ウロボロスの王冠と翼 第一話
ここから長編になります。
アルフレッドに、モギレフスキー家で年を越してはどうか?と誘われていたが、大掃除だとかいろいろありそうなところに押しかけては迷惑だろうと思い断った。大掃除と言う文化はあるのかはわからないが、年末に方を付けたいのはみな同じはずだ。(手伝えよ、とか言わないように)
俺は日本にいたときにアパートでは大掃除をしたことはなく、その代わり実家に戻りゴロゴロしていた。おかげで部屋の隅と万年閉鎖カーテンの下には縮れ毛と埃のミルフィーユができていたのは汚いい思い出だ。
こちらに来てからは幸いなことに俺はホームシックにはなっていない……症状が弱いので、寂しいと言えばそうなのだが、久しぶりの独りぼっちで、アニエスが帰った後からすぐに汚れ始めていた部屋でのんびり過ごすことにした。そうしているうちにいつの間にか年を越していた。
そして、明けの朝方にユリナから年賀状よろしく「あけおめーっ」と連絡があった。無事年を越したからなのか妙にテンションの高い彼女が言うには、共和国は連盟政府に和平交渉の意思があることを通達したらしい。一体どうやって……。
正式な返答はまだらしいが、俺は早速その次の日に共和国のギンスブルグ邸に行くことになった。連盟政府と共和国の間を行き来できる俺には色々動いてほしいそうだ。
訪問当日は特にすることもなかったので朝一で向かうことにした。敷地内にいきなりポータルを開いたらジューリアさん以下女中部隊に問答無用で銃撃されそうなので、門の前に開いた。
ポータルから見えるグラントルア郊外はやはり南にあるので、寒いノルデンヴィズの村とは違い、少しだけ気温が高いようだ。久しぶりの舗装されたアスファルトに足を伸ばして、少しわくわくしポータルを抜けた瞬間、「動くな」と背後から声がした。
ゆっくり首だけ振り向くと、ポータル入り口からは死角になる場所から軍服の女性たちがぎらついた銃を構えている。弾倉がとても小さいアサルトライフルのようなそれは魔法射出式銃だ。全員がそれを装備しているということは、彼女たちはギンスブルグ家の女中部隊だ。敷地の外で警戒中の彼女らに一斉に取り囲まれてしまったのだ。
驚いて首を左右に振りながら両手を上げていると、見覚えのある隊員がああ、と言うような顔をした。彼女が上げていた右手を下げて合図をすると隊員たちは銃を下ろし、俺を屋敷へと案内しはじめた。銃撃事件以来の厳戒態勢はまだ解いていないようだ。
屋敷に入ると内部はきれいにされていた。きっと大掃除をしたのだろう。階段を上り会議室のドアを開けると、会議用の長いテーブルが並べられて、おかれた椅子にユリナとシロークが座っていた。テーブルには軽食のサインウィッチが置いてある。
「うーす、あけおめー。元気だったか?」と右手を挙げてユリナが歯を見せて笑っている。
「年明け早々銃を向けられたけどな。おかげさまで」
「すまないな。イズミ君、年明け早々に失礼なことをした」
用意された椅子を引き、ため息交じりに座った。納まりの良い位置に尻を動かして、シロークの方を見た。
「大丈夫だ。まだ警戒は解かないの?」
「和平交渉が終わるまではそのままのつもりだな。ギルベールが色々と暴露した件で、過激なことをする連中は今のところ鳴りを潜めているようだ。しかし、交渉が長引けば活発化するだろう。早めに成し遂げねばな」とシロークは腕を組み背筋を伸ばした。
「和平交渉の裏でテロとは、何とも矛盾した社会だ。今日の要件はなんだ?」
「そうだな。ではさっそく本題に入ろうか。手元のそれを見てくれ。ああ、ところで朝食は済んだかね?食べながらでも構わない。この間、イスペイネ産の上質なルカス豆が手に入ってね。そのコーヒーも楽しんでくれ」と言うと手元の三ページほどの資料を持ち上げ、表紙を開くと読み上げ始めた。
共和国内では新聞などメディアのおかげでエルフたちが人間に和平を持ち掛けようとしていることは、先の次期金融省長官選挙でもそれが焦点になるほど民間のレベルで周知されている。それはつまり人間たちのことを最低限理解しているということになる。
しかし、人間側ではエルフの社会について知っている人はごくわずかに限られている。ほぼ誰も知らないと言っても過言ではない。それどころか、民間人に至っては未だに魔王と言うありもしない存在を信じ続けている状態だ。
魔王と呼ぶ醜い存在がいきなり手を取りたいと言ってきたとしても、正しい情報が刷り込まれていない現状の彼らの認知レベルでは跳ねのけてしまうだろう。跳ねのけるどころか、敵意を一層強めてしまうかもしれない。そのような状況を回避するために、連盟政府内にエルフの社会について広く知らせる必要が出てくる。
しかし、連盟政府には共和国の新聞のようなメディアがなく、周知する方法が無いに等しい。街の掲示板や噂話では、情報が伝わる手段がはっきりしていない上に伝言ゲーム状態であり、別の意味にすり替わるのは間違いない。キューディラの掲示板機能は拡散がとても速いのだが、それぞれが好き放題書き込むのであまり信用できないのだ。
まずは連盟政府内の民間人に共和国側はどういう国で、どういうエルフが住んでいるか、文明レベルはどの程度か(もちろん軍事上問題が起きないレベルで)をどう周知すればいいか、それを検討するために俺が呼び出されたのだ。
そうシロークが資料を読み終わると、俺はデスクにそれをそっと放った。そして、後頭部の後ろで手を組み、そこへもたれるように天井を見上げた。
「周知徹底ねぇ……。どうしたものか」
「なんかねぇの?」
「簡単に言うなよ。テレビとかラジオとかあるわけじゃないんだから」
「……写真もない世界だしな」
ため息をこぼすとユリナは頬杖をついた。口を掌で覆っている。
「てれび? らじお? しゃしん? 君たちは何を言っているんだ?それがあれば周知できるのか?」
どれも理解出来ないシロークが首をかしげて眉を寄せている。
「俺とユリナが元いたところにあったんだよ。電波で……音声と映像で情報を発信するやつ」
「デンパ? エイゾウ?」
ますます困惑した顔をされた。映像は写真の発展形みたいなものなので、そもそも写真がないからそれは伝わらないようだ。どうやって伝えようか。悩んでいるとシロークは言った。
「エイゾウが何なのかわからないが、音声で情報発信できるならキューディラを使えばいいじゃないか。連盟政府側には共和国よりも多いのだろう? しかも最近は数も増えているらしいじゃないか」
シロークは俺とユリナを交互に見つめながらそう言った。