血潮伝う金床の星 最終話
マゼルソンの長い話が終わったのはすで夜も更け始めていた頃だ。夕方ごろから雪は降りだしていたが、すぐ止むと思っていた。しかし、どうやら本降りになってきたようだ。
「さて、ユリナ長官、君は少し外してもらえないかな? もう遅いことだ。娘さんのところに行った方がいい」
「は? ダメに決まってんだろ?」
ユリナは腕と足を組んで顔をゆがめた。突如彼は俺と二人で話したいと言い始めたのだ。
「連盟政府に入れる人間にしかできないことを頼みたいのだ。聞けば君は依頼を受けて生計を立てていたらしいな。私からの依頼を受けてはもらえないかね?」
「ふざけんなよ? おい、ジジイ。脅迫とかしたら許さねぇぞ?」
俺に何も言わせまいとマゼルソンに噛みつき、組んだ足先をパタパタと動かし始めた。
「案ずるな。それとも、何かね? 君が人間であることをメディアに教えればいいのかね? ん?」
それを聞いたユリナは奥歯を噛んだまま、何も言えなくなってしまった。そして、チッと舌打ちをして立ち上がると、ぶつぶつと文句を垂れまくりながら外に出て行った。
マゼルソンはドアが閉まるのを見送った後、さてと、言い椅子から立ち上がった。俺は少し警戒し思わず杖を握った。彼はそれをちらりと見たが、構うことなく窓辺に向かって歩み、そこに置いてある魔石蓄音機のスイッチを入れた。すると音質の悪い歌声が聞こえてきた。その歌は不安定なビブラートを利かせた女性が太い声で、何を言っているのかわからないが、情を煽るように歌っている。まだ日本にいた頃、エディット・〇アフを聴いていたことがある。それに似ているようで違うが、確かにシャンソンだった。
しばらく聞きほれていたのか、マゼルソンは蓄音機に手をかけて目を閉じていた。
「どうかね? これはシャンソンと言うものらしい。かつて、といってもこの数年前のことだが、異世界から来たというエノシュの女性が歌っていたものを録音したのだ。異世界など病気も甚だしいが、どうもこれに惹かれる。あのじゃじゃ馬に理解できんよ」
グラントルアの灯りが雪に反射して街を明るくしている。もう暗い時間のはずだが、外は藍白に明るい。俺は杖を手から放した。
「自分だけを残したのは、どういったご用件でしょうか?」
「メレデントが行方不明なのは知っているな。君が先日報告した「西方への視察」通り、西へ向かったとの情報もある。彼はウェストル地方の出身だ。支持の地盤が固いところへ逃げるのは尤もだ。だが、孫も連れて逃げたのはあまり賢明ではないな。まだあんなに幼いのに……。まぁその話はあとだ。……そろそろだと思うのだが……」
マゼルソンは蓄音機の傍にある窓のブラインドの向きを変え、省舎前の道を見下ろし始めた。
静かになった部屋にシャンソンはビブラートを強めている。
―――――
海は嫌いだ。夜の海は特に不気味に暗い。
夜の海は見るな。引きずり込まれるぞ。そう言ったのは誰だろうか。
波が穏やかな分、船は揺れない。だが、星すら見えないと水と水平線だけの世界に閉じ込められたのではないかと、その穏やかさが煽ってくる。
ウェストル地方の小さな漁村は、季節にはムール貝が盛んに獲れる。しかし、長い旬の季節はもう終わりをつげ、残された漁の道具は海を目の前にして乾いている。漁師たちもいなくなり閑散とした波止場は、目立たないように船を出すには問題がない。自分は首都から連れ添った二人の乗客を乗せた船を沖へと出し、そこで別の小型艇に横付けした。
二人の乗客をそこで乗り換えさせた後、一人の方へ話しかけた。
「メレデント民書官殿、自分はイスペイネへは後ほど参ります。国内に戻りやらねばならないことがあるので」
一人は大きな男だ。その男は、自分が乗り移らなかったことに首を傾けて納得のいかない顔をしている。
「なんだね? 愛する者への別れか? イスペイネには情熱的で美しい乙女が多いと聞く。エノシュもエルフも違うのは耳だけだ。新しい出会いをするのもいいのではないか? 妻も息子も、その妻さえも粛清された私に残されているのは小さな孫のウリヤだけだ。あと少しすればウリヤも嫁に行ける。モンタン、君にぴったりだと私は思う」
