ウロボロスの王冠と翼 第二十七話
「お、お前ら何なんだ!?」
何時しか陽は沈み、路地は完全に暗闇に包まれていた。興奮して開いていた瞳孔のおかげで暗くなっていたことに気が付いていなかったようだ。暗がりの中で怯える男の姿を確かめるために杖を光らせてランタンのようにして辺りを照らすと、見えないところからポータルを開きナイフを投げてきた男の姿は露わになった。
黒い髪、黒い瞳、少し痩せた顎には整った髭を生やしていて、こちらの世界では見かけたことのない英語の書いてある紺のブルゾンに色の落ちたジーンズ。そして、よく顔を見れば日本人だ。見覚えのある顔で、ふと女神に呼び出されて勇者が集まる、あのオリーブの森が頭の中をよぎった。
「あんた、日本人勇者だろ?」
「そうだ! なにが悪い!」
やはり、この男は日本人勇者だった。去年末の勇者業廃業のお知らせを女神に投げつけられるように告げられた集会で、不平不満をぶちまけて暴れまくる集団の後ろの方で呆然と立ち尽くしていた後ろ姿を覚えている。年齢は俺よりも十くらい上だろう。サント・プラントンで裕福な生活をしているという話はよく聞いていた。
「俺のことわかるよな?」
「し、知ってる! 昔シバサキとつるんでたイズミだろ!?」と言うと、彼の足元に光の輪が現れた。どうやら移動魔法を使って逃げようとしているようだ。
「ちょっと待てって。移動魔法使って逃げようってのか? さっきと同じ要領で今度はとどめを刺すかもしれないぞ?」
そう警告したが、男はにやにやと笑い、遠くへ逃げようとしているのか移動魔法の長い詠唱を止めようとしない。もう少しすればポータルが完全に開いてしまう。逃げられてしまってはティルナの負傷が無駄になってしまう。
仕方ない。俺も追いかけるように移動魔法を短く唱え、自分の頭の高さよりやや高いところほどに直径90センチほどのポータルを開いた。それとほぼ同時に男の真下にはポータルが出来上がり、男はゆっくりとそこに沈み込み始めた。
「残念だったな! イズミ! 最後にいいこと教えてやるよ。おれは移動魔法が道具なしで使える! お前がどうやっておれを捕まえたかは知らないが、もう絶対に捕まりはしない! ははは!」と大声で笑いながら、自分の足元に開いたポータルに彼は消えて行った。そしてポータルが完全に閉じて光が消えてしまった。
「イズミさん! な、なな、なにしてるんですか!? 逃げちゃったじゃないですか!?」
そこへティルナが慌てて駆け寄ってきて裏返った声を上げた。
「いや、大丈夫」と俺は昼間でもないのに額に手を当てて頭上を見上げた。彼女は不思議そうにして俺の顔を二度見た後、んえ? とこぼしながら同じように空を見上げて目を細めた。視線の先の星空の一部はぽっかりと黒くなっている。ポータルが開いているのだ。
しばらく並んでそこを見ていると、そこから、わああああ! と声が聞こえ始めた。そしてポータルから何かが現れて空から落ちてきた。夜闇に紛れてよく見えなかったが、落ちてくるにつれて杖の灯りに近づき誰が落ちて来たのか見えるようになった。もちろんたった今逃げ出した男だった。
ポータルの混線が起きた際に、どうやら先に開いたほうが優先されるようで、僅かに先に開いた俺のものが優先されたようだ。
しかし、俺が開いた位置はいくらか高かったようだ。落ちてくる彼を目で追いかけると、彼は運悪くごみ溜めにどさっと落ちてその衝撃で辺りにゴミを撒き散らして、ぐぅえっと苦しそうな声を上げた。やわらかいゴミの上とは言え、縛られたまま尻から着地したのでだいぶ痛そうだ。
しばらく痛みに悶絶した後に落ち着いたのか、あ、あれ? と辺りをキョロキョロしながら前を向いた。そして俺と目が合うと途端にまた、ぎゃああああ! と悲鳴を上げた。男は血走った目も唾がはじける口も裂けてしまうのではないかと思うほど最大限に開いて驚き、かのクリ〇ゾンキングの宮殿のようで俺までびっくりして飛び上がってしまった。声が収まるとはっははっはと息を乱して背後の壁に後ずさりをしながら言った。
「なんでだ!? なんで逃げられないんだ!? なんでおれはまたここにいるんだ!?」
「さっきあんたを捕まえるときと同じことをしただけだ」
だが男は理解できている様子ではなかった。額を汗まみれにして混乱した顔をしている。よく考えれば、この男には回復魔法を施したので負傷した前後の記憶はないのだ。ああ、そうかと首筋を掻いた。説明が面倒だ。
「とにかく、お前は逃げられないってこと」
ティルナと並んで二人で男へ詰め寄った。
「双子を誘拐したのはお前か?」
「ィヒッ! そう、そうだ! でも、おれは頼まれてやっただけだ!」
やはりそうか。昼間にストスリアの北検問所でそばかすの学生が話していた、俺に雰囲気がよく似た男を通過させたということにも合点がいく。この男は双子をさらった後ブリーリゾンまで馬車で向かい、そこからサント・プラントンへ移動魔法できたのだろう。どういう意図で三角移動を行ったのか気になるところだが、それよりまず双子の行方だ。
「誰にだ?」
のぞき込むように顔を見ると男は膝を抱えて小さくなった。
「し、知らん! 褐色肌の金持ちの男の依頼だ! それ以上は分からん!」
俺はおもわずティルナの方を見ると目があった。やはりイスペイネの貴族の犯行なのだろうか。彼女にとって同郷の一族の犯行であるのが不本意なのか、苦々しい顔をしている。
「双子はどうした? 怪我なんかさせてないよな?」
「なんだよ!? 怪我なんかさせてない! 依頼主に傷一つつけたら殺すと言われてる!」
しかし、ティルナは硬い表情のまま口を一文字にして彼に近づいた。そして、「本当ですか……?生後間もない子供、しかも二人をきちんと扱えるとは思えませんが……」とゆっくり彼を見つめた。
男は近づいてくるティルナから首を傾けて避けるようにしながら言った。
「おれは日本で子育ての経験もある! 移動のときは座ってない首を意識したし、おむつも代えて衛生にはめちゃ気を使った! それに、母乳は無理だが問題のない食べ物を与えた! なんだよ!? それ以上にどうすればいいんだ!? 何が足りない!? テレタ〇ーズでも観せればよかったのか!? 傷なんかつけてない! 信じてくれ!」