ウロボロスの王冠と翼 第九話
俺はストスリアの中心部へと向かった。
そこは学生運動が特に活発なエリアだ。二人にはあまり近づいてほしくないので俺自身が行くことにしたのだ。
するどいが崩された字体で『古典派は学閥の犬、即刻解体セヨ』や『手を取れ、エルフは文明人だ』や『文化侵略を許すな!』と書かれた立て看板、炎熱魔法や火炎瓶が放たれたせいなのか黒黒と焦げ付いた壁、鎮圧するためにされた放水でできた水たまり、有刺鉄線がぐるぐるに巻かれた鉄条網、ボロボロのものやまだ新しいものなど入り混じった様々なビラ……、中心部に近づくにつれて街は荒れ始め、人通りも少なくなってくる。
カミュと以前訪れたカフェも店を閉め、大きな木の公園には様々な学生服を着た学生たちがたむろしていて皆一様に泥と煤が付いている。
その姿を見て俺はつい昨日まで自分たちには関係ないと外野席で見守るだけだったことを少し後悔した。
だが、この場で俺には何ができるだろうか。何もできない。俺たちにできること、しなければいけないことは、和平を成立させ学生たちがまたペンを取れるようになるまで歩みを止めてはいけないことだ。
そして、奪われた視線を前に戻し立ち止まらずにさらに中心に近づいた。すると杖を持った過激な学生たちが増えてきて燃料の燃えるような焦げた匂いが立ち込め始めてきた。まだ何かを燃やしているのか、喉にはりつくような煤の臭いも激しい。その中で俺はきょろきょろと四方を見回した。
煙と一緒に空へ舞い上がっていたビラの灰がチラチラと落ちていく様子はとても静かだった。首が座っていないような幼い双子を抱えてこの中を走るのはかなり危険だ。子どもの安全を重視するならこんなところは通らないはずだ。
俺の足はピタリと止まった。こちらにはいない。そんな気がしたのだ。
そこで俺は北と南を捜索している二人に連絡をして、街を囲む壁の即席検問所に向かうことにした。行くなと言っておきながら、情けないことにそこしか当てがないのだ。二人は錬金術師であり、彼らが行くと派閥だのなんだので厄介なことになるのが目に見える。
だが、研究も社会貢献も何もしていないのに賢者と言う、立場だけは一丁前の俺が素人のふりをして行けば問題はないはずだ。研究者のプライドを持つ二人に、素人のふりなどできないだろう。
検問所は東西南北に四か所ある。オージーとアンネリの家は街の西のはずれにあり、西側の検問所が最も近い。他の方角の検問所はあまりにも遠く、学生運動のおかげで移動手段も少なくなった状況では大きな町であるストスリアの端に行くまでに徒歩でかなり時間を要する。
もし俺が誘拐犯なら、一刻も早くこの場この街から立ち去りたいと考えるだろう。攪乱目的があるとしても時間をかけ過ぎになるはずだ。俺は短距離で移動魔法を用いて二人の家に戻り、そこから西の検問所へと向かった。移動魔法を使うとき、少しだけ背筋がぴりつくような感覚に襲われた。しかしできる限りその可能性を考えないように顔を両手で叩いた。
検問所へ向かう途中で俺は杖を隠した。全くの素人のふりをするためだ。杖を持っていると和平だの古典だので詰問が始まるかもしれないからだ。
街のはずれの少し先に来ると、有刺鉄線の付いた金網が視界の右から左端まで、小さくなって見えづらくなるほど街を取り囲むようにずらりと並んでいるのが見え始めた。壁ができているのは知っていたが、ここまでのものを作り上げるのはどれほどのものだろうか。俺はその異様さに目を細め、つばを思わず飲み込んでしまった。
小さな物見やぐらのある検問所へ着くと、そこには袖や帽子に黄色いバッチをつけた学生が数人いて、金網と金網との間の門を見張っていた。全員が杖を持っていて、それを武器のように構えている。おそらく魔法を使えるのだろう。彼らのつけている黄色いバッチ、それは反対派のシンボルだ。制服はバラバラだが、そのバッチのおかげで一つの部隊のようなまとまりを見せつけている。少しでも威嚇しようとしているのだろう。そこにいる彼らは、まだあどけなさすら残る顔に精一杯力を込めて皺をよせている。
「旅のものなんですが、ここを通るにはどうすればいいんですか?」
少し首を前かがみにして、ひょこひょこと自信なさげに門の前にいる一人のアプリコットオレンジのツインテールをした背の低い女子学生に尋ねた。彼女はふん、と鼻を鳴らすと、目も合わさずに応えてきた。
「検問所を通過するには一日に三回の馬車に乗るだけだ!」
なぜこういう人種は妙に自信にあふれたように上から強くものが言えるのだろうか。と卑屈になってしまいそうになった。しかし、目的は情報収集だ。飛んでくる唾にイラつきながらも湧き上がる感情を抑えた。検問所を通過する方法を聞き出した。
「急ぎではないのですが、街を出る馬車は何時ごろに通りますか?」
「朝と昼と夜だ。それ以上は教えられない。不逞の輩の通過を許してしまうかもしれないから」
「最後に通ったのはいつですか?」
「今朝だけだ。今日の昼の便はない」
今朝はまだ俺は共和国側にいて会議のための準備をしていた。アンネリから連絡があったのは会議が始まった後だ。つまり、その馬車には乗っていないと考えていい。
「それはどこへ向かうんですか? 誰が使うとか、何を積んでいるとか?」
「言うわけないだろう? ここは検問所だぞ? 荷物は樽だろうと容赦なく開けてまでチェックしているが、それを言うことはできない」
俺はこういう駆け引きは相手に関わらずヘタクソだ。これ以上は間違いなく怪しまれる。すでに検問所の学生の顔も曇り始めてしまった。なんとか他の検問所について何か聞き出せないだろうか。次で最後の質問にしなければいけない。
俺は悩んだ。―――できれば話題にしたくないが、学生運動の内容に触れるようなことを持ち出すしかないようだ。
黄色いバッチは反対派だ。これまで俺は和平を目的に進んできた。それどころかそれを持ち出して推し進めた張本人でもある。話のうちで必要以上に情報をだしてしまい、遅かれ早かれぼろが出てしまう。
だからもう一つの活動の焦点である古典復興運動についての話を切り出そう。それについてはよくわからないので知らないふりをする必要もない。学生の中でも過激なのは反対派で、その中でも古典派はことさらに過激だ。ここまで重厚なバリケードを立てるのは相当の意思と勢いがなければできないはずだ。俺は賭けに出ることにした。
頭を掻きむしり、遠くに見える山の方を見ながらぼやくように言った。まるで、まいったなぁとでも言うように。
「やれやれ……、革新派は何もしないのか。ここまでされてしまうと、どこへも動けないではないか」
学生の目がピクリと動き俺を睨みつけた。そして、怒り肩になり杖をかざしてずんずんと近づいてきた。
「キサマ!革新派を馬鹿にしたな!?」と言うと、かざしていた杖を胸の前に突き付けた。
しまった。間違えたか。