子を散らすように影へと隠れていった。アンネリは真っ赤になった顔から歯をむき出しにして、ブルゼイ・ストリカザを振り上げて今にも突き殺してしまいそうだ。
「死ね! いや殺す! 私がぶっ殺す!」
「アナ! おお、落ち着いて!」
あまりの怒りに驚いたオージーがアンネリの腕を背中から羽交い絞めにして抑えている。彼女に腕力はないが、その槍を使うとなると本当に殺してしまうだろう。
「殺しちゃダメだけど、殴るなら洗いざらい吐いてもらってからにして」
魔法で縛りつけたまま大通りへ出て二人の待っているカフェへと連行するのは目立ち過ぎるどころか俺たちが不審者扱いを受けてしまうので、俺とティルナが入っていった路地の少し奥、街灯が作りだす行き交う人々の影が伸びてこないあたりに彼を運び、壁に投げつけた。腕から落ちてどんっと鈍い音がすると、彼はぐえっとうなだれた。
陽も沈んだので大通りから見えることもないので、多少乱暴なことをしても大丈夫だろう。そこへオージーとアンネリを呼び出した。
しばらくして現れたアンネリは、俺とティルナの目の前で拘束されてぐったりと地面を見つめるゴミだらけの男を見るや否や、ブルゼイ・ストリカザを強く握りしめ、串刺しにせんとばかりに駆け寄ってきた。
彼女はそれからもキェェェ! と暴れ続け、制止しているオージーから抜け出さんと手足をぐるぐる回している。とにかく一旦は彼女をオージーにゆだねて、俺は男の前に足を広げて屈んだ。そして首を傾けてのぞき込むように目を合わせると、彼は気まずそうに二、三度こちらを見た後、右下を向いて視線を逸らした。
「さて、お話をしようか」
「こ、これ以上何を話せばいいんだよ?」
男は逃げ出すことも諦めたのか、少し落ち着いている。
「俺たちはあんたを捕まえただけだ。本当の被害者であるこの二人の前で言ってもらわなきゃな」
チッと舌打ちをして恨めしそうに俺を見つめた。
「さて、双子をさらった目的は?」
「さっきも言っただろ? 依頼を受けてやっただけだ」
「誰からの依頼だ?」
「何度も言わせるな。褐色肌の金持ちの男だ。名前は知らん」
膝に手をついて中腰に屈むティルナが俺の隣から彼に話しかけてきた。
「その依頼主はどういう話し方をしていましたか? 高圧的とか、無気力とか」
「そんなの知るかよ……普通に話してた。家族が大事なのか、よく家族のためだ、とか言ってた」
「家族のために、って何回も言ったんですか?」
「ああ、そうだよ。一回、二回なんてもんじゃない。去り際にも言った」
「そうですか……」
それを聞いたティルナは短く答え、不思議そうな顔で俺を見た。「確かに“家族のために”という古い言葉がイスペイネにはありますね。私たち五大家族は家族の絆を特に重視しますから、乾杯とかのときの掛け声みたいなものです。古い言葉ですので、イスペイネの人以外で知っている人はかなり少ないはずですが……」
それは言葉の持つニュアンスを理解できないが、意味だけは理解できたということだろうか。俺は男に少しずれているかもしれないが尋ねることにした。
「おい、あんたも転生者だろ? 読み書きはどうなんだ?」
「なんだよ……誘拐と関係あんのか? おれは読み書きできる。でもな、言ってる意味が分からないと思うかもしれないが、文字の違いが判らない」
そこは俺と同じようだ。うまく説明はできないが、状態は同じなので理解できる。女神が与えた力で読み書きはできるが、すべての言語を等しく認識してしまうので、ニュアンスの違いを理解していないと読み取れないことがしばしばある。つまり、“パラ・ラ・ファミーレ”を“家族のために”と直訳で聞いたのだろう。
「となるとやはりイスペイネの貴族か。お前、封筒の中身は読んだのか?」
「読んでない。つか封蝋されてたんなら読めるわけないだろ。依頼者に双子と交換で置いてこいとしか言われてない。あんだよ……身代金の受け渡し場所でも書いてあんのか?」
ということは錬金術師がどうの、という話は知らないようだ。この男は本当にただの実行犯だ。ティルナは姿勢を戻して腕を組んだ。そして右手で下唇を弄りながら片眉を上げた。
「あの、イズミさん、置いてあった手紙の内容をもう一度見させてもらえますか?」
彼女の顔を見上げると真剣な顔をしていた。俺は鞄から手紙を出して彼女に手渡した。素早く受け取った彼女は手紙の文章を目で追いはじめた。
「少し気になる、というか、イスペイネで起きていることなんですけど……」