ウロボロスの王冠と翼 第十一話
広いストスリアの街をめぐる定期馬車はない。普段はそれさえあればすぐなのだが。
そして俺は北の検問所がある辺りに行ったことがないので移動魔法は使えない。なので自分の足で向かうしかないのだ。
そのおかげでだいぶ時間を食ってしまった。まだ春先とは言え日差しは温かく、小走りで移動すると汗がじわじわと噴き出てくる。
そして、走っては歩きを繰り返し汗だくでたどり着いた北の検問所は、西のそれとはだいぶ異なり、全体的にやる気のない雰囲気が漂っていた。
少しだけ中身が残っている酒瓶と日焼けして茶色いトランプと、飽きてしまったのか指し途中のチェス盤が放ったらかしにされている。暇を持て余した学生の中には椅子に座って老人のように杖を抱えふにゃふにゃと船をこいでいる人もいたり、西のものと似たような構造をした物見やぐらの上では若いそばかすの学生が頬杖をついて覇気のない目で宙を舞う蝶々を見つめていたり……さらに端の方ではバイオリンで何かの曲を練習している学生までいる。
彼らにとって学生運動はやらされているものに近いのだろう。街の中心部とは違った荒廃……いや退廃ぶりを見せている。
確かに穏やかで平和なのだが、俺は嫌な予感がした。眠たそうな彼らから荷物の話を聞こうとしたが、案の定ほとんどの学生は蔓延しきった怠惰という伝染病に感染し、面倒くさいというばかりで話にならなかった。
しず〇ちゃんもびっくりなほどヘタクソなバイオリンの音色がまるで轢殺された動物の断末魔のようであまりにも不愉快だ。聞いたことのない曲だが、間違いなく音が外れている。同じフレーズばかり繰り返していて、耳を裂くようなその音を朝からずっと、おまけに何度も聞かされていると、そのうちケンカが起こりそうなものだが、不思議と誰も気にも留めていないようだった。
そんな中一人苛立ちながらも何とかならないものかと思っていたところ、物見やぐらの上ですねているそばかすの学生が賭けにさんざん負けてふんだくられたというので、彼を捕まえ適当な金額のポケットマネ-を握らせることにした。硬貨をチラつかせるだけで彼の目は燦然と輝きを取り戻し、ぺらぺらと饒舌にしゃべりだした。
朝から賭け事(と見張り)をしていた彼の話では、さきほど馬車が一台通ったそうだ。やっと勝てそうになり損失を取り返せそうになったところに邪魔が入ったのでよく覚えているそうだ。小型の馬車で、御者台に男が一人乗っていた。その男は黒髪でよく整えられた髭を生やしており、雰囲気は俺によく似ていたそうだ。積み荷のチェックはしないと怒られるので、樽の中まできちんとやったらしい。
だが、その男は商売の帰りだと言っていて、実際に積み荷もほとんどなく、荷台に樽が二、三個あるだけで特に変わった荷物もなかったのですぐに終わったとのことだ。
話が終わると彼は、それぐらいかなーとほくほくと笑い、取り戻した元気と現金を握りしめて再び博打を打ちに行こうとした。新たな元手が入ったことでご機嫌な様子の彼は去り際に親指でピンと硬貨を打ち上げた。すかさず俺は宙を舞う硬貨をひょいと横取りした。
そして彼を引き留め、さらにもう少しだけ握らせてその馬車がどこに向かったのかを聞き出した。ホントは秘密ですよ、と言いながらも悪い顔をして掌の中の硬貨を数えながら話してくれた。
ストスリアの北にある小さな村ブリーリゾンに向かうと言っていたそうだ。ここからそこまで馬車を使うとおよそ二時間で着くらしい。
その口ぶりから嘘ではないのはわかった。彼にそれを追いたいというと、ダメだと言われてしまった。それはいくら渡されてもダメだそうだ。検問所の雰囲気がどれほどだらしなくても、人を通すなと言う指示は遵守しているようだ。
こういうところはいかにも反対派だ。ごねると厄介なことになりそうなので、引き下がり彼にお礼を言って一度二人の家へ戻ることにした。
検問所を離れ、家路についた俺には一つ懸念があった。
視界の隅から隅まで延々と続くバリケードには乗り越えようとする者に反応する何かの魔法がかかっている。さきほど何も知らない鳥が止まると、羽根をまき散らし一瞬で黒焦げになっていた。あれを越えるには検問所を通るしかなさそうだが、それも容易ではないだろう。
しかし、厳重に包囲された街から出る方法は一つではない。それは言わずもがな移動魔法だ。
その可能性だけはどうしてもあってほしくないと願っていた。しかしいつまでも捨て去ることができないまま心の隅に常に居座らせ続けてしまったそれは俺の足取りを重くした。道の上を一歩歩くたびにそれは大きくなり、腹の中で鉛のように重たくなっていく。
双子が誘拐されてからだいぶ時間が経っている。しかし、まだ街を出ていない。出た証拠がつかめない。それがどういうことか。
心の隅でひっそりと腰を掛けていただけのそれがゆっくりと立ち上がり、俺の方を不敵な笑みを浮かべながら見ているような気がした。
検問所から見えなくなるところまで来ると、俺はポータルで二人の家の前まで移動した。