ウロボロスの王冠と翼 第二十二話
大通りに面したカフェは、日向を追いかけて椅子を動かしていた常連たちもそろそろ切り上げる頃合いだ。赤くなった日差しが建物の隙間から漏れて差し込んでいる。街はすっかり夕方だ。あと一、二時間もすればディナータイムだろう。
カミュに指示されたカフェにはテラスがあり、そこには白いテーブルクロスが敷かれた丸テーブルの席がいくつも並んでいる。まばらではあるがまだ客がいて、それぞれに会話を楽しんでいる。
広いテラスを見回すと、右奥のテーブルに1人でコーヒーを飲んでいるイスペイネ系特有の褐色の、しかも見覚えのある女性がいた。目を細めてよく見れば、それはなんとティルナだった。まさかとは思い、辺りを見回すがイスペイネ系の人はおらず、それらしいのは彼女一人だけだ。派遣されたのは彼女で間違いないのだろう。
人をかき分けて彼女の前に立ち、そして湯気の立つカップに目を落している彼女に話しかけた。
「もしかして、カルデロンの方ですか?」
先ほど一度会ったのにもかかわらず、思わず白々しく話しかけてしまった。
話しかけられたティルナは小さくビクつき驚いたように眼を見開きこちらを見た。しかし、突然話しかけたのが俺たちだと気づくとすぐに笑顔になった。
「あれ? また会いましたね。どうなされたんですか?」
「ヴィトー金融協会から派遣されたカルデロンの人を探しているのですが」
「それは私ですが、どうかなさいました?」
眩しい笑顔で俺を見上げてくる彼女に何を言ったらいいのだろうか。悩んでしまった。いや、これは俺が察してほしいと期待したのが間違いだったようだ。視界の隅で、気付けよ、ブリやがって、と言わんばかりにアンネリがしかめた顔をしている。
あ、いや、ともごついた後、愛想笑いの見つめ合いが起きて沈黙が生まれてしまった。それを見かねたアンネリがしびれを切らして一歩前に出た。
「あんたたちワザとやってる? ティルナ……さんがカミーユから派遣された人ってことでしょ?」
わかっていないのか、そのまま今度はアンネリをぼんやり見つめ始めた。しばらくそうしていると、あっと小さく息を漏らし、そして笑い出した。
「あ、改めましてこんにちは。ヴィトー金融協会から派遣されてきました。ティルナ・カルデロン……です」
席から立ち上がると右手を前に差し出した。よろしく、と言って握手をした。握り返した力は強く、小さいが暖かい手をしている。しかし、なぜ協会が派遣しているのだろうか、少し引っかかる気がする。俺はカミュに仲間として声をかけたはずで、協会は噛んでいないはずだが。書類や何やと面倒なことが増えると思うのだが。
だがそれはひとまず置いておこう。仲間は一人でも多い方がいい。そしてカルデロンといえば、これまで会ってきた人たち、かつて世話になった老夫婦とマリソルとも同じ名前だ。その人たちとの間柄も気になる。色々と気になることはあるが、まずは誘拐事件の話が先だ。四人全員が席に腰かけると彼女は膝の上に手を置いて少し前かがみに話を始めた。
「カミュちゃんからある程度お話は伺っています。ですが、もう少し具体的に教えていただけない、でしょうか?」
驚いた。カミュをちゃん付けで呼ぶのか。
俺とオージーとアンネリは交代でこれまでの出来事を話した。誘拐が起きた時間帯、ストスリアの状況、移動の痕跡が見えないこと……。しかし、移動魔法の逆探知については伏せて、ストスリアから最も来やすいのは首都サント・プラントンで、情報も多く得られると思ったので来たことにした。
話を聞き終わるとティルナはどこか釈然としていないのか、うーんと小さく呻った。
「そうなんですか。でもなんだかまだ知らないことがありそうな気もするのですが……」
「言えることはだいたいこのくらいではないでしょうか」
「でも、首都に来るまでの時間が長いんですよね。何か探していたのですか?」
思わず移動魔法の逆探知について漏らしてしまいそうだ。だがあれは共和国側の技術であって隠し通さなければいけないのだ。
うーむ、と悩むふりをして目を閉じ、何か悟られないようにした。すると彼女は「あ、いえ、別に何か隠してるのを疑っているわけではないんですよ。他に何か証拠はあるのかなって」
俺が動揺しているのを察したのか、オージーが言った。
「アンヤとシーヴ…、双子を寝かせていた揺りかごに手紙が残されていました」
そして、ゆりかごに残されていた封筒を取り出して彼女に渡した。彼女は手紙を渡されるや否や、眉間にしわを寄せ始めた。そして一度裏返して再び正面を向けた。
「あの……封蝋は見ましたか?何か書いてなかったですか?」
崩れた封蝋を人差し指で触りながら俺に尋ねて来た。俺はあのとき焦りのあまり、無理やり開けてしまったので確認できないほどボロボロにしてしまったのだ。
何も言えずに視線を泳がせてしまった俺にティルナは何かを悟ったのか、「そうですか。でもでも、とりあえず見てみます。私、これに見覚えがあるので」と言って封筒をテーブルに置き、崩れた封蝋の残ったところを器用につなぎ合わせ始めた。
しばらく難儀した後、できたと小さく囁いた。半分にも満たなかったが形が戻ったようだ。しかし、それを見てうーんと呻ると今度は中身をひょいと抜き出して封筒だけをしげしげと見始めた。
「封蝋、ホントにぐしゃぐしゃ。でも、残ったところを合わせても何も出てこない。でも、この紙質は……」
すると目を閉じて、鼻の前で封筒を扇ぎクンクンと嗅ぎ始めた。
「ジャスミンの匂い……。これはやっぱりブエナフエンテ家が作っている封筒ですね」