ウロボロスの王冠と翼 第十五話
いかにも優し気に肩に手を置き、笑みのない顔で俺を見下ろす男は帝政ルーア時代の特別情報親衛警邏という諜報組織の元長官だ。
浅はかな考えなど目を見ただけで簡単にわかってしまうはずだ。ここで自分の求める方向へと流れを持っていくために上っ面だけで共和国のためと言ったところで意味がない。偉大な、とか素晴らしき、とかオーバーな賞賛は間違いなく逆効果だ。
何を言えば正解なのか、色々考えても俺は賢くない。その程度なんて見抜かれる。ダメでも何でも、今この場では本当のことを言うしかない。地面に跪いたまま話を始めた。
「オージーとアンネリ、あの二人の錬金術師に俺は迷惑ばかりかけてきました。大けがを負わせたり、共和国で選挙戦中は二人を引き離したり、仲間にすると言ったくせに彼らばかりに負担を負わせてきてしまいました」
「それから? まだ話は終わりではないな?」
「これ以上は二人に辛い思いをさせたくないんです……」
「それが共和国に何のメリットをもたらす? 錬金術の発展でももたらすのかね? だが、それはともかく、君がこうして地に頭を付けるほどの理由が私にははっきりと理解できない。まさか本当にその友人のためだけなのか?」
「それだけです。すいません。これが共和国にメリットがあるとは思えません。俺個人で使いたいだけです」
「信じられん馬鹿者だな」
ふん、と言う鼻を鳴らす音ともに、マゼルソンが俺の肩に載せていた手は、宙で切れた光る蜘蛛の巣のように離れていった。そして背を向け、何も言わずに歩き出してしまった。
これはもうダメだ。
遠ざかっていく背中を、膝をついたまま見送りながら俺は諦めた。諦めるのは簡単だ。だがそれで話は終わりじゃない。しかしこれからどうすればいい。もはや選択肢がない。俺のメモを読んで成果を期待して待っている二人になんと伝えればいいのだろうか。
そう思いつつも、すがる様に手を伸ばしてしまっていた。待ってくれ。使わせてくれ。お願いだ。
しかし、彼は二、三歩歩くと再び立ち止まり、首が少しだけこちらを向いた。そしてわずかに見下ろしながら口を開いた。
「……機械は好きに使いたまえ。私の方で今後君は自由に逆探知できるようにしておこう。ただ、その子細が書かれた報告書は私が好きなように扱わせてもらう。場所は軍部省長官に聞け」
そう言うと再び歩き出した。
強く吹きすさんでいた風がほんの一瞬止まったような気がした。もう諦めたはずだった。しかし、彼は機械の使用を許可してくれたのだ。俺は足腰の力が抜けるような気がしてすぐには立ち上がれず、そのままの姿勢でまたしても頭を下げて声を上げた。
「ありがとうございます!」
覆いかぶさる体でくぐもってしまった声は、吹き荒れる風の中を通り抜けて彼に届いただろうか。すぐに彼は建物に入り見えなくなった。するとユリナは俺の傍にきて険しい顔をした。
「行方不明者の捜索に託けて、移動魔法の逆探知を連盟政府内まで広げる口実ができたな、ホレ」
「いいじゃないか、もう。どうしてみんな諍いの臭いのすることしか考えられないんだ……」
俺は差し伸べられたユリナの手を掴んだ。
「……そうも言ってられねぇんだよ。国家元首が守るのは人じゃあねぇ。国家だ。人の集合体が国家だが、集合体になっちまえばそれはもう個々の人じゃなくて一個の生き物だ。体と一緒だよ。炎症が起きたら鎮める。癌になっちまったら引っぺがす。だが、そもそも炎症にも癌にもならないようにするのが役目みたいなもんだ。あんクソジジィにはその義務がある。もちろん、私にもな。お前もえらくなりゃわかるよ。背負ってるもんは一緒でも、数がクソほど違うんだ」
強くぐっと握り返し、跪く俺を引き上げながら彼女はそう言った。
これまでに選挙に介入したり、仕事の依頼を受けたりしてどれほど共和国の中枢に関わったとしても、俺はただの関係者でしかない。
共和国内での俺の地位は軍部省長官ユリナの直属の部下であり特別補佐官一等主任兼特級秘書官という立派な名前はついているが、それは人間であることを隠すためだけの権限のない立場に過ぎないのだ。
しかし少しでも中枢に触れて関係者になってしまった以上、政府設備を政治的な目的以外では利用できないはずであり、国家の秩序たる法律をつかさどるマゼルソンがそれを簡単に許可するわけがない。
つまり、彼があっさりとそれを許可したのは、今回の件が大きくかかわる何かしらの彼の政治的な意図があるからだろう。それこそユリナが言うような、逆探知範囲を連盟政府側まで拡張するための理由に持ち出すかもしれない。
俺の個人的な目的のせいで、マゼルソンの考えている政治戦略に加担することになったのだ。加担する、と言ってしまうと否定的な意味合いが強くなるが、無責任なことを言えば、それが和平につながるなら俺はそれでもいいと思う。だが、それは使いたい自分を正当化するためのただの言い訳なのではないだろうか、と頭の中で他の自分が言うのだ。考えれば考えるほど混乱しそうになった。
マゼルソンが消えて行ったドアをぼんやりと見つめていると「ホラ、行くぞ」とユリナに声をかけられた。振り向くと彼女はウィンストンの車の方へと向かっていくところだった。