そういうと、小さな女の子が大男の背後から現れた。民書官殿のズボンの裾を掴んでいる。胸元に黄色い石の付いたリボン、フリルとレースの付いた可愛らしい服を着て、綺麗な金髪はよく手入れされている。民書官殿の背後から上目遣いで深い緑の恥じらうような視線を送ってくる。その姿は大人になるにはまだ早く、無邪気な子どものような愛らしさがあるが、大人になればそれはそれは美しい淑女になるだろう。
「自分には身に余る光栄です。ですが……、ウリヤ様はまだ十歳ですよ?」
冗談なのかわからず、苦笑いをしてしまった。それを見た民書官殿は口角を上げて笑い返した。そして背を向けて沖を見た。
「これまでの瀬取りでリン鉱石に紛れて運び込んだ魔石はすべて共和国に押収されてしまった。発展を大義名分に過去二十年間分すべてだ。息子の形見のブローチはウリヤが持っていて免れたがな。帝政再起のための新たな魔石を得る。私も動かねばな」
「自分の魔力雷管式拳銃をお渡ししましょうか? 雷管式なので強い魔石ではないですが……」
「はっはっはっ! いらんよ。自決用かね? 一人で何丁分もの力をもつ魔術師のなわばりに踏み込んだら、お守りにもならんよ。それに、失くしたら君が営倉送りだ」
「ご冗談を……、書類等の焼却処分をしなければいけません。民書官殿、ウリヤ様ともどもご無事で」
「大方の書類は私のバッグの中だ。慎重なことはよい。気を付けたまえ」
民書官殿はウリヤ様を抱き上げた。彼女は抱きかかえられるときゃっきゃと嬉しそうに笑った。彼女にとっても民書官殿は最後の家族なのだろう。たった一人にして唯一の血と温もりのつながりのある存在なのだ。
大男は少女を肩に載せ、自分へと軽く敬礼をした。
すると、話が終わるのを待っていた褐色の人間の男がタバコを海に投げ捨て操舵室に入り、まもなく二人を載せた小型艇は水しぶきを上げて動き出し離れていった。
自分はそれから、小さく、小さく見えなくなるほど離れるまで敬礼をし続けた。真っ暗な海と空に飲み込まれどんどんと小さくなっていく。そしてついに、水平線の彼方、その小さな点が消え、双眼鏡でも追えなくなった。
方角に向かい、背筋を正し再度敬礼をした。
「ルーア、万歳! 帝国よ、幾久しく!」
しばらくして敬礼を止めて、消えていった方角に背を向けた。証拠の処分をこれから行わなければいけない。コートの中からある人物から受け取った細長いケースを取り出した。
上部のカバーを開けると中には赤いスイッチがある。
自分は戸惑うことはなくスイッチを押した。
すると夜明けまではまだ遠いはずの、北の水平線がわずかに赤く光った。
「共和国に繁殖あれ」
上着のポケットの中にあるキューディラを軽くたたき、ノイズを送った。そして帽子を直し、小型艇を出した。
夜明けまでには岸にたどり着けるだろう。すぐにでも海から離れたい。
―――――
サビが終わると、穏やかに曲の終焉へと向かい始めた。
ブラインドの隙間から窓の外の通りを見下ろして、何かを見ていたマゼルソンは深く目を閉じた。そしてゆっくりと頷いた。
降り続く雪の中、人通りの少ない道の何を彼は見ていたのだろうか。ペンキの一掃けのようにうっすらと積もり始めた雪が音を奪う中で、走り去る車の音がわずかに聞こえたような気がした。
「私は法律省長官であり、秩序と安定を維持するものだ。しかし、同時に市民でもある。喜べば悲しみもする。そして怒りも。和平交渉には口出しはしない。だが、息子を殺した者は、この国の法律で、私が裁かなければいけない。そこで、君にはシバサキと名乗った男の身柄拘束に協力してもらう。共和国も連盟政府も自由に歩けるのは君ぐらいなものだ。まだ決まってはいないが、共和国側は連盟政府との和平の見返りにあの男の身柄引き渡しを要求することになるだろう」
窓から離れると自分のデスクの上に手を載せ、立ったまま俺をまっすぐに見た。
「君への依頼はそれだけだ。さて、亡国の悪霊は去ったことだ。君たち人間とは友好な関係を築けるだろう。遅い時間まですまなかったな。どうやら頼みごとはそれだけで済みそうだ」
そして、シャンソンは流れ終わった。
「よろしく頼むぞ」と右手をデスク越しに差し出す彼の背後の棚に、大小様々な盾に紛れて所持すら禁忌である九芒星の金床の小さな盾があった。
俺はそれを見て見ぬふりをして、そして彼の手を笑顔で握り返したのだ。
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この話を書いているとき、頭の中でエディッ〇・ピアフの『愛〇讃歌』がずっと流れていました。