ウロボロスの王冠と翼 第五話
連盟政府に情報を迅速に広めるためのラジオ局(正確にはラジオではないが)を作る話が動き出してから、特に大きな事件も起きることはなく二か月が過ぎた。
ノルデンヴィズの気温は少しずつ気温が上がり始めた頃で、そこよりも南部のストスリアはすっかり春の陽気に包まれていた。気温の上昇とともに体の温度も上がり、わさわさと動き出しくなるほど気持ちのいい日々が続いていた。
その一方で、いや、それゆえに各地のデモのような活動は熾烈を極めていた。何のデモかと言うと、和平交渉に賛成か反対かについてである。和平交渉の情報は、まだラジオ放送が始まってもいないのに思ったよりも広まった。
エルフは醜くて人間を食べるとか、実は美男美女が多くて人間はモテるとか、荒唐無稽でそれぞれに異なる情報が出回っていたが、和平交渉を持ち掛けられているということだけはありがたいことに正確に伝わっていた。
だがその結果、連盟政府を二分する大論争が起きていたのだ。そしてさらに、少し前までは和平派と反対派が論争の中心だったのだが、イスペイネ自治領で興った古典復興運動もいつの間にやら国中に飛び火していたのだ。
古典復興運動とはつまり魔術科、僧侶科、錬金術科、時空魔法、すべての魔法に関して連盟政府以前の過去の文献まで参照し、今一度昇華させて更なる発展をもたらせようとする運動……らしい。
俺は魔法を扱う身、しかも賢者でありながら、それが何なのかは全く分かっていない。恥ずかしながら、ただ魔法の便利さに甘んじて使い続けているだけで、何かを生み出したことはないのだ。研究機関に属しているわけではないので別にいいのでは? とやらない理由を並べて、自分を納得させて過ごしている。
やや過激な論調である古典派に対してその考え方が気に入らないと思う集団も生まれてくるのは必須であり、特に革新的なことはしていないが反対する集団のことを革新派と呼ぶようになっていった。
オージーとアンネリの住む、学術都市であるストスリアは、学者が多い分その議論はどこよりも燃え上がっていた。
「困ったものだよ。街の中心部は毎日騒がしいうえに物騒になってしまった。子どもの世話が大変なのに厄介なことを起こさないでほしいものだ。ここは街の郊外で静かなほうなのだが、落ち着かないものだな」
「ああいうのに裏で指示出してる連中って表には出てこないんでしょ? で騒動が収まったら、当たり前のように講義に出て出席取って、普通に卒業していくんでしょ。そんなのが社会に出るのかと思うとゾッとするわね。でも現場で火炎魔法ぶっ放してる学生たちはしょっ引かれて、下手すりゃ退学なんて、ねぇ、どうかと思うけど」
「結局、和平に反対する理由なんてエルフがただ怖いだけなんだよ。単位一つ足りなくて卒業できないのが怖いと一緒。それを知識でカバーしきれないから、自分がエルフを怖がっていることから目をそらして、弱気になる国が悪いと自分自身に言い聞かせて誤魔化してるだけなんだよ。
人が一番他人を馬鹿にするのは、専門的な知識をにわかに付け始めた頃なんだ。ごらんよ。活動に出ているのは若い子ばかりではないか」
ストスリアの住民の多くは学生だ。最初は議論を繰り返していたのは和平派と反対派だけであり、学術都市らしく討論で決着を付けようとしていたそうだ。
しかし、ストスリアにあるのは名門校だけではないのだ。いろんな意味でいろんな学生がわんさかいる。にわかに知識を付けて自分は学者だと背伸びをしたい和平派のとある学生たちがその燃え上がる情動を抑えきれずに、ある学校の図書館を放火したのだ。
彼らの目的はただのボヤ騒ぎを起こして、脅しですませるはずだった―――のだが、なんと図書館は全焼してしまい、さらに隣にあった無関係の施設まで延焼させてしまったらしい。
夜間であり幸い怪我人はいなかったが、被害に遭った学校には教員も含めて反対派が多く、怒り狂った彼らは和平派の多い他の学校内部の反対派を焚きつけて図書館やら講堂やらを占拠させたらしい。
そして、彼らにとってどうでもいい講義―――例えば魔術科神話学や錬金術科歴史学など―――では、担当教員が出席を取り始めると、反対派のシンボルである黄色いバッチを付けた集団がずかずかと教室に入り込み、
『憂国の気高き学士同志たちよ!和平などという腐敗と怠惰甚だしい国策を打破せよ! これは醜きエルフどもの情報的な内部侵略である。敵エルフを再度想起せよ。学閥はエルフの思想侵略機関であり、即刻打倒し偉大なる人間の国家を再建せよ!』
と書かれたビラを配るらしい。そして壇上に向かい、そこにいた教員に「和平反対闘争勝利後には新たなる歴史が作られる!貴殿の講義は実に立派だが、まだ学ぶに値しない!」と言って教室から追い出した後、ストスリア謹学主義と支配的学閥解体について話始めるそうだ。
それにとどまらず最近の古典復興運動の煽りを受け、和平派と反対派の中でもさらに古典重視派と革新派に分かれ始めているらしい。
それゆえにどの校、どの科関係なく歴史や神話の授業人気が高まり、それを妨害したとか、していないとかで派閥内部でもイザコザが起きているらしい。右に左に上から下、忙しい学生たちだ。説明を聞いていると理解できなくて目が回りそうだ。
ちなみにフロイデンベルクアカデミアの変態たちは相変わらずですっかり蚊帳の外だ。