マイ・グッド・オールド・ホームタウン 第七話
女神が消え去ると真冬の風が通り抜けた。ウミツバメ亭の看板をかたかたと揺らしている。寒さが染みたので温かい店内に戻ると、カトウはカウンターの奥から俺を心配そうに見てきた。
「メガ姐さん、大丈夫なんスか? 放っといて」
「家までのポータルを開いてベッドの上に直接放り込んだから大丈夫」とうそぶいた。
目を合わせるとバレてしまうので、座るために引いたカウンターの椅子に視線を合わせて席に着いた。彼女は問題ない。飲んでいるときこそ陽気だったが去り際の刹那に見えた顔は険しい顔だった。もう一人の女神がしていることがだいぶ厄介でおちおち酔っぱらってもいられないのだろう。
「へー……、移動魔法って便利ッスよねー。オレも金稼いだらマジックアイテム買おうかなー。そうすればアリーにも楽させられそうだし」
カトウは天井を見ながらグラスを拭いている。
「めちゃくちゃ高いぞ。どっかの名門学校、千回ぐらい卒業できるらしい」
それに彼は肩を上げヒェーっと小さな悲鳴を上げると、拭いていたグラスを棚に戻してカウンターに手をついた。
「アンネリさんそれ言ってましたッスね。そういえば彼女、そろそろじゃないッスか?」
「確かにそうだなー。何事もなく産んでくれるといいけど」
アンネリはそろそろ臨月だ。年も明けたぐらいには双子を生む予定なのだろう。オージーとアンネリとはたまに連絡を取り合うが、何も問題は発生していないのか、慌てた様子もないし、特に何も言ってこない。
この二人には迷惑をかけっぱなしで少し心配なのである。アンネリは妊娠初期に誰かにお腹を蹴られて死にかけ、色々と不思議な力で何とかなったものの、その後は身重のアンネリを残してオージーが共和国で軟禁、週に何回かはストスリアの二人の家に戻れたとはいえ大変であったことが容易に想像できる。本人たちも覚悟の上だとは言っていたが、あまりにも負担をかけてしまった。これからは問題なく生まれて、のびのび育っていってほしいものだ。
「そういえば、アルエットさんはどうしたの?」
別のグラスを磨き始めていたカトウがびくつき、硬直した。
「き、今日はいないッス……よ?」
どぎまぎしながら答えた。視線が定まっていない。
「あれ? なんかあった? 別れた?」
「えっ、あ、い、いや、そうではないんですけど……」
カウンターからのぞき込むとグラスを磨く速さがあがった。見れば見るほど彼は顔を赤くして、首筋まで赤くなっていく。そして視線を追うほどに首を下げ小さくなっていった。
だが、突然カバっと顔を上げると、
「あーっ、そうだ!」
と大声を出した。アルエットの話題を強引に変えるつもりだ。話の流れ的になんとなくではあるが彼らを取り巻く状況は察した。こいつらもか。下手に突っ込まないで自分たちから言うのを待つことにしよう。
「それは置いといて、センパイ! 実は、えーと、こっそり掲示板で聞いてみましたッス!」
「何を?」
何のことかわからず彼に聞き返すと、片方の口角を上げてにやつきだした。
「さっきセンパイが言ってた、ブルゼイ・ストリカザってやつッスよ。オレも気になったッス」
「おまっ!?まぁいいか。俺以外の客でそういうことやるなよ?」
彼にも聞こえる場所で堂々と話していたので盗み聞ぎと言うわけではないが、何とも言えないことをしてくれたものだ。思わず首の後ろさすってしまった。
だが、俺もそのブルゼイ・ストリカザの意味が気になるので、今回は咎めないでおこう。
「へへへっ、すんません」
カウンターに組んだ両腕を載せ、舌先を出して謝っているカトウに身を寄せた。
「で、意味わかったの?」
彼が腕につけていたキューディラを押すと文字が出てきた。
「昔の北方の言葉でブルゼイってのは『蜻蛉』って意味みたいッス。んで、後ろの方のストリカザは『打つ』って意味らしいッス」
と目で追いながら話すと、文字を消した。「わかったのはそのくらいッスね」
それを聞くと脳内にいつかの光景が過った。
「トンボ、打つ手m、トンボ、打つ……、切る……、叩く」
蜻蛉の何かをどこかで見かけたような。記憶の片隅で光るそれはなんだっただろうか。確か静かなところでそれを見かけて、近くで黄色い何かが光っていたような。思い出そうと視線を宙に彷徨わせているとカトウと目が合った。
すると彼は何か閃いたのか、ポンと掌を叩いた。
「蜻蛉切って知ってッスか?」
「トンボキリ?」
「あれッスよ。戦国時代の武将の本多忠勝が使ってた槍ッス」
「あー……、ごめん、俺、日本史石器時代で止まってるわ。それがどうかしたの?」
「だからそのブルゼイ・ストリカザが蜻蛉切じゃないかって話ッスよ」
「ああ、なるほどねぇ。でもなんでこの世界にあるわけ?」
「転生してきた日本人結構いるじゃないスか。だからどさくさで持ち込まれたんじゃないッスかね?」
「いい加減だなぁ。でも、話したことないけど、日本人の勇者もいるっぽいからないとも言えないのかな」
鼻から息を出して、残っていたウィスキーに口を付けた。
カトウは再びグラスを磨き始めた。
カウンターの脇のろうそくが風もないのにゆらゆらと揺れている。
しばらくすると、また何かを思い出したように話始めた。
「勇者ねぇ、そういえば、センパイ知ってます? 勇者たちが何かするみたいッスよ」
「何それ?」
「昨日の夜頃、何人かの勇者が来て大声で話してたんスけど……。あ、その前におかわりいります?」
と尋ねて来たので、俺はウィスキーを貰うことにした。カトウはグラスに注ぎながら、昨日の話を始めた。
読んでいただきありがとうございました。感想・コメント・誤字脱字の指摘・ブックマーク、お待ちしております